第2話 屋上での「邪魔者」
翌朝の授業中、私は思わず何度もあくびをかみ殺していた。
……全部、昨夜ずっと神崎さんのことが頭から離れなくて、何度も寝返りを打ちながら、ほとんど一睡もできなかったせいだ。でも、今さら後悔しても遅い。眠気と戦いながら、どうにかお昼休みまでたどり着いた。
「遙、今日ね、クラスの女子たちに一緒にお昼どう?って誘われたんだけど、あんたも来る?」
黒羽が手招きしながら声をかけてくる。
「ううん、やめとく。あんまり親しくないし、逆に気まずくなりそう」
私はやんわりと断った。
「そっか、じゃあ明日は一緒に食べよ」
黒羽はそう微笑んで、教室を出て行った。
私は小さくため息をついて、やっぱり今日のお昼もひとりか……と少しだけ肩を落とす。だったら、あそこに行こう。
校舎の屋上。ここはずっと私だけの「秘密の食堂」だった。教室棟から少し離れているせいか、わざわざ来る人もほとんどいない。とくにあの角のスペースは目立たないから、誰かが通りがかっても私の存在には気づかれないことが多い。
秋風がそよそよと吹いて、ほんの少し肌寒さを運んできた。グラウンドから響いてくる生徒たちの賑やかな声が、まるで別世界の音みたいに聞こえる。
私は屋上の隅に腰を下ろし、お弁当のふたを開けて、束の間の静かな時間を楽しもうとした、そのとき、階段から軽やかな足音が聞こえてきた。
私は一瞬で緊張してしまい、思わずお弁当を閉じて立ち上がる。こんな場所に誰か来るなんて、ありえないはずなのに。けれど、迷っているうちに、その足音の主が視界に現れた。
神崎さんだ!? しかも、まるで最初から知っていたかのように、明るい笑顔を浮かべている。
「ここでお昼ごはん?」
「え、うん……たぶん」
私はどぎまぎしながら答えたけれど、心の中はもう大混乱だった。
彼女は帰る素振りをまったく見せず、むしろその場に立ち止まったまま。それがますます私を焦らせる。仕方なく、適当な理由を口にするしかなかった。
「でも、そろそろ行こうかなって……」
私は立ち上がってその場を離れようとした。そのとき、手首がそっとつかまれた。彼女の細い指が、優しく私の手首を包み込む。その体温も、力加減も、ちょうどよくて、心臓が跳ね上がる音が一気に大きくなった。
「……っ!」
私は驚いて顔を上げた。頬がじんわりと熱くなるのを感じた。
「お昼、これから食べるんでしょ? なのにもう帰るの?」
彼女はあたりまえみたいな声でそう言った。
「ここで食べても……迷惑じゃない?」
私は小さな声で尋ねる。
「全然。むしろちょうどよかった、私も一緒に食べる人探してたところなんだ」
彼女はもう、自然に私の隣に腰を下ろしていて、私に拒否する余地なんて与えてくれなかった。
私は胸の鼓動が止まらないまま、どうしていいかわからず戸惑っていた。こんなまぶしい人とどうやって接すればいいの? ここには誰も来ないはずだったのに。まさか……彼女と屋上でランチをする日が来るなんて、想像すらしてなかった。
おそるおそるお弁当のふたを開けると、彼女の目がぱっと輝いた。
「わぁ! すごい、めっちゃ豪華じゃん。もしかして、自分で作ったの?」
「えっ、違うよ……これ、お母さんが作ってくれたの。そんなに珍しいかな?」
「もちろん珍しいよ!」
神崎さんは手に持ったシンプルな包装のサンドイッチを見せながら、ちょっと羨ましそうに言った。
「見て、私なんて購買部のサンドイッチしかないんだよ」
思わず口をついて出た。
「家の人はお弁当作ってくれないの?」
言い終わった瞬間、彼女の瞳にかすかな陰りがよぎったのが見えた。
「……そういう機会、ないのかもね」
「ご、ごめん……私、何か変なこと言った?」
すぐに謝ると、彼女はふっと笑って軽く首を振った。
「大丈夫だよ。家の人が忙しすぎて、作る暇がないだけ」
少しだけ沈黙が流れたあと、彼女は話題を変えるように言った。
「卵料理、すごく好きなんだ? お弁当、卵だらけだよ」
「そ、そうかな……」
私はちょっと恥ずかしくなって視線を落とした。
「私、卵料理めっちゃ好きなのに、なかなか食べられないんだよね」
一瞬ためらってから、思い切って言った。
「よかったら、少し食べる? いつも食べきれないし……」
その瞬間、彼女の目がぱっと輝いた。
「ほんとに!? じゃあ、遠慮なくもらっちゃおうかな!」
私の弁当を嬉しそうに頬張る彼女を見ていると、緊張していた心も少しずつほぐれていった。
「ね、いつもここでお昼食べてるの?」
と彼女がふいに訊いた。
「たまにね。黒羽が一緒に食べられないときとか」
「じゃあ、これからは一緒にここで食べようよ?」
彼女は軽やかにそう提案してきた。
「えっ?」
私は驚いて顔を上げた。
「でも……神崎さんって友達たくさんいるでしょ?」
彼女は肩をすくめて笑った。
「毎日みんなと食べなきゃいけないわけじゃないし。たまには気分を変えたいの」
「でも……わざわざ私と食べなくても……」
そのとき、彼女がふっと身を寄せてきて、いたずらっぽい笑みを浮かべた。声のトーンも少しだけふざけた感じで——。
「だってね、佐藤さんのこと……おもしろいなって思ってるんだ」
「えぇっ!?」
顔が一気に熱くなって、心臓が暴れるように跳ねた。私は慌てて視線を逸らして、小さくつぶやく。
「な、なにそれ……」
「冗談だよ、冗談」
彼女は楽しそうに手を振った。
「か、からかわないでよ……」
「でもね、私は本気で、もっと佐藤さんと一緒に過ごしたいって思ってるんだ。……ダメかな?」
私はしばらく俯いて黙ったあと、小さく答えた。
「……考えておくよ」
そんなふうにして、思いがけない昼休みは秋風に包まれながら静かに幕を閉じた。だけど、胸の奥に芽生えたこの甘くて不思議なときめきは、いつまでも消えることはなかった
もしかしたら、私たち、本当に友達になれるのかもしれない。