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冴えない私が輝く星と出会った  作者: 雪見遥
第3章 ふたりの心が少しずつ近づいていく

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第5話 その優しさを、私は求めていた

 柔らかいのに冷たいベッドに横たわりながら、私は天井を見つめていた。頭の中から離れないのは、今日あった出来事ばかりだ。


 ――あったかいな。佐藤さんが、こんなふうに優しくしてくれるなんて。


 壁新聞の材料を買いに行く道で、私は佐藤さんと肩を並べて歩いた。夕陽の残光が私たちを包み込み、影が地面で交差し、まるで魂まで寄り添っているようだった。その瞬間、私はいつもの仮面を忘れ、隠し方も忘れ、思わず心の奥にある言葉を彼女に零してしまっていた。


 本当は、私はもう一人で全部を抱え込むことに慣れてしまっているのに。どうして彼女は、こんなにも簡単に私の心を開かせてしまうのだろう。


 あの日の出来事以来、私は人に合わせることを覚え、完璧な仮面をつけ、「神崎星奈」という、誰からも嫌われず傷つかない自分を演じてきた。そうでなければ、また傷つくから。


 なのに彼女は、そんな私の仮面を容易く見抜き、そして私が一番その正体を知られたくない瞬間に、あの優しい声で言ったのだ――「もし……これから何かつらいことがあったら、私に話してね。だって、私たち、友達でしょ?」


「友達」という言葉が、頭の中で何度も響く。少し苦くて、でも微かに胸をときめかせる音色で。


 ――どうして、佐藤さんはこんなにも私に優しいの?


 部屋は静まり返り、聞こえるのは窓の外からたまに響く車の音と、風がカーテンを揺らすサラサラという音だけ。私は小さく寝返りを打ち、枕を抱きしめる。浮かぶのは壁新聞のことではなく、あの日、佐藤さんが私の家の前に立っていた光景だった。


 熱を出したあの日、世界は灰色の静寂に包まれていた。頭は割れるように痛み、体はあまりにも力が入らず、寝返りを打つことさえ辛かった。意識が少しずつ霞んでいく中、私はただ一人、がらんとした部屋に横たわり、冷たい布団にくるまれていた。その冷たさは、体を覆っていても決して本当の安心感を与えてはくれなかった。


 私は、こういう状況に慣れている。


 両親は仕事で忙しく、物心ついた頃から関心は「必要なものは自分で買いなさい」「今月の生活費、振り込んでおいたから」といった言葉だけ。物質的な支援はあっても、本当の意味での寄り添いや温もりはなかった。だから、病気であろうと、つらい気持ちであろうと、きっと彼らにとっては取るに足らないことなのだろう。


 誰かに看病してもらえるなんて、最初から期待していない。どうせ、このまま静かに消えてしまっても、誰も気づかないのだから。


 意識が完全に暗闇へ沈みかけたとき、突然、チャイムの音が鳴った。


「……誰?」


 頭のくらみを堪えながら、重い足を引きずって玄関へ向かい、力を振り絞って鍵を回す。


 ドアの外に立っていたのは――佐藤さんだった。


「……大丈夫?」


 彼女は少し眉を寄せ、瞳にははっきりとした心配の色を浮かべていた。


 制服姿の佐藤さんの手には、ビニール袋。中にはスポーツドリンク、冷却シート、そしていくつかの薬が入っていた。


「……なんで、来たの?」


 声はひどく掠れて、自分のものとは思えなかった。


「先生から宿題を届けるようにって頼まれて……」


 彼女はそこで一度言葉を切り、少し声を落として続けた。


「それで……風邪ひいたって聞いたから、ついでにこれも買ってきたの」


 ついで――そんなはずない。


 ほんのり不安を宿した瞳と、そっと下唇を噛む仕草。それを見てしまったら、とても「ついで」だなんて信じられない。佐藤さんは私を心配してくれている。その事実が、胸の奥を強く叩いた。


「こういうのは、当たり前でしょ」


 小さく息を吐いた彼女は、ふっと表情を和らげてから尋ねた。


「……家族は?」


 私はわずかに目を瞬かせ、口元に苦笑を浮かべる。


「……忙しいから、きっと気にもしないよ」


 短い沈黙。何か言いたげな表情をした彼女は、結局言葉を飲み込み、代わりに私の腕をそっと支えた。


「とにかく、部屋に戻って休もう」


 私は抵抗せず、そのまま佐藤さんに支えられてベッドに戻り、再び横になった。彼女は慣れた手つきで冷却シートを破り、そっと私の額に貼る。ひやりとした感触に思わず身をすくめるが、不思議と胸の奥までじんわりと安らぎが広がった。


「……冷たい」


 小さく呟きながら、霞む視界の向こうで彼女を見つめる。


「冷却シートなんだから、冷たいのが普通でしょ」


 彼女は小さく笑い、その声にはわずかな呆れと、それ以上に優しさが混じっていた。その笑顔は、柔らかくて、あたたかかった。


 その後、佐藤さんは私のベッドの横に静かに腰掛け、何も言わずにいてくれた。それだけで、この冷え切った部屋はもう孤独な場所ではなくなった。半分夢の中に沈みかけた頃、額をなでるあたたかな手の感触があった。熱を確かめるようにも、不安な心をそっと宥めるようにも感じられた。それが夢だったのか現実だったのかはわからない。ただ、その温もりだけは、確かに心の奥に残っていた。


 ――生まれて初めて、病気のときに感じたあたたかさだった。


 そこまで思い返して、私は無意識に手を額へと伸ばす。もうその温もりは残っていないのに、記憶の中ではまだ確かにそこにあった。頬がじんわり熱くなる。今まで誰も、こんなふうに私を気遣ってくれたことなんてなかったのに……。


 窓の外はすっかり夜に包まれ、遠い星が瞬いている。あまりに遠く、触れることなどできない。それはまるで、私の人生そのもののようだった。この広くて豪華な部屋には、やはり本当の温もりはない。


 孤独に呑み込まれないよう、私はずっと努力してきた。誰もが望む私を演じ、完璧な仮面をかぶり続け、そのうちに自分でも何が本当の幸せなのか分からなくなっていた。けれど、佐藤さんの存在が、この凍りついた世界にほんの少しの温もりをもたらしてくれたのだ。


「……佐藤さん」


 私はそっとその名を呟き、気づけば口元に微笑が浮かんでいた。


 もし叶うなら、ずっと彼女のそばにいたい。すべての仮面を脱ぎ捨て、無防備なままで佐藤さんに寄りかかり、信じてみたい。でも……それで本当にいいのだろうか。彼女の優しさは、いったいどれほど続くのだろう。もし本当の私を知ったら、それでもそばにいてくれるのだろうか。もし、いつか彼女が私に微笑みかけなくなる日が来たら……。


 瞼を閉じる。胸の奥に、どうしようもない怖さが広がる。それでも、彼女への想いは抑えきれない。きっとこの気持ちは、もう「友達」という枠だけではおさまらないのだろう。


 でも今は、まだそれに向き合う資格がない。だから、どうかもう少しだけ、この温もりに甘えていさせて。せめて今だけは、この短い幸福に身を委ねさせてほしい。

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