第8話 この想い、私が抱いてもいいの?
部屋に戻った私は、そのままベッドに倒れ込んだ。電気は点けず、窓の外から差し込む月明かりだけが天井をぼんやりと照らしている。かすかで、曖昧な光。
今日の試合は終わった。私たちは負けた。彼女――佐藤遥は、今にも泣き出しそうなくらい落ち込んでいた。あれほどまでに一生懸命で、あれほど真剣に頑張っていたのに……それでも勝てなかった。
どうしてあの時、私は更衣室に入ることができたのだろう。どこから出てきたのか分からない勇気。でも、彼女が顔を上げて、涙を浮かべたその瞳を見た瞬間、胸がぎゅっと締めつけられた。あの時、私はただ、彼女に笑ってほしいと思った。それが、ほんの一瞬でもいいから。
だから言ったんだ――ご褒美はなくなっちゃったけど、罰としてキスしちゃうよって。
そして、私は本当にそうした。
私の唇は、彼女の頬にそっと触れた。その感触は、思っていたよりも柔らかくて、思っていた以上に――心臓が跳ねるほどだった。気づけば胸の奥がばくばくと鳴り響いていて、今にも破裂してしまいそうなほど。
この行動が何を意味するのか、私には分かっていた。私は、どんな感情の中に足を踏み入れているのかを、分かっていた。それでも……止まれなかった。私の心は、少しずつ、でも確実に――佐藤さんに奪われていった。
彼女の不器用なところ。彼女のまっすぐで、真剣な目。私の背中を必死に追いかけてくる、そのひたむきな姿。そして何より、私が「もうひとりで大丈夫」と思い込もうとしていたとき、そっと寄り添ってくれたのは――彼女だった。
彼女がいたからこそ、私は再び、人が自分のために何かをしてくれるという実感を得られた。……だけど、それが怖かった。
――もし、彼女もいなくなったら?
その言葉が、頭の中を離れない。もう何年も経っているのに、それはまるで傷跡のように、少し触れただけで痛み出す。
中学時代の記憶が、陰のようにそっとよみがえる。あの頃、心から信じていた友達が、私の一番苦しいときに背を向けた。
こっそり打ち明けた悩みを、彼女は笑い話にして他の子に言いふらした。私の信頼を踏みにじって、私を話のネタと笑いものにして、最後にはあの目でこう言った――
「神崎星奈?よくそんな演技できるね」
「表ではいい子ぶってるけど、裏では全然違うじゃん」
あの声は、針のように鋭く、皮膚を突き刺し、骨の奥にまで入り込んだ。いくら時間が経っても、ナイフで刻まれたように、消えずに残り続けている。
あの日から私は、自分自身に誓った。もう二度と、心を誰にも預けない。完璧で、非の打ち所がなくて、「みんなに好かれる神崎星奈」でいればいい。誰にも隙を見せず、誰にも心を開かなければ、もう傷つくこともない。距離を取り、誰も近づかせなければ、私は私を守れる。
それで、十分なはずだった。
なのに、どうして。どうしてあの子が悲しそうな顔をするたびに、私はこんなにも胸が締めつけられるの? どうして彼女が近くにいると、私はどうしようもなく、彼女の温もりに触れたくなってしまうの?
私は肩をぎゅっと抱きしめ、顔を枕に埋めた。心の奥で、何かが静かに、音もなく崩れていくのが分かった。
「……佐藤さん。もし、あなたなら……少しくらい、信じてもいいのかな」
風に紛れてしまいそうなほどの小さな声。でもそれは、私が誰にも言ったことのない、本当の本音だった。
また傷つくかもしれない。また、期待を裏切られるかもしれない。それでも――それでも私は、あなたにもっと近づきたいと思ってしまう。もっと、あなたを見ていたい。その手に、私の手を重ねてみたい。
……こんな想い、私が抱いてもいいの?