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冴えない私が輝く星と出会った  作者: 雪見遙
第7章 初めてのデートのあと、私が出した答え
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第4話 夕暮れの微光がつなぐ絆

 夕暮れ時の堤防には、湿り気を含んだ優しい空気が漂っていた。

 川面はきらきらと輝き、夕陽が空をあたたかな橙色に染めてゆく。水面に映る金色の光の筋は、まるで跳ねる心のさざ波のようだった。

 川沿いの楓の葉はそよ風に揺れ、縁が夕焼けにキスされたかのように赤く染まっている。遠くからは子どもたちのはしゃぐ声と、自転車のベルや石畳を走るタイヤの音が混ざり合い、まるで黄昏の旋律のように柔らかく響いていた。


 私と星奈は、川沿いの土手を肩を並べてゆっくり歩いていた。足取りはそっと、まるでこの静かな夕暮れを乱さないように。


 水面から吹いてくる風は草の匂いと湿り気を含んでいて、ふわりと私たちの髪を撫でていく。


 星奈の長い髪が風に舞い、数本のいたずらっぽい髪が頬にかかる。その瞬間、私はつい横目で彼女を盗み見てしまった。


 まるで世界が一度止まったみたいに、視線の先には彼女しかいなかった。


 誰も言葉を交わさないまま、私たちはただ黙って歩き続けた。呼吸も、歩幅も、いつの間にか重なっていて、その沈黙の中に不思議なリズムが生まれていた。


 時おり、私の肩が星奈の袖にふわりと触れる。そんなささやかな感触だけで、心がきゅっと緊張する。でも……離れたくなかった。


「今日は、どうだった?」


 突然、星奈が口を開いた。

 その声はまるで耳元をかすめる夕風のようにやわらかくて、夢か現か分からなくなるほどだった。


 我に返って彼女を見ると、橙色の夕陽がその顔を優しく照らしていて、横顔の輪郭が溶けてしまいそうなほど穏やかだった。

 長いまつげが頬に影を落とし、彼女の目は前を向いたまま、湖のように静かに光っていた。


「……楽しかった。けど、ちょっとだけ、慣れてなくて。」


 わたしは小さく呟いた。語尾が震えていたのは、きっとこの気持ちが聞こえてしまうのが怖かったから。


「うん、わたしも。」


 彼女は頷いて、穏やかな笑みを浮かべた。

 その笑顔には少しだけ不安そうな揺らぎがあって、喉の奥に引っかかっている言葉があるように見えた。


 わたしはこっそり彼女を盗み見て、胸がきゅっと締めつけられた。

 こんな風に照れたり、不安になったりする彼女は、きっと皆が知っている「完璧な神崎星奈」じゃない。

 わたしだけが知っている、もう一人の彼女だった。


 わたしたちは黙ったまま歩き続けた。

 堤防に伸びたふたつの影が、夕陽に照らされながら並んで長く伸びていく。

 それはまるで見えない糸のように、わたしたちの距離を少しずつ近づけていった。


 何かを言おうとしたそのとき――

 ふいに振り返ったわたしの視線が、彼女の目とぴたりと重なった。


 ふたりして息を呑み、そのまま目をそらす。

 耳が、ほんのり赤くなっていくのを感じた。


「今日は、一緒にいてくれて……ありがとう。」


 星奈がぽつりとそう呟いた。どこか柔らかくて、でも真っ直ぐで──この言葉だけは、私の心にしっかり残るように、そんな風に聞こえた。


「……私も、嬉しかったよ。」


 そう小さく返した声は、まるでこの気持ちが誰かに気づかれてしまうのが怖いみたいで。指先でそっと袖を掴んで、胸の高鳴りを隠した。


「たまに思うんだ。ただこうやって並んで歩けるだけで、それだけで贅沢なんじゃないかなって。」


 星奈は空を見上げながら、ふわりとした声で続けた。彼女の視線の先には、淡い橙色に染まった雲が静かに浮かんでいた。


 私は言葉を失った。簡単な一言なのに、そこには彼女の脆さと、言葉にしづらい想いが滲んでいて。


「……私も、そう思うよ。」


 精一杯の声で返した。大きくない声だけど、それはたしかに、今の私の本心だった。


 その時だった。彼女の手が、そっと近づいてきた。


 温かな指先が、私の小指にやさしく触れる。何の前触れもなく、何の言葉もなく──でも、確かに伝わってくる気持ちがそこにあった。


 私は息をするのを忘れてしまいそうになった。心臓が不規則に跳ねて、何かに優しく、でも強く、打ち抜かれたような気がした。


「……いい?」


 私は星奈を見つめた。そこには、少しの不安と、少しの期待が入り混じったまっすぐなまなざしがあって——私はそっと、その指先を握り返し、静かにうなずいた。


「うん。」

 声は小さかったけれど、ちゃんと届いてほしくて。

「私、嬉しいよ。……相手が、星奈で。」


 星奈の瞳がふわりと輝いた。そして次の瞬間、彼女は軽やかに微笑んだ。それはまるで、胸に抱えていた何かをやっと手放せたような、そんな安堵の笑みだった。


 あの日の夕焼けは、いつもより長く空に残っていた。夜の帳はなかなか降りてこず、空の雲はやわらかな橙と桃色に染まり、まるで一枚の水彩画のようだった。


 それは、私の胸の奥で言葉にならなかった想いが、そっと色づいていくような光景だった。


 私は深く息を吸い込んで、何かを伝えたくて口を開こうとした。——けれど、そのときにはもう、言葉は必要なかった。


 そのあと、私たちは何も話さずに、ただ静かに並んで歩いた。

 歩幅が自然に揃って、鼓動までもが同じリズムで重なっていた。


 この夕暮れの道を一緒に歩き終えたとき、私たちの距離は――いつの間にか、そっと、静かに縮まっていた気がする。


 ただの何気ない散歩だったはずなのに、まるで言葉のいらない、静かで確かな告白みたいだった。

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