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冴えない私が輝く星と出会った  作者: 雪見遥
第7章 初めてのデートのあと、私が出した答え

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第2話 書店で芽生えたときめき

 カフェでひと休みしたあと、私たちは街角にひっそり佇む小さな独立書店へ足を運んだ。扉を押し開けた瞬間、澄んだ鈴の音が静かな空気に弧を描き、まるで儀式の合図のように、この午後の物語が新しい章へと進んだことを告げていた。


 店内は柔らかな光に包まれ、木製の本棚が高くそびえ立ち、まるで静かに並ぶ森の木々のようだった。一冊一冊の本が林の奥に隠された秘密のように佇んでいる。空気には紙と古い木の香りが溶け合い、その穏やかで落ち着いた気配が歩調を自然とゆるめていく。


「この本屋さん……すごく雰囲気あるね」


 思わず感嘆を漏らしながら、視線を背表紙に沿ってゆっくり滑らせる。


「でしょ?」


 神崎さんは横顔でふっと笑い、声をひそめるように優しく言った。


「昔はよく一人で来てね、気づいたらここで丸一日過ごしてたの」


 そっと私の手を取った。指先の温もりが掌を通して伝わり、心臓の鼓動は静かに乱れていく。彼女は穏やかな歩調で小説コーナーへ進み、揺れるベージュのスカートと、灯りに照らされて揺れる黒髪が柔らかな光を映していた。


 私は目を伏せ、繋がれた手に視線を落とし、それから床に映る重なり合った影へと目を向ける――それは二人が離れない証だった。唇を噛みしめると、胸の奥に言葉にできないときめきが広がる。


 新刊をめくる指先がふと止まった。


「あれ、これって……?」


 思わずつぶやき、棚からその本を抜き取る。


 表紙には濃厚なファンタジー調のイラストが描かれていて、緻密な筆致がまるで異世界へと誘うようだった。鮮やかな魔法陣と少女剣士がそこに佇み、思わず目を奪われてしまう。そして右下の目立たない小さな場所には、見慣れたペンネーム――「星の音」が刻まれていた。


「……神崎さんの本、まだ売ってるんだ?」


 思わず声を上げてしまい、驚きと信じられない気持ちが入り混じった視線を彼女に向ける。


 神崎さんは少し身を寄せ、表紙を覗き込む。その黒髪に天窓からの光が差し込み、やわらかな輝きをまとわせていた。


「うん、意外でしょ?」


 彼女は笑みを浮かべながら言う。声にはいつもの落ち着きがあったけれど、その微笑みの奥には見過ごせない静けさが隠れているように思えた。


「もう数年前に書いたものだし、そのあと新作も出していないのに……まだ置いてもらえてるなんて、ちょっと不思議だよね」


 私は視線を落とし、改めて表紙を見つめた。指先が彼女の名前をそっとなぞる。その文字列は、まるでずっと前から心に刻まれていたかのように馴染んでいる。胸の奥にためらいと躊躇がふっと浮かび、唇を噛んでから、できるだけ静かに声を漏らした。


「じゃあ……また書きたいって思うことは、あるの?」


 その瞬間、神崎さんの笑顔がふっと止まった。まるで湖面にそよ風が吹き、静かに波紋が広がるみたいに。その瞳、いつも自信と光に満ちていたはずの眼差しが、今は薄い霧に覆われているように見えた。


「未来のことなんて……誰にもわからないからね」


 静かに返した声は柔らかかったけれど、そこには胸を締めつけるような脆さが潜んでいた。


 私はうまく言葉を見つけられず、ただ小さく俯いたまま呟くしかなかった。


「……私はね、神崎さんの物語、本当に大好きだよ」


 言葉を口にした瞬間、胸の奥で心臓が激しく波立った。勇気を振り絞って神崎さんをそっと見上げると、神崎さんの視線が一瞬止まり、睫毛がかすかに震えた。彼女は瞬きをして、まるで何かに触れられたように表情を揺らす。そして、ゆっくりと私の方を向き、口元に小さな微笑みを浮かべた――それは人前で見せる完璧な笑みではなく、心の奥から零れたような、理解されることの温もりに満ちた優しさだった。


「ありがとう、遥」


 その声は羽のように軽く、心の先端にそっと落ちて、胸の内に柔らかな波紋を広げていく。


 私は長く彼女を見つめる勇気が持てず、怯えるように小さく言った。


「もし……もしできるなら、また書いてほしいな。出版とか関係なくてもいい……ただ、自分のために書く姿を見ていたいの」


 神崎さんの瞳がわずかに大きく開かれる。まさか私がそんなことを言うとは思わなかったのだろう。次の瞬間、彼女は俯き、きらめくような水の気配を瞳に隠した。


 小さく頷きながら、彼女は囁くように言った。


「……そんなふうに言ってくれたの、遥が初めてだよ」


 その指先がそっと力を込め、繋いだ手を強く握り返してくる。その瞬間、閉ざされていた心の扉がほんの少し開く音を、確かに聞いた気がした。


 私たちは本棚の間を並んで歩き続けた。指先が時折古びた表紙に触れる。紙と木の香りが溶け合い、まるで時の流れさえ静かに緩やかになっていく。


 ふいに、神崎さんが目立たない棚の隅から一冊の本を取り出し、こちらに差し出してきた。


「これ……遙が好きそうだなって思った」


 視線を落とすと、表紙には夕暮れの校庭を並んで歩く二人の少女が描かれていて、柔らかな金色の光に包まれていた。


「え、わ、私そんな……!」


 思わず慌てて否定したけれど、耳の先まで熱くなっていくのを自分でもごまかせない。それでも、素直にその本を受け取った。


「中の主人公、遙にそっくりだよ。優しくて、繊細で……ちょっと恥ずかしがり屋なところとか」


 彼女はふわりと笑みを浮かべ、その瞳にはからかうような優しさが宿っていた。


 私は視線を逸らし、胸の奥で抑えきれない鼓動がどんどん速くなっていくのを感じた。


 書店の一角に、小さな二人掛けのソファがあった。神崎さんは軽やかに腰を下ろし、すぐに隣の席をぽんと叩いて笑った。


「ほら、一緒に読もうよ」


 一瞬だけ迷った後、私は彼女の隣に腰を下ろした。けれど座った途端、肩がそっと触れ合う。衣服越しに伝わるその温もりが肌に滲み込んできて、心臓の音はますます激しく跳ねた。


 彼女は本を開き、指先がやさしくページをなぞっていく。その一つ一つの仕草が、私の心を静かに震わせる。


「ここ、この文章いいよね」


 神崎さんが囁くように言った。その声は耳元すれすれで、吐息が首筋に触れるほど近い。


「遙も……好きな人と、こうやって一緒に本を読みたいって思ったりする?」


 その息遣いが首筋をかすめ、柔らかくてあたたかい。耳の奥まで一気に熱が広がり、頬は真っ赤に燃える。


「わ、わかんない……」


 小さく答えながら、視線は落ち着かずページの上をさまようばかり。胸の内はもう、平静なんて保てなかった。


 神崎さんはそれ以上言葉を重ねず、ただ静かに私を見つめていた。その唇には、消えそうで消えない微笑が浮かんでいる。私は慌てて本を持ち上げ、赤く染まった顔を隠そうとしたけれど、心臓の音はますます大きく耳に響いてきた。


 この距離……近すぎる。夢なんかじゃなくて、本当に今ここにある、信じられないほどの幸せ。

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