第3話 平凡の中に、星の光が瞬く
放課後、空はやわらかな橙色に染まりはじめていた。
私はいつものように学校の図書室へ向かい、そっと扉を開ける。すると、静けさがふわりと全身を包み込んだ。この場所は、昔から私の避難所だった。図書室特有の本の香りと、少しひんやりとした空気は、私の心を穏やかにしてくれる。
私はいつもと同じ、図書室の奥まった隅の席を選んだ。この席は滅多に誰にも気づかれず、どんなときでも落ち着いて本を読むことができる。人と関わるのが苦手な私にとって、ここは逃げ場でもあった。
手に持ったラノベを開くと、すぐにその世界に引き込まれた。このシリーズは中学生の頃からずっと読み続けていて、物語は胸を打ち、登場人物は生きているように感じられる。何度読んでも共感できて、読むたびに心が震える。この物語の世界に吸い込まれていくような感覚が、私はたまらなく好きだった。
すっかり物語に没頭していたそのとき、耳慣れた澄んだ声が私の思考を中断させた。
「……あれ? ラノベ、読んでるんだ?」
顔を上げると、そこには優しい笑みを浮かべた女の子が立っていた。柔らかく整った黒髪に、どこか親しみを感じさせる明るい瞳。その視線が、まっすぐに私を見つめている。
——神崎星奈。
心臓がドクンと跳ねた。言葉を忘れて、私はただ呆然と頷いた。
「ラノベ、好きなんだ?」
彼女は柔らかく問いかけてくる。その声には好奇心がこもっていたけれど、まったく嫌な気配はなかった。
「うん……このシリーズがすごく好きで」
私は少し恥ずかしそうに答え、つい視線を逸らしてしまう。
「そっか〜」
彼女はにっこりと微笑み、続けて言った。
「でも、さっきの顔……もしかして、自分でもちょっと変かなって思ってる?」
「ううん、変っていうより……ラノベって、一般的にはオタクっぽいって思われるじゃない?」
私はためらいながらも、思い切って言葉にした。
「それって、他人の価値観だよね」
彼女は首を横に振りながら、変わらず優しい目で私を見つめていた。
「好きなものを好きって思うのは、その人の自由なんだよ。他の人がどう思おうと、関係ないじゃん」
私は思わず目を見開いた。その真っ直ぐな瞳に見つめられ、胸の奥がじんわりと温かくなった。
「……ありがとう。そんなふうに言ってくれて」
自然と声が漏れた。顔がじんわり熱くなっていくのが分かる。
「まさか、あなたがそう言ってくれるなんて思わなかった」
神崎さんはにこっと笑いながら、さらりと言った。
「当然じゃん? 私が変な目で見たりすると思ったの? 実はね、前からずっと気になってたんだよ、あなたのこと」
「えっ? どうして……私のこと、気にしてたの?」
思わず戸惑ってしまい、心臓の鼓動がどんどん早くなっていくのを感じた。
「だって、特別じゃん」
彼女は少しだけいたずらっぽい声でそう言った。
「いつも一人で、静かにここで本を読んでて……気にならないわけないでしょ?」
私は何も言えなかった。というか、頭が真っ白になってしまって、言葉が出てこなかった。ただ、頬の熱さだけがじわじわと広がっていく。
「じゃ、そろそろ行くね」
彼女は微笑みながら立ち上がった。
「また今度話そ? そのラノベの感想、もっと聞かせてほしいな」
彼女は手を振り、軽やかに図書室を後にした。
私はその場に呆然と座り続けていた。胸の奥に、今まで感じたことのない感情がふわりと浮かび上がる。思わず胸に手を当ててみても、鼓動はまったく落ち着かなかった。
なんで、彼女は私なんかに興味を持ったんだろう。私たちなんて、きっと交わることのない、まったく別の世界にいるはずなのに。
彼女の、あの笑顔。そして——「特別だよ」って言葉。
それを思い出すたびに、胸の奥にぽっと灯るような、言葉にできないあたたかさが広がっていく。
もしかしたら、ずっと何の変化もなかったと思っていた私の世界が、彼女という存在によって、ほんの少しずつ、変わり始めているのかもしれない。