第6話 彼女の支えになりたい
ドアが閉まった瞬間、世界がようやく静けさを取り戻した。
私は上着をかけ、ベッドの端に腰を下ろして、自分の手のひらを見つめる――あの手。彼女と人混みを歩き、彼女を腕の中に引き寄せ、綿菓子を食べさせ、そっと指を絡めた手。
……まだ、温かい。
今日、本当にあんなことが起きたなんて、まだ信じられない気がする。
風船割りゲームの時、彼女は「『彼女』って呼ぶ賭けをしよう」って言った。心臓が胸から飛び出しそうだった。彼女がうつむいて、小さな声で「だめ……かな?」と呟いた瞬間、私は完全に陥落していた。
あまりにも可愛くて、あんなふうに素直に弱さを見せる彼女に、私はもう逆らえなかった。
「私のこと、いちばん好きな人って呼んでね」って言ったのも、本当は心からそう言いたかったけど、冗談っぽく誤魔化した。彼女は顔を真っ赤にして頷いたけど、私はそれ以上何も聞けなかった。
でも、その一言は、ずっと胸の奥で響いている。
──夜市での出来事が、いまも鮮やかに頭に浮かぶ。
いちごチョコバナナを食べている彼女は、少し緊張した面持ちで、そっと一口かじった。あの仕草はあまりにも可愛くて、触れたら壊れてしまいそうな甘さだった。
熱々のたこ焼きを頬張って、熱さに顔をしかめながらも文句一つ言わずに食べた彼女。そんな健気な姿に、もっと近づきたくなった。
ピンク色のハート形綿菓子を、最後の一口で奪い合ったとき、私たちの顔はほんの数センチしか離れていなかった。息が交わり、頬が触れそうになって、思わずお互い固まってしまった。
金魚すくいでは、自信満々に挑戦した私があっさり失敗し、彼女は笑いながらも優しく励ましてくれた。その笑顔だけで、失敗なんてどうでもよくなった。
そして、彼女が金魚をすくい上げた瞬間――その手のひらの中には、小さな命と、恋という名のきらめきが一緒に揺れていた。
くじ引きで当たったのは、安っぽいプラスチックの指輪。でも彼女はそれを真剣に受け取り、小さな声で「私は気にしないよ」と言った。
その一言が、何よりも胸に沁みた。たとえ値段は安くても、その指輪は世界で一番輝いていた。
最後のスマートボールでは、ふたりとも外してしまったけれど、彼女は笑ってこう言った。「失敗してもいいよ。だって、遙が一緒にいてくれるから。」
その言葉は、どんな勝利よりも、心を震わせるものだった。
***
最初は、ただ彼女と一緒に夜市を歩いて、新年を迎えるだけのつもりだった。ちょっとした散歩、美味しいものを食べて、軽い冗談を交わすくらいで。
でも、私の考えは、見事に覆された。
人混みに紛れて、彼女が立ち止まったその時。もう少しで他の人とぶつかりそうになったあの一瞬。私は考えるより先に、手を伸ばしていた。
ただの手つなぎ、しかも、これが初めてでもないのに。
でも、そのときの彼女の手は、いつもよりもずっと小さくて、柔らかくて、壊れそうなほど繊細で。彼女が私を見上げたその目には、一瞬だけ驚きと迷いが浮かんでいた。
でも、彼女は逃げなかった。拒まなかった。
だから私は、そっと指に力を込めた。
こっそり彼女の反応を窺うと、彼女は黙って俯いたまま。でも、その耳がほんのり赤く染まっているのに気づいた。
次の瞬間、彼女が私の手をそっと握り返してくれた。
あの瞬間、思わず笑いそうになった。でも、はしゃぎすぎてはいけないと、ぐっとこらえた――だって、彼女はきっと恥ずかしくなって、逃げ出してしまうかもしれないから。
私はわざと平静を装って視線をそらす。そして彼女は、ちょっと慌てた様子で話題を変え、手に持っていた甘酒のことを口にした。
正直、あの時、本当はこう言いたかった。「……可愛いいよ、遙」って。
でも私は、それを飲み込んだ。
なぜなら、誰よりも私は知っている。彼女の臆病さと優しさは、唐突な告白で崩してしまうには、あまりにも繊細すぎるということを。
いまも心に焼きついているのは、あの一瞬だった――彼女を自分の胸に抱き寄せた、あの瞬間。
どうしてあんなに自然に体が動いたのか、自分でもわからない。きっと、通りすがりの人の足取りが速すぎたから。それとも、私は彼女が少しでも驚く姿を見るのが、どうしても我慢できなかったのかもしれない。
彼女が勢いよく私の胸に飛び込んできて、私は反射的にその体を強く抱きしめた。その時、私は大きな声を出すこともできず、ただ低い声で、静かにこう尋ねた。
「……大丈夫?」
彼女は何も言わず、ただ小さく頷いただけだった。
だけど、それがすべてだった。彼女は私を振りほどかなかった。逃げもしなかった。
その意味がどれほど大きいか、私は誰よりもよくわかっている。でも、だからこそ、早合点したくはなかった。遙は、いつも他人のことを優先してしまう人だから。恋愛においても、同じように気を遣いすぎて、自分を後回しにしてしまう。
だから私は、彼女が安心して寄りかかれる存在になりたいと、心から思った。
今夜から、私はそうなれるように努力する。どんな雑踏の中でも、どんな風の中でも、彼女の前に立って、彼女を守れる人になりたい。
彼女が言った。
「……来年も、一緒に初詣、行けたらいいな」
最初は耳を疑った。ほんとにそう言ったのか、聞き間違いじゃないかって。でも彼女は、真っ直ぐな目で私を見つめていて、その声は少し震えていたけど、確かに未来へと手を伸ばしていた。
だから、私は頷いて、こう答えた。
「うん、約束だよ」
あの言葉は、礼儀でもなければ、その場の感情に流されたわけでもなかった。ただただ、私の心からの答えだった——これから先、どんな困難が待ち受けていようと、私はずっと、彼女の手を握っていたい。
人混みの中では真っ先に彼女を庇って、風からも、雑踏からも守ってあげたい。ずっと彼女の口から「彼女」と呼ばれ続けて、そしていつか、こう言ってもらえたらいい。
「一生、君に寄り添っていたいの」
ようやく気づいたんだ。恋って、必ずしもドラマチックな告白や、盛大な誓いの言葉じゃないってこと。
ただ夜市の灯りの下、二人で肩を並べて歩きながら、熱々の餅串を分け合って、なんてことない言葉を交わす、それだけでもいい。
でもその一夜は、いつの間にか心の一番やわらかな場所に、そっとしまい込まれていて——ずっと、ずっと後になっても、そこに残ってるんだ。