第5話 この日を変えたいと思った意味
部活が終わった放課後、すでに夜の帳が降りていた。街の両側には金色と青色にきらめくクリスマスのイルミネーションが灯り、まるで星が降りてきたかのように、街全体をあたたかく幻想的な雰囲気で包み込んでいた。
私はサッカー部の練習を終えて、更衣室で荷物を片付けていた。最後のニーパッドをバッグにしまったその時、ドアの方から軽やかな足音が響いた。
「遙、一緒に帰ろ?」
その声は、風のようにやさしく胸の奥に染み込んでくる。顔を上げると、星奈がドアのところに立っていた。目元が優しく笑っていて、その笑顔は変わらずあたたかい。
「うん、いいよ。」
私は頷き、バッグを背負って彼女の隣に並び、校舎を後にした。
夜風が私たちの頬を撫でていくけれど、不思議と冷たく感じなかった。彼女がそばにいる。それだけで、この距離がずっと続けばいいのに、なんて思ってしまう。
「もうすぐ、クリスマスだね。」
私はふと見上げ、街灯に吊るされた星型のライトに目を留めた。思わず声にも期待が混じる。
「……私、クリスマス、あんまり好きじゃないんだ。」
風に紛れるように呟かれたその言葉に、私は思わず足を止めた。
「えっ?どうして?」
星奈はしばらく黙ったまま、少し離れた場所のネオンの明かりを見つめていた。その視線の奥には、どこか遠い記憶が映っているようだった。
「……だって、私の誕生日、12月25日なんだ。」
「誕生日……?」
私は驚いて彼女の顔を見る。「クリスマスと同じ日なんて、なんだか世界中に祝ってもらえるみたいで素敵じゃない?」
「……現実は、そんなに甘くないよ。」
彼女は微かに笑った。その笑みは、どんな冷たい風よりも冷たく感じられた。
「小さい頃からずっと言われてたの。『優秀じゃない子には祝う価値がない』って。期待に届かなければ、ケーキも、プレゼントも、誕生日おめでとうの一言さえ、もらえなかった。」
私は言葉を失い、ただ彼女を見つめることしかできなかった。胸の奥がじわりと痛くなっていく。
「だから、ずっと頑張ってた。勉強も、部活も、小説の投稿も……全部、親に認めてほしくて。『よくやった』って、一言だけでも欲しくて……でも、一度だって、祝ってもらえなかった。」
「……玲奈だけは、毎年こっそり部屋に来て、『お誕生日おめでとう』って言ってくれたけど。」
彼女の口調はどこまでも淡々としていて、まるで取るに足らない過去を語っているだけのようだった。でも、その言葉の奥にある寂しさや痛みが、確かに空気の中に広がっていくのを、私は感じていた。
「だから、私にとってクリスマスって……『自分は足りない』って思い知らされるだけの日なんだ。」
私はぎゅっとバッグのストラップを握りしめた。力が入りすぎて、指先がほんのり白くなる。
星奈は笑っているように見えた。でも、私は知っている。それは喜びの笑みじゃない。もう何度も失望を繰り返して、慣れてしまった人の、そんな笑顔だった。
私は、ふと、もっと彼女に近づきたいと思った。体の距離じゃなくて──心の距離に。
彼女はいつも先頭を歩いていた。光みたいにまぶしくて、遠くて。でも今、私は初めて気づいた。あの光の裏には、彼女が一人で抱えてきた孤独があるのだと。
「……だったら、今年は私と一緒に過ごそう?」
私は顔を上げて、彼女の目を見つめた。声は小さかったけれど、その思いはしっかりと込めた。
「えっ……?」
「星奈がクリスマスを好きじゃないなら──一緒に、意味を変えようよ。二人でお祝いして、二人だけの誕生日にしよう。」
彼女は固まったみたいに、瞬きを忘れて立ち尽くしていた。普段はあんなに自信に満ちて輝いている瞳が、今はほんの少し揺れている。まるで、どう応えればいいのか分からないみたいに。
「……本当に、いいの?」
「もちろんだよ。」私は力強くうなずいた。心の中では、もう固く決意していた。
「君に知ってほしいんだ。この世界には、君のために祝いたい、君に笑ってほしいって思ってる人が、ちゃんといるって……。少なくとも、私は、そう思ってる。」
彼女はすぐには返事をしなかった。ただ、うつむいたまま、そっとコートの袖口を握りしめた指先が、小さく震えていた。
その長くて繊細な睫毛の揺れを見つめながら、私はふと気づく。
――彼女は、無関心なんかじゃない。
ただ慣れていないだけだ。無視されること、抑え込むことに慣れすぎていて、急に差し出された優しさに戸惑っている。どう受け取ればいいのかわからなくなっているだけ。
彼女が感情を抑え込んでいるのかどうか、私には分からない。でも、彼女がふっと息を吸い、そして風のようにかすかな声で言葉を紡いだのは、ちゃんと聞こえた。
「……遙」
その名前を呼ぶ声は、街の向こう側でまたたくイルミネーションの灯に向けて放たれた。涙はこぼれなかった。でも私は知っていた。その小さな呼びかけの中に、どれほど多くの言葉が詰まっていたのかを。
心臓が、ひどく早く打ち始める。彼女は私を拒まなかった。拒否しなかった。
それはつまり……彼女はちゃんと聞いてくれていた。もしかしたら、待ってくれていたのかもしれない。
言葉にできそうでできない想いが、私たちの間に少しずつ積もっていく。まるで冬の夜に静かに煮立っていく一壺の甘酒みたいに、ふんわりとした湯気が、心の奥を静かに温めていく。
――焦らなくてもいい。私はそう自分に言い聞かせる。でも、私はもう、一歩を踏み出した。彼女は、その一歩を拒まなかった。
言葉にするのは、クリスマスの日でもいい。
私はもう決めている。あの日は、彼女の心に、一生残る誕生日にしてみせる。




