第6話 サッカーグラウンドの激闘(一)
早朝の空は淡い青に染まり、雲は薄いヴェールのように広がっていた。陽射しはまだ鋭くはないけれど、すでに空気にはほんのりとした温もりが漂っていた。
私は鏡の前に立ち、身に着けたユニフォームを見つめながら、鼓動が少しずつ速まっていくのを感じていた。これが、私がこのサッカー部に入ってから初めて踏み出す公式の試合。やっぱり緊張する……。
昨日、神崎さんから「明日応援に行くね」というメッセージが届いていた。その最後には「もし勝ったら、ご褒美をあげるよ」と一言添えられていた。その“ご褒美”が何なのかは分からない。けれど、彼女が観客席で私を見ている姿を想像するだけで、胸が苦しくなるほど高鳴ってしまう。
「遥、そろそろ出発だよ!」
キャプテンの高橋先輩の声が更衣室の外から響いた。
「うん、今行きます!」
私は深く息を吸い、すね当てをつけてシューズの紐を結び、仲間たちと一緒に校門を出た。
試合会場に着くと、すでに多くの選手が芝生の上でウォーミングアップをしていて、観客席にも次第に生徒や保護者たちが座り始めていた。たかが学校同士の親善試合——そう思っていたはずなのに、場の空気は異様に張り詰めていた。
「いつも通りのリズムでやればいい。余計なことは考えなくていいから」
高橋先輩が背中を軽く叩き、揺るぎない眼差しを向けてくる。
私は強く頷いた。まだ足は少し震えていたけれど、胸の奥にはひとつの思いがはっきりと灯っていた。
——神崎さんの前で、一度でいいから輝きたい。
サイドラインで、すぐに彼女を見つけた。神崎さんは観客席の中央あたりに座り、淡い色のブラウスにニットベストを重ねていた。陽光に照らされた長い髪が風に揺れ、彼女は手を挙げて私に小さく振ってみせた。
「がんばってね、佐藤さん!」
彼女は小さなガッツポーズを見せ、口元には私が一番よく知っている笑顔が浮かんでいた。
その瞬間、胸の奥がやわらかな何かにそっと触れられたように温かくなる。——私は頑張る。君に、私の輝きを見てもらうために。
笛の音が鳴り響き、試合が始まった。相手は体力も技術も兼ね備えた強豪で、序盤から次々と攻撃を仕掛けてきた。私たちの守備は早くも押し込まれ、息が詰まりそうになる。
「遥、前に上がって!」
高橋先輩の声が飛ぶ。
「はい!」
私は即座に駆け出し、中盤からのパスを受けてボールを敵陣へと運んだ。
汗が額の髪を濡らし、呼吸は荒くなっていく。その合間にちらりと視線を送ると、神崎さんがサイドラインから真っ直ぐにこちらを見ていた。手には水のボトルを握りしめ、その瞳はまるで光を宿したように輝いていた。
「クロス——!」
味方の声が飛ぶ。私はすぐにボールを浮かせ、ひねりを効かせた軌道でゴール前へと放った。
ボールは正確に味方の足元に届き、そのままシュートが放たれる。
「ゴール!!」
歓声が場を揺らし、私たちは先制点を奪った。
観客席の神崎さんに目を向けると、彼女は笑顔で拍手をし、唇が小さく「すごい」と動いた。
その瞬間の笑顔に、私の心はいっぱいに満たされた。試合はまだ続いている。戦いはこれからが本番だ。けれど少なくとも今、私は陽射しの下で、自分のために、そして彼女のために走っている。
後半戦開始の笛が鳴ったときには、すでに両脚は鉛のように重く、呼吸も前半ほどは整っていなかった。けれど、ここで緩めるわけにはいかない。
相手はまるで別のチームになったかのように次々と激しい攻撃を仕掛けてきて、私たちは押し込まれ、息をするのも苦しいほどだった。そしてついに、相手は好機をつかみ取り、シュートを決めて同点に追いついてきた。せっかく掴んだリードは、あっという間に消えてしまった。
「佐藤さん、右にカバー入って!」
「私が守る、任せて!」
仲間たちが必死に声を掛け合い、全員でゴールを守ろうとする。私も歯を食いしばり、走ってはパスを出し、全力を尽くして食らいついた。
だが残り五分。相手の速攻。私はあのパスコースを塞がなければならなかった。けれど足を伸ばした瞬間、ほんのわずかにバランスを崩し、ボールはするりと足元を抜けてしまった。
次の瞬間、相手のストライカーが突破し、そのままシュート。
「……!」
ボールは無情にもゴールネットを揺らした。
観客席が一瞬静まり返り、すぐに相手チームの歓声が爆発する。その反対に、私たちの側は沈黙に包まれていた。
私は呆然と立ち尽くしたまま、ゴールの中に転がるボールを見つめていた。まるで私の無力さを嘲笑うかのように、そこに転がっていた。
そして笛の音。試合終了。私たちは……負けた。




