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冴えない私が輝く星と出会った  作者: 雪見遥
第5章 緑のフィールドへ、私が再び走り出す理由

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第2話 サッカー部の練習

 放課後のグラウンドは、澄んだ陽射しにやわらかな金色を纏い、防護ネットを抜けた風が芝と土の入り混じった匂いを運んでくる——それは、ピッチだけが持つ特別な香りだった。


 更衣室の鏡の前に立ち、指先でユニフォームの裾をそっとつまむ。腹の奥に伝わる、かすかな震えが指先にも波及しているのがわかる。サッカーウェアに身を包んだ自分は、どこか見慣れない姿だった。それは服装だけのせいじゃない。これから挑戦を迎える、その覚悟の表情のせいでもあった。


 何年ぶりだろう、再びこのピッチに立つのは。胸の奥に少しの期待と、不安が同時に渦巻く。果たして私は、昔のようにプレーできるのだろうか。神崎さんに勧められて入部したサッカー部……ここは本当に、私の居場所になってくれるのだろうか。


「よーし、準備ができた人からグラウンド集合! ウォーミングアップ始めるよ!」


 高橋先輩の明るく弾む声が更衣室に響く。部員たちは次々と応じて外へ出ていき、空気が一気に活気づいた。


 私は息をひとつ吸い込み、悩みをひとまず胸の奥にしまい込んで、列の後に続く。


 最初のメニューはフィジカルトレーニング。フィールドに出ると、陽光がゴールの白いクロスバーを淡く照らし、緑の芝生は風にきらきらと光っていた。空気には運動場特有の清々しさが満ちている。


「今日はフィジカル、ドリブル練習、最後にミニゲームだ」


 前に立つコーチが腕を組み、厳しい口調で告げる。


「始め!」


「はい!」


 部員たちの返事がそろって響き、すぐにそれぞれの動きへと移った。


 私もみんなに合わせてトラックを走り出す。スパイクと芝の擦れる軽い音があちこちから聞こえ、息遣いが空気を満たす。それでも誰ひとり弱音を吐かず、全員が速度とリズムを崩さないことだけに集中していた。


 ……よかった、身体はまだ覚えてる。


 久しぶりの本格的なチーム練習。それでもピッチに足を踏み入れた瞬間、少しずつ感覚が戻ってくる。最初はぎこちなく、呼吸も乱れがちだったけれど、ペースが合ってくると耳に届くのはスパイクの音と心臓の鼓動だけになった。額を伝った汗がまつ毛に落ちても、不快ではなく、むしろ胸の奥の重さを押し出してくれるような久しぶりの爽快感があった。


「次はアジリティだ。ひとり一球持って、指定コースをドリブル。コーンに当たらないように」


 深く息を吸い、ボールを足元に置く。前方のマーカーとコーンを見据えて集中する。足先で芝をなぞるように動きながら、つま先でボールの向きを細かく調整する。コーンにぶつかりそうになった瞬間、素早く切り返し、身体全体で方向を変えた。


 ……この感覚、やっぱり忘れてない。


 ただ走るよりも、こういう練習の方が身体の記憶を呼び覚ましてくれる。足元で転がるボールの重み、軽く押し出すたびに伝わる感触——それら全部が、昔の自分からの「おかえり」のようだった。


 そして、後半はミニゲーム。二つのチームに分かれて模擬試合を行う。私は高橋先輩と同じチームになった。


「頑張ろうね、佐藤さん!」


 先輩が肩を軽く叩く。その手は柔らかいのに、不思議と頼もしい。


「……うん、全力でやります!」


 ホイッスルが鳴った瞬間、周囲の音が遠のき、耳に届くのはピッチ上の声と足音だけになる。相手チームの選手が軽やかにドリブルで突破を仕掛けてきた。私はすぐに前へ出てパスコースを塞ぐ。猫のようにしなやかなステップで、彼女は一瞬で方向を変え、私のマークを抜けていった。


「……まだ遅い!」


 自分を責める暇もなく、私は勢いよく反転し、必死にボールの動きを目で追いながらポジションを取り直す。


 その瞬間、高橋先輩が絶妙なタイミングでボールをカットし、私の方へパスを送ってきた。


 ——チャンスだ!


 ほとんど迷わず、ボールを足に収めて前へと突き進む。相手ディフェンダーが迫ってくる圧力で頭は一瞬熱くなるけれど、足は妙に冷静で、最後の一瞬に迷いなくボールを先輩へと戻した。


「シュート!」


 先輩は時間を無駄にせず、素早くドリブルで前へ進み、ペナルティエリアに近づいたところで再び私にパスを返してくる。


 深く息を吸い、ゴールだけを見据え、右足を迷いなく振り抜く——「バンッ!」と心地よい音が耳の奥で弾け、ボールは矢のように真っ直ぐゴールへ飛んでいった。


「入った!!」


 チームから歓声が上がる。


 私はその場に立ち尽くし、胸が破れそうなほど心臓が跳ね、熱く乱れた息を必死に整える。この感覚、どれだけぶりだろう。


「ナイスシュート!」


 高橋先輩が笑顔で手を上げ、掌をこちらに差し出してくる。


「ほら、ハイタッチ!」


「……ありがとう!」


 頬を赤く染めながら、高橋先輩とハイタッチを交わす。掌が触れた瞬間、なぜだか涙がこみ上げそうになった。それは悔しさでも悲しさでもなく、あまりにも久しぶりに味わった、こんなにも純粋な達成感のせいだった。


 ***


 練習が終わる頃、夕陽はグラウンド全体を柔らかな金色に染め上げていた。踏みしめられた芝の匂いが清々しく、汗は首筋を伝って襟元へ流れ込み、ひやりとした感触と同時に、全身を覆う心地よい疲労感があった。


「やっと終わった……」


 額の汗を拭い、息を整えながらも思わず笑みがこぼれる。


「疲れた?」


 ボールを抱えた高橋先輩が歩み寄り、見透かしたような優しい光を瞳に宿して笑う。


「ちょっと……でもすごく楽しかったです」


 嘘じゃない。掠れた声にも、自然と本音が滲んだ。


「なら良かった」


 彼女は満足そうに頷く。


「さっきのポジショニングとパス判断、かなり良かったよ。反応も速いし、試合のテンポをよく掴んでる。本当に伸びると思う」


「そんな……」


 少し照れくさくなって頬をかき、視線を逸らす。


「はは、恥ずかしがらないの」


 また軽く肩を叩かれ、その重みが妙に心地よい安心感をくれた。


「二週間後が、うちの初試合だ。その時は、思いきり力を出してね」


「はい!」


 深く息を吸い込むと、全身の血が期待で熱を帯びていくのを感じた。


 夕陽が芝生のフィールドをやわらかな橙に染め、ゴールネットは風に揺れながら、まだ未熟でも全力で走ろうとする私たちを静かに応援してくれているようだった。


 ——今度こそ、この試合を心から楽しみたい。このスポーツそのものの喜びを。もう一度、心からサッカーを愛したい。

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