第4話 雨の中の寄り添い
運動会のリレーが終わったあと、私と神崎さんの出場種目はすべて終了していた。だから二人で並んで運動場の脇に立ち、残りの競技を眺めながら気楽におしゃべりをしていた。グラウンドはまだ賑やかで、選手たちは懸命に走り、観客席からは歓声が途切れることなく響き、旗が風にはためき、この体育祭をいっそう盛り上げていた。
「体育祭って本当に賑やかだね……出場してなかったら、こんなに面白いなんてきっと気付かなかったよ」
私は感心しながら、トラックで繰り広げられる戦いに視線を向けた。
「でしょ? だから最初にあなたをリレーに誘ったのは正解だったってことだよね?」
神崎さんは得意げに口角を上げ、軽く私の肩を叩いた。
「うん……死ぬほど走ったけど、確かに楽しかったよ」
私は苦笑する。
「そういえばさ、前にサッカーやってたことあるって言ってたよね? 私の知り合いにサッカー部の先輩がいて、新入部員を探してるんだって。やってみない?」
「え?」
思わず固まる。
「いや、いいよ。昔ちょっとやってただけだし、別に上手くないし……」
「大丈夫だって。もしかしたら、やってみたら楽しいって思うかもしれないよ? 今回のリレーみたいにさ」
神崎さんは軽くウィンクし、声も明るい。
「……はいはい、好きにして」
私はため息をついた。
「決まりね。じゃあ私から先輩に連絡しておくから、結果はあとで教える!」
彼女は満足げに笑い、自分の仲介計画にご満悦といった様子だった。
そのとき、神崎さんのスマホが突然鳴り出した。私は気にせず視線を競技に戻したが、横目で彼女が画面を見た瞬間、その表情がわずかに変わるのを捉えた。さっきまで笑みを浮かべていた顔から、静かにその色が抜け落ちていく。
神崎さんは立ち上がり、声を抑えて言った。
「ごめん、ちょっと電話出るね」
穏やかに聞こえる声だったが、どこか無理をしている響きがあった。私は何も聞かず、彼女が少し離れた場所で静かに電話に応じる様子を見つめた。その背中はどこかこわばり、指先がわずかに強張っている。まるで何かを必死に押し殺しているみたいだった。
胸の奥に、理由のわからない不安が湧き上がる。どうしてだろう、この電話は――きっと良くないことを運んでくる。そんな予感がしてならなかった。
午後の天気は異様なほど早く変わった。さっきまでの快晴が嘘のように、空は一気に分厚い雲で覆われ、今にも雨を降らせそうなほど重く垂れ込める。案の定、やがて細かな雨粒が落ち始め、すぐに激しい風雨へと変わった。学校は予定を切り上げ、体育祭は早々に終了。生徒たちは傘を広げ、足早に校舎へと駆け込む。さっきまでの熱気が嘘のように、グラウンドは一瞬で閑散としてしまった。
傘を差しながら校舎の渡り廊下を通り、教室へ戻ってカバンをまとめて帰ろうとした。けれど、教室に入った瞬間、神崎さんの姿がまだないことに気付く。
「……なんで、この大雨の中でどこに行ったの?」
胸の奥に再び不安が広がる。私は踵を返し、階段へ向かって校内を探し回った。そして、ようやく見慣れた後ろ姿を見つけた。
運動場脇の片隅にあるベンチ。彼女はそこに、傘も差さず静かに腰掛けていた。長い黒髪は細かい雨に濡れて肩に張り付き、雨粒が首筋を伝って滑り落ち、白く透けるような肌を際立たせている。ただ、空っぽになったトラックを見つめるその横顔は、穏やかすぎてかえって胸を締め付けた。
――どうしたんだろう。さっきの電話で、一体何があったの?
私は一瞬ためらったが、結局足を速めて神崎さんの傍へ行き、傘をそっと頭上に差し掛け、上着を肩に掛けてやった。
「……なんで中に入らないの? こんな雨で、しかも冷えるのに……風邪ひくよ」
神崎さんはゆっくりと顔を上げ、私を見つめてから、無理に口角を引き上げる。
「……ただ、一人で静かにしていたかっただけ」
その笑みは淡く、泣き顔よりもずっと切なかった。少し赤く滲んだ瞳――やっぱり、あの電話のせい? 泣いていたの?
「……何があったの?」
私は小さく問いかける。
「……別に、大したことじゃない。心配しなくていいよ」
彼女は小さく首を振り、風に溶けそうなほど弱い声で答えた。
それでも、無理をしているのは分かる。私は口を開きかけ、そして静かに言った。
「……そばにいてもいい?」
神崎さんは一瞬きょとんとし、意外そうに目を瞬かせた。けれどすぐ、小さく笑みを浮かべ、瞳の奥の寂しさがほんの少し和らぐ。
「……もちろん」
そう言って神崎さんはわずかに身を寄せ、私の肩にそっともたれた。雨粒が傘を叩く音が、一定のリズムで耳に届く。濡れた髪が水滴を含み、私の肩に触れてひんやりとした感触を残す。私は動かず、そのまま彼女を受け止めた。
やがて、神崎さんの肩が微かに震えていることに気付く。そっと袖口を握るその手には、必死に何かをこらえている力がこもっていた。私は問い詰めず、何も言わず、ただ傘を握る手に力を込め、雨粒が彼女に落ちないよう守り続けた。
こうして体育祭は、この突然の雨とともに幕を下ろした。けれど私の心は、まったく静まらなかった。神崎さんの悲しみは、一体どこから来るのだろう。私は、その孤独をもう二度と一人きりで背負わせないことができるだろうか。




