第4話 理解されるというぬくもり
放課後、私たちはコンビニの前でホットココアを買って、帰り道の小さな路地を歩いていた。冬の風はまだそれほど冷たくなかったけれど、私は両手でカップをそっと抱えながら、指先を無意識に丸めていた。
星奈は私の隣でホットココアを一口飲んでから、ふと思い出したように尋ねてきた。
「ねえ、遥。休みの日って、いつも何してるの?」
その一言に、胸の奥がぎゅっと締めつけられる。歩いていた足が、ほんの少しだけ止まりかけた。
ただの何気ない会話。そう聞こえるはずのその言葉が、私の心の中にあるスイッチをそっと押した。私はずっと、こういう質問が苦手だった。
「えっ、ゲーム好きなの?」
「それってオタクっぽくない?」
「あんまり外出ないんだ。静かでちょっと近寄りがたいよね」
そんな声、そんな表情が、私の防衛本能の奥に焼きついている。だから私は視線を落として、小さな声で答えた。
「……家で、本読んだり……ゲームしたりとか、かな」
「ゲーム?」
星奈がこちらを見る。そこにからかいや否定の気配はなかった。あるのは、ただ純粋な好奇心だけだった。
「どんなの、やってるの?」
その瞬間、心臓が大きく跳ねた。指先がカップのふちをぎゅっと握る。頭の中には無数の答えが浮かんでは消えていった。でも、そのどれもが安全とは思えなかった。
言っていいの? これって引かれない? 「普通」じゃないって思われたらどうしよう……。
背中から風が吹いてきて、前髪がふわりと揺れた。私は目を伏せたまま、心の中で何度も迷った。でも彼女は急かさず、ただ隣にいてくれた。その沈黙はまるで、やわらかくてあたたかい羽のようで、私はふと、「話してみようかな」と思った。
深く息を吸って、私はようやく顔を上げた。
「……いろいろやるけど、レースゲームとか、タワーディフェンスとか、RPG、経営シミュレーション、音ゲー……あと、美少女ゲームも……」
声はどんどん小さくなっていき、息すらも浅くなっていた。
「最近は……百合系のノベルゲームをやってる。ストーリーがすごく良くて、キャラもすごく丁寧に描かれてて……」
そう言い終えた瞬間、私はすぐに顔をそらした。頬が火照って、太陽に触れたみたいに熱くなっていくのがわかった。耳の先まで赤くなって、首筋までじんじんと熱を帯びていく。
でも、彼女はただ、ふわりと「うん」と頷いて、穏やかな笑みを浮かべてくれた。
「分かるよ。前にも言ってたよね、私の書いたラノベ、すごく好きって。遥って、感情が深く描かれた物語が好きなんでしょ?」
私は思わず顔を上げた。驚きと、どこかほっとした気持ちが入り混じっていた。
彼女は特別に気を遣ったわけでもなく、無理に「受け入れてるよ」という態度を取るわけでもなかった。その声は穏やかで自然で、まるで私が口にしたことは、この世界でもっとも普通の日常の一部であるかのようだった。
「遥がゲームのストーリーに感動して、キャラクターを覚えてて、それを話すときに目がキラキラしてる……そんな遥、すっごく可愛いと思うよ」
私はその場に固まったまま、心臓の鼓動が一瞬だけ止まったように感じた。
その「可愛いよ」という言葉は、風のように軽やかだったのに、私の心のいちばん弱いところを、まっすぐに貫いてきた。
風はまだ吹いていたけれど、不思議と身体の内側がぽかぽかと温かくなっていくのを感じた。それは太陽のせいでも、ホットココアのせいでもない。きっと――理解された、という感覚だった。
私は小さく「うん」と返した。その声は自分にしか聞こえないくらい小さかったけれど、それは彼女への感謝であり、そして過去の「浮いてばかりだった自分」にそっと語りかけるような言葉だった。
「……私、もっと話してみようかなって、思う」
彼女はその言葉にすぐには何も答えなかった。ただ、静かに、そっと私の手を握ってくれた。
その瞬間、私は息を呑んだ。
初めてじゃないはずの手の温もりなのに、まるで初めてのように、心臓がどくん、と大きく跳ねた。彼女の手のひらはあたたかくて、安定していて、何も言わずに、私を自己否定の影から優しく引き上げてくれるような、そんな確かな強さがあった。
私たちはそのまま、肩を並べて歩いていった。
夕陽がふたりの影を地面に長く落とし、その輪郭が細く、そして重なり合って揺れていた。見慣れた商店街を抜けて、いつもの帰り道をふたりで歩く。
急ぐわけでもなく、何かを話すわけでもなく。ただ手のひらが手のひらに重なっていて、それだけで、沈黙のなかで心が少しずつ近づいていくのが分かった。
「今日、ちょっと風冷たいね」
彼女がそう呟いて、私の手をぎゅっと、もう少しだけ強く握った。
「……うん」
私は小さく返事をしながら、気づけば口元が自然に緩んでいた。
そうだね、風は少し冷たい。でも、不思議と寒くなかった。
こんな日常の中で、私は初めて気づいたんだ。「わかってもらえる」ということに、きらびやかな言葉なんて必要ない。ただ、そっと手を握ってくれる誰かがいるだけで、人は孤独じゃなくなるって。
そして――その手を握ってくれたのが、彼女だった。