第4話 夜市屋台で過ごす甘いひととき(後編)
いちご大福を食べ終えた後、星奈がふいに遠くのきらきら光る屋台を指差し、目をきらりと輝かせた。
「ねえ、あっちに金魚すくいがあるよ。やってみない?」
「うん、いいよ……でも、私、一度も成功したことないんだ」
私は苦笑しながら答えた。
「じゃあ、金魚すくいマスターの私が見せてあげよう~」
彼女はそう言って私の手を引き、屋台の前まで連れていった。数百円を払って、紙のポイを数枚受け取る。
「覚えててね、焦らず、ゆっくりがコツだよ」
彼女は先生みたいに真面目にアドバイスし、それからしゃがみ込んで、水面をじっと見つめた。その目は、まるで本当に狩りに出かけるかのような鋭さだった。
──結果は、第一投目でポイが破れた。
「……」
一瞬、彼女は固まって、それから私を見上げた。私はこらえきれずに吹き出してしまった。
「マスター?」
私は笑いをこらえながら尋ねた。
「い、今のは調子が悪かっただけだもん~」
彼女は唇をとがらせて悔しそうに言い、ポイを私に差し出した。
「はい、次は遥の番~」
私はポイを受け取り、そっとしゃがみ込んだ。水面がきらきらと反射して揺れている。その中で一番ゆっくり泳いでいる金魚を見つけ、深呼吸をして、静かにポイを差し出した。
「がんばれがんばれ~」
彼女が横で手拍子をしてくれて、小さく応援の声もあげてくれる。
「は~る~か~! す~く~え~!」
結果、まさかの──成功だった。
「えっ! 私、すくえた!」
私は信じられない顔でポイを持ち上げた。金魚はポイの中でしっぽをひらひらさせていた。
「うわ~ほんとにすくえた!」
星奈は私以上に大はしゃぎで拍手し、ぐっと近づいて金魚を覗きこんだ。
「かわいい……なんか、ちょっと遥っぽいかも」
「え? どこが……?」
「守ってあげたくなるタイプ、ってとこ?」
彼女はそう言って、ちらりと私を見た。口元には、ちょっとずるい笑みが浮かんでいる。
私は返す言葉が見つからなくて、ポイの中の金魚を見つめながら、忙しいふりをした。
***
金魚すくいの屋台を離れた私たちは、隣のくじ引き屋台へ。
「こういう運ゲー、私めっちゃ強いんだから!」
彼女は自信たっぷりに宣言した。
店主から渡されたのはカラフルなルーレット。番号ごとに景品が書かれている。
先攻は星奈。
「いくよ~」
と掛け声とともに、彼女は勢いよくルーレットを回した。「カラカラカラ……」と音を立てて回る針。
止まったのは「10番」。
「おめでとう~、はいはい、こちらが景品で~す」
店主が差し出したのは、カラフルな……プラスチック製の指輪だった。
彼女はそれを手に取って少し見つめたあと、私の方を向いて差し出してきた。
「はい、これあげる~。めっちゃ安っぽいけど、私の初戦の景品だからさ」
私は一瞬きょとんとして、そのプラスチックの指輪を受け取った。たった200円のおもちゃだとわかっていても、胸がどくんと高鳴るのを止められなかった。
「……別に、安っぽくなんかないよ」
「ほんと? じゃあ、大事にしてね」
私はこくんと頷いた。この小さな指輪が、今まででもっとも輝いて見えた。
***
「次、風船割りゲームやってみない?」
彼女がいたずらっぽく目を輝かせて言う。
「確か、私これ強かった気がする」
「じゃあ、私も挑戦する」
私は即答した。けれど内心、手のひらにはすでにうっすらと汗がにじんでいた。
「え~、じゃあ勝負しようよ。なにか賭ける?」
私は少し黙って、人混みの向こうにあるきらきらした屋台の灯りを見つめた。そして、小さく息を吸って、ちょっとだけ勇気を込めて言った。
「……もし私が勝ったら、もう一回『彼女』って呼んで」
彼女は一瞬目を見開いて、びっくりしたような顔をした。次の瞬間、くすっと笑い出して、肩を揺らしながら言った。
「──ばか」
私はうつむいて、小さく呟いた。
「……ダメ、かな?」
「いいよ」
彼女は少し身を寄せて、心の奥に吹き込む風のような柔らかい声で答えた。
「じゃあ、私が勝ったら──今度は『いちばん好きな人』って呼んで?」
心臓がぎゅっと縮んだ。
「……うん」
「でもさ、前に遊園地で遥が射的してたときのこと思い出すと……正直、かなり伸びしろあるよ?」
彼女はくすっと笑った。
「それでもやるよ。負けるつもりないし」
ふたりで人混みを抜けて射的の屋台にたどり着いた。色とりどりの風船が並び、古びたエアガンがテーブルの上に置かれている。金属の光が夜の灯りを受けて、微かにきらめいていた。
「ふたりで一回ずつ? カップル対決って感じ?」
と店主がにやにやしながら言った。
私は頷いて、ガンを取ったとき、指先が彼女の指にふれてしまった。息が詰まりそうになる。なんで、テストより緊張してるの。
星奈が先に構えた。姿勢は迷いなく、引き金を引く動作もなめらかだった。
「パンッ!」青い風船が弾ける音が夜空に響く。
「やっぱ私、上手くない?」
得意げに振り返った彼女の目は、まるで獲物を捕まえた猫みたいに輝いていた。
「まだこれからでしょ」
私は強がって答えたけど、手はガンを握る力で少し震えていた。
私の番。聞こえるのは自分の心臓の音。
──勝たなきゃ。負けたら……「いちばん好きな人」って、みんなの前で呼ばなきゃいけない。でも、それも……ちょっとだけ、悪くないと思ってしまった。
深呼吸して、赤い風船を狙う。引き金を引いた瞬間、思わず目を閉じた。
「パンッ!」命中。
ほっと息を吐き、続けてもう一発。三発目も命中。
「遥、すごいじゃん〜」
彼女が手を叩いて喜んでくれた。
「もしかして……こっそり練習してた?」
「してないよ。ただ、星奈には負けたくなかっただけ……」
その瞬間、自分の鼓動が震えていたのは、手じゃなくて心だったと気づく。
結果は引き分け。ふたりとも三つずつ命中した。
「ってことは……引き分け?」
と尋ねると、彼女はいたずらっぽく微笑んで耳元でささやいた。
「引き分けなんかじゃないよ。だってね、私はもう決めてたもん。遥は、ずっと私の『いちばん好きな人』なんだよ」
私は一瞬、思考が止まった。顔が一気に熱くなる。
遠くから花火の音が聞こえてきた。誰かが小さな花火を上げたらしく、夜空に小さな光が広がっていた。でも、私の目に映っていたのは、星奈のその瞳だけだった。星のようにきらきらと輝いていた、あの光。
そのとき気づいた。このゲームの景品は、ぬいぐるみじゃない。彼女の笑顔だった。
***
最後に立ち寄ったのは、スマートボールの屋台だった。
「これ、小さい頃一番好きだったんだ~!」
星奈がはしゃいだ声で言いながら、私の手を引いて木製の台に向かう。彼女は透明なカップに入った銀色の玉を受け取り、一粒ずつレーンに並べていく。
私もその隣にしゃがみ込んで、彼女の横顔をじっと見つめた。指先を器用に動かしながら球を構えるその姿は、さっきまでのいたずらっぽさとは違って、どこか子供みたいな素直さに満ちていて、胸がきゅっと締めつけられる。
「いっくよ〜! 一球入魂っ!」
彼女が声を上げて、発射ボタンを押した。
銀の玉が「カン、カン、カンッ」と派手な音を立てて跳ね回り、板の上を走り抜ける。けれど、どれも枠にはまることなく、するすると端から転がり落ちていった。
「うそ〜! 運なさすぎじゃん!」
星奈が両手で頭を抱えて、地面にへなへなとしゃがみ込む。
「ぬいぐるみ取って、遥にあげようと思ってたのに〜!」
「気にしなくていいよ」
私は笑いながら言った。
「一緒にこうして遊んでくれてるだけで、私はもうじゅうぶん嬉しいから」
彼女がこちらを見上げる。私も手を伸ばして、残った球でチャレンジする。
「よし、私も行くね」
「がんばって〜!」
彼女が手を合わせて応援してくれる。
私は深呼吸して、玉を打ち出す。「カン、カン……」と音を立てながら跳ねる玉たち、結果は、全部外れ。
私たちは顔を見合わせて、思わず吹き出した。
「ふたりともハズレだね」
私は笑いながら言った。
星奈は肩をすくめ、でもすぐに柔らかい笑顔で言った。
「じゃあさ、今日の運は……全部、遥に出会うために使っちゃったってことで」
その一言が、ふいに胸の奥に触れた。
私は何も言えなくなって、ただ彼女の手をそっと握った。彼女も、私の手を包むように優しく握り返してくれた。
夜風がさらさらと頬を撫でていく。屋台の灯りがきらきらと瞬き、人混みの笑い声や、水面に揺れる金魚の影、狙い外れの弾、全部が今夜の景色の一部になっていった。
けれど私が一番覚えているのは、彼女がそっと耳元で囁いたあの声だった。
──「今日の運、全部、遥にあげるって決めてたの」




