第3話 グラウンドの外の交流
夕陽がゆっくりと地平線に沈み、街には温かな橙色の光が降り注いでいた。微風がそっと吹き抜け、ほんのりとした涼しさを運んでくる。私は高橋先輩と一緒に練習道具を片付けていた。グラウンドの部員たちはすでに帰路につき、残っているのは私たち二人だけ。夕陽に照らされながら、最後の片付けを終えていた。
「これで大体終わりかな?」
先輩は手を軽く払って、満足そうに微笑む。
「今日の練習、すごく良かったよ」
「ありがとうございます、先輩」
私は小さく頷き、思わず口元に微笑みが浮かんだ。
ここ数週間で、私は少しずつチームに溶け込み、仲間たちとの連携も自然にできるようになってきた。最初の頃の緊張やぎこちなさは消え、今ではみんなと呼吸を合わせてプレーできる。それが何よりも心強く、安心できる変化だった。
サッカーは、もう一人きりで背負うものじゃなくなった。仲間と肩を並べて戦う大切なものになったのだ。
「今日もお疲れさま」
先輩が私に視線を向ける。
「家はどっち? 一緒に帰ろっか?」
「えっと、私はこっちの方に……」
「よかった、私も同じ!」
先輩はぱっと花が咲くように笑った。
「じゃあ、一緒に帰ろう」
黄昏の道を並んで歩く。遠くからは部活動を終えた生徒たちの笑い声が響き、時折通り過ぎる車のライトがちらりと輝いていた。
「そういえばさ、遥」
先輩は軽やかに言った。
「君のサッカースタイル、本当に特別だと思う。私はそういうタイプの選手、すごく好き。君と一緒にプレーするの、すごく楽しいんだ」
その言葉を聞いて、私は一瞬固まってしまい、思わず俯いた。こんなふうに言われたのは、今まで一度もなかったからだ。
「……ありがとうございます」
声は少し小さかったけれど、心からの喜びが滲んでいた。
「ねえ、名前で呼んでもいい?」
先輩が突然尋ねた。
「はい、いいですよ。遥って呼んでください」
「遥か……うん、いい名前だね」
先輩は笑いながら、どこか親しげに言った。
「遥、ちょっと気になるんだけど、昔もサッカーやってたんでしょ? どうしてやめちゃったの?」
私はほんの少し足を止め、鼓動が一拍遅れたように感じた。それは、ずっと閉ざしてきた記憶。けれど今の私は、もう一度向き合う勇気を持てたのだろうか。
「……中学の頃です」
私は深く息を吸い、落ち着いた声で話し始めた。
「当時の私は内気で、人とのコミュニケーションが得意じゃなくて……それでチームメイトとの間に誤解が生まれました。それに……技術的にも問題があったんです」
「技術的な問題?」
先輩は眉を寄せる。
「どういうこと?」
「ある試合で、すごく大事な場面で私がシュートを外してしまって……結局、私たちはその試合に負けてしまったんです」
脳裏に浮かぶ光景に、拳が自然と握り締められる。
「試合のあと、私はチームのみんなと問題を話し合おうとしたんですけど、結果は……」
私は苦笑して、夕陽に染まる空を見上げた。
「みんなはね、あの大事なシュートを外したのは私なのに、逆に人のミスを指摘してるって……そんな資格なんてないって言ったんだ」
「……そんなことってある?」
先輩の声には信じられない色が混じっていた。
「彼らは自分たちはよくやっていた、問題は全部私にあるって……私が『足を引っ張る存在』で、チーム全体を台無しにしたって」
私はゆっくりと口にした。表面上は落ち着いて聞こえるその声の奥に、どれだけの自責と無力感が隠されているかを知っているのは私だけだった。
「本来ならチームスポーツなんだから、勝ち負けは全員で背負うものなのに」
先輩は眉をひそめた。
「全部一人に押しつけるなんて……ひどすぎるよ」
「……頭ではそう思っても、残念ながらみんなは違ったんです」
私は小さく息を吐いた。
「それから彼らは私を避けるようになって、練習でもわざと無視するようになった。私はそのとき思ったんです。もう必要とされていないのなら、いっそ自分から去ったほうがいいって……だから、私は自らチームを離れました」
数秒間の沈黙の後、先輩は小さく息を吐き出した。
「……あまりにも不公平だね」
「本当は、私のせいなんじゃないかって考えたこともあります」
私は俯きながらつぶやいた。
「もしあのとき、もっと強くて、もっと積極的に仲間に溶け込めていたら……こんなことにはならなかったんじゃないかって」
「遥、それは違うよ」
先輩は揺るぎない声で言った。その口調には一切の迷いがなかった。
「本当のチームっていうのは、互いに支え合い、共に成長していくものなんだ。あのときの遥は、ただ運が悪かっただけ。チームワークを知らない人たちに当たってしまっただけなんだよ」
私ははっとして、彼女を見上げた。
「それにね」
先輩は笑って、そっと私の肩を叩いた。
「こうしてまたサッカーに戻ってきたんだから、それが一番大事なことなんだ」
「……はい」
胸の奥に何かが優しく触れ、じんわりとした温もりが広がっていくのを感じた。
「これも神崎さんのおかげだね」
私は小さな声で言った。
「あの子がずっと励ましてくれたからこそ、私は勇気を出してもう一度サッカーに戻ろうと思えたんです」
「そうだね」
先輩も頷いて、微笑んだ。
「私も感謝しなきゃ。星奈さんのおかげで、いい仲間が増えたんだから」
夕陽に照らされた道を並んで歩く。私たちの影は長く伸び。その瞬間、過去に抱えていた痛みが、不思議と少しだけ軽くなった気がした。
——だって今の私は、もう一緒に戦ってくれる仲間を持っているのだから。




