第4話 掲示板の向こうにある本音
前に神崎さんの看病に行ってから、一週間が経った。
今日は放課後、クラス全員で掲示板の制作をすることになっている。
クラス委員長である以上、この作業から逃げるわけにはいかない。
だけど、みんなの前で自分の意見を言わなきゃいけないと思うと、それだけで緊張してしまう。
「今回の掲示板、ちょっと高めの素材使ってみない? 絶対審査員の目を引くよ!」
ある女子が興奮気味に提案すると、クラスメイトたちも次々と賛同の声を上げた。
その時、私の心に引っかかるものがあった。
でも、口を開こうとした瞬間、言葉が喉につかえて出てこなかった。
「どうしよう……こんなときに反対意見を言ったら、嫌われちゃうかも……」
でも、クラス委員長なのに、何も言わないなんて無責任じゃない?
悩みに悩んで、ようやく私は深く息を吸い、小さな声で口を開いた。
「わ、私は……素材の高級さよりも、テーマがどれだけ人の心に響くかの方が大事だと思います。
先生や生徒にちゃんと想いが伝われば、高い材料を使わなくても、良い結果が出せるんじゃないかって……」
言い終えた瞬間、顔が熱くなって、私は思わず視線を落とした。
教室内は一瞬、しんと静まり返る。心臓の鼓動が妙に大きく響いて聞こえた。
だけど——
「……なんか、それも一理あるよね?」
「確かに、素材が豪華でも中身がなきゃ意味ないし。」
「佐藤さんの言う通りだと思う。やっぱテーマが大事だよ。」
次第に、賛同の声が教室に広がっていった。
最終的に、みんなが私の意見を受け入れてくれて、掲示板のテーマとデザインが決まった。
——ああ、よかった……
肩の荷が少し軽くなった気がした。
思ったことをちゃんと言葉にするって、思ってたより怖くないんだ——。
放課後、私は神崎さんと一緒に掲示板の材料を買いに出かけた。
夕焼け空が街を赤く染め、私たちの影も長く伸びていく。
風が頬を撫でて、どこか心地いい。
「佐藤さん、今日のあなた、本当に勇気があったね。」
神崎さんが優しく微笑みながら言った。その目には、真っ直ぐな賞賛が宿っていた。
「自分の考えを、ちゃんと伝えられてた。」
「実は……めちゃくちゃ緊張してたよ。嫌われるんじゃないかって、すごく怖くて……」
私はうつむいて、小さな声で答えた。頬が少し熱を帯びているのを自分でも感じた。
「本音って、意外と嫌われないものだよ。」
そう言って彼女は、私の肩をぽんと優しく叩いた。
「……昔の佐藤さんは、きっとそれが怖くて、人との関わりを避けてたんだよね?」
ドキッとした。
まるで、私の内面をすべて見透かされたみたいで。
私は小さくうなずいた。
「……うん、そうかもしれない。」
夕陽を浴びた彼女の横顔が、やわらかく照らされている。
私はその光景に見とれながら、勇気を振り絞って尋ねた。
「神崎さんって……普段、他人の期待に応えようとしてるんじゃない?」
その瞬間、彼女の肩がわずかに揺れた。
そして、少しだけ間を置いてから、静かに答えた。
「……たぶんね。もう、そういうのが当たり前になっちゃったのかも。」
彼女の横顔をそっと見つめた。
この前、彼女の家を訪ねたとき感じた、あの距離感が思い出されて——
胸の奥が、きゅっと締めつけられるような感覚になった。
「……もしかして、ご家庭もちょっと冷たかったりするの?」
私はそっと彼女の様子をうかがいながら聞いた。
「ごめん、違ってたら……」
神崎さんは一瞬だけ表情を曇らせたけど、すぐにいつもの笑顔を浮かべた。
「ううん、そういうんじゃないよ。ただ、うちの両親はすごく忙しくてね……一緒にいる時間がほとんどないだけ。」
淡々としたその口調の奥に、かすかに悲しみが滲んでいるのが、私にははっきり分かった。
ほんの一瞬だったけど、確かに彼女の瞳の奥に「寂しさ」が見えた気がした。
「……そうなんだ。」
私はそっとつぶやき、少し重たくなった空気の中で歩き続けた。
「でもね、佐藤さんの生活……ちょっと羨ましいなって思うんだ。」
神崎さんがふいに私を見て、穏やかな微笑みを浮かべる。
「え……?」
私は意外そうに彼女を見返した。
「自由に生きてる感じがするの。誰かの期待に応えるためじゃなくて、自分のやりたいことをしてるっていうか。」
「正直……最近になってようやく少しずつ慣れてきたんだ。」
私は小さく笑って答えた。
「昔は毎日が怖かったけど、神崎さんがいてくれたから……少しずつ日常を楽しめるようになったの。」
数秒の沈黙のあと——
神崎さんは静かに、でもはっきりと言った。
「……だから羨ましいの。自分のままでいられるあなたが。」
彼女のその一言が、胸の奥にじんわりと染みこんでくる。
一見完璧に見える彼女の中には、誰にも見せない孤独があって。
誰にも気づかれない痛みを、彼女はずっと抱えてきたんだ。
私は静かに、だけど確かな気持ちで言った。
「もし……これからつらいことがあったら、私に話してね。何もできないかもしれないけど、私はずっと、神崎さんのそばにいるから。」
彼女は一瞬だけ驚いたように私を見て——
それから、ふんわりと微笑んだ。
「……うん、ありがとう。」
夕陽が沈みゆく空の下。
秋風が私たちの間をすり抜け、少しひんやりとした感覚が心地よくて。
たぶんこの瞬間、私たちの距離はまた少し近づいた。
掲示板づくりの裏側で、得られたもの——
それはきっと、この本音のやり取りだったのだと思う。
心の奥で触れ合うような会話が、こんなにも温かくて。
だから私は、もっと知りたくなった。
この笑顔の奥に隠された、彼女の本当の物語を——。