表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
冴えない私が輝く星と出会った  作者: 雪見遥
第3章 ふたりの心が少しずつ近づいていく

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

14/115

第3話 夕陽に染まる膝枕のひととき

 夕焼けの残光が、ゆっくりと校舎の廊下を染めていく。窓から差し込む温かなオレンジ色の光が床に落ち、長い影を映し出していた。放課後の校舎は昼間の喧騒が嘘のように静まり返り、誰かの足音だけが廊下に反響している。


 今日は黒羽が塾に行く日で、帰る方向が違うから一緒には帰れなかった。本当はこの機会に早めに帰って、自分の部屋で夜までゲーム三昧しようと思っていた。けれど、校門を出ようとしたその時、ふいに聞き慣れた声が耳に届いた。


「佐藤さん」


 足を止めて振り返ると、そこには神崎さんが立っていた。彼女は口元にうっすらとした微笑みを浮かべていた。


「どうしたの?」


 私は首をかしげて尋ねた。


「さっき先生がね、クラス委員にちょっと用があるって言ってたの。それで、私と一緒に職員室に来てほしいって」


 彼女は軽やかな口調で言った。その声は、まるで何気なく話題に出したかのようだった。


「そうなんだ?じゃあ、行こっか」


 私は特に疑問も持たず、神崎さんと並んで階段の方へ歩き出した。けれど――ちょうど階段に足をかけようとしたその瞬間、ふいにあたたかな感触がそっと私の手首にふれてきた。


「えっ?」


 私は思わず立ち止まり、戸惑ったまま振り返る間もなく、神崎さんは私の手を取って、そのまま迷いもなく別の方向へと歩き出した。


「ちょ、ちょっと……そっちは職員室じゃないでしょ?」


 私は彼女に手を引かれたまま、驚いた顔で尋ねた。


「あとで説明するから。誰かに見られたら、ちょっと面倒だしね」


 彼女は振り向いて、ニヤリと悪戯っぽく笑いながらも、足取りはまったく緩めなかった。


 この道は……学校の屋上へと続く通路だった。


「……何がしたいのよ」


 私は小さくため息をついたが、結局その手を振り払うこともせず、神崎さんに引かれるまま屋上への階段を登っていった。


 屋上の扉を押し開けると、ひんやりとした夕風が頬をなでた。空気には草木とコンクリートが混じった、少し懐かしい匂いが漂っている。空は淡い金橙色に染まり、雲は夕陽に照らされて夢のようにふんわりと広がっていた。まるで、世界全体がこの静かな光に包まれているかのようだった。


「やっぱりさ、ここがいちばん落ち着くよね」


 神崎さんは柵のそばまで歩いていくと、大きく両腕を広げて、気だるそうに欄干にもたれかかった。長い髪が風になびいて、なんとも言えない開放感を漂わせている。


「で……結局、何か用でもあるの?」


 私は彼女の隣まで歩いていき、ちょっと呆れたような声で問いかけた。


「別に、特別なことがあったわけじゃないんだけど……さっきちょっと人に囲まれてて、疲れちゃって。適当に抜け出す理由がほしくて……そしたら、佐藤さんが見えたの」


 神崎さんは肩をすくめて、口元にふっと笑みを浮かべた。


「だからね、今日は佐藤さんが私の救世主ってわけ」


「……強がってるだけでも、たまには疲れるんだよ」


 彼女は何気ない調子で言ったけど、その一言に私は思わず言葉を失った。


「なんだ、それだけ? 本当に用事があったわけじゃないの?……じゃあ、もう帰っていいよね」


 私はそっけなく言って、くるりと背を向けた。


 でも、本当のところ、逃げ出したかったわけじゃない。ただ、ふたりきりだってことに気づいた瞬間、なぜか心の奥がざわついてしまっただけなんだ。


「そんなこと言わないで、ちょっとだけ付き合ってよ〜」


 神崎さんは私の袖を引っ張って、少し甘えるような声を出した。


「なんでよ。もう帰りたいんだけど」


「私、やっと風邪治ったばっかりなんだよ? まさか病み上がりの人にそんな仕打ちしないよね?」


 彼女は無邪気そうな顔を作りながら、どこか小悪魔めいた光を瞳に宿していた。


「……治ったってことは、もう元気なんでしょ?」


「でもまだちょっとだけ、疲れが残ってる感じ〜」


 そう言って、神崎さんは小さく首をかしげる。その目には、ほんの少しの頑固さが滲んでいた。


 私はその表情を見て、結局ため息をつくしかなかった。


「……わかったよ。ちょっとだけね」


「やった〜!」


 彼女は満面の笑みを浮かべて、私の腕を引っ張ってその場に座り込んだ。


 私は手にしていた小説を開き、神崎さんは隣で静かに座って、遠くの夕陽を見つめていた。微かな風が彼女の長い髪を優しく揺らし、その光景は不思議なほど静かで穏やかな空気をまとっていた。


「この前、看病してくれて……本当にありがとう」


 神崎さんがふいに口を開いた。その声には、かすかな感謝の気持ちが滲んでいた。


「そんなの、気にしなくていいよ。大したことしてないし」


 私は頭を軽く振って答えたけれど、ちょっと居心地が悪くて、声にもそれが出てしまっていた。


「違うってば。佐藤さんって、本当に優しいなって思ったんだ」


 彼女はふわっと笑って言った。


「みんなに対して、そんなに優しくしてるの?」


「そんなわけないじゃん」


 私は眉をひそめた。


「知ってるでしょ、私、人付き合い苦手だし。誰にでも優しくなんてできないよ」


「ってことは……私にだけ?」


 神崎さんは目をぱちぱちさせながら、口元にいたずらっぽい笑みを浮かべた。


「もしかして、つまり――」


「な、なに言ってるのよっ!」


 私は慌てて彼女の言葉を遮った。心臓がドクンと跳ねる。


「ただの友達が風邪ひいたから、ちょっと世話しただけだし! 別に深い意味なんてないから!」


「ふ〜ん?」


 神崎さんは首を傾げたまま、じっと私の顔を見つめてきた。その視線が、本当に嘘か本当かを見極めようとしているみたいで、息が詰まりそうになる。


「もちろんだよっ!」


 私はあわてて話題を変えた。


「それより、あんたの方こそさ……私の前ではちょっと違う感じがするんだけど?」


「どうして?」


「他の人と話してるときは、いつも完璧で、なんでもできるアイドルって感じ。でも、私といるときは……もうちょっと『素』っていうか、本当の神崎さんが見える気がする」


「そうなの?」


 神崎さんはふわっと笑い、そして少しだけ顔を傾けて私に尋ねた。


「……そんな私のこと、嫌い?」


「そんなわけないでしょ!」


 私は思わずそう答えて、視線を外す。


「ただ……なんで他の人の前では、そんなに完璧に見せようとするのかなって、ちょっと気になっただけ」


「その質問はね……」


 彼女はそっと目を閉じ、口元に意味ありげな笑みを浮かべた。


「いつか、機会があったら教えてあげるよ」


 そう言って、神崎さんはためらいもなくごろんと横になり、私の太ももにそっと頭を預けてきた。その瞬間、私はびくっと身体をこわばらせた。


「えっ……こ、こんなの……ほんとにいいの?」


 私は小さな声でつぶやきながら、視線をどこに向ければいいのかわからず、胸の奥がざわざわしていた。


「病み上がりだから、まだちょっとだけ……疲れてるの。少しだけ休ませて?」


 彼女は目を閉じたまま、甘えるような声で言った。長いまつげがかすかに揺れ、柔らかな髪が私の手の甲をくすぐる。くすぐったいのに、なぜか嫌じゃなかった。


「……まったく、しょうがないな」


 私は小さくため息をついた。口では文句を言いながらも、彼女を払いのけることはしなかった。


 こうして、私は屋上で彼女に膝枕をしてあげた。ただの膝枕なのに、胸がドキドキしてどうしようもなくて。逃げたいような、でも離れたくないような……そんな気持ちがぐるぐるしていた。


 彼女の呼吸はだんだんと穏やかになり、しばらくすると、本当に眠ってしまったらしい。彼女の髪がそっと私の手の甲をかすめていく。それがくすぐったくて、でも不思議と目を逸らせない。膝の上に落ちる彼女の吐息はかすかに温かくて、呼吸にあわせて上下する身体の動きが、じんわりと伝わってきた。


 風がそっと屋上を通り抜けていく。季節は初秋、どこか肌寒い気配を運んでくる。遠くからは学校のチャイムが聞こえてきて、夕陽が沈む合図のようだった。


 今の神崎さんの顔には、いつもの余裕や完璧さなんて微塵もなくて。代わりにそこにあったのは、どこかほっとしたような、少しだけ疲れのにじむ穏やかな寝顔だった。


 ……きっと彼女も、疲れるときはあるんだ。


 私はその静かな寝顔を見つめながら、思わずそっとつぶやいた。


「……本当に、疲れてたんだね」


 こんな彼女は、いつも無敵で、笑顔を絶やさない神崎星奈とは全然違って見えた。


 やがて空の最後の光が消えかけ、学校の門が閉まる時刻になった頃、私はそっと神崎さんの肩に手を添えて、軽く揺らした。


「ねえ、そろそろ起きて」


 彼女はぼんやりと目を開けて、のんびりと伸びをしながら言った。


「なんだ、起こしてくれてもよかったのに」


「だって……すごく気持ちよさそうに寝てたから」


 私は正直にそう答えた。


 神崎さんは一瞬きょとんとしたあと、ぱっと花が咲いたように笑った。


「ふふっ、たしかにね。全部の悩みが吹っ飛んだ気がするくらい、気持ちよかったよ」


 その笑顔に見とれながら、私は小さな声で言った。


「もし……また疲れたら、たまにはここで休んでいいよ」


 神崎さんの目がほんの一瞬だけ大きく見開かれたあと、いたずらっぽく笑った。


「それ、本気で言った?」


「た、たまにだけだからね! 毎日はナシ!」


「え〜ケチ〜」


 彼女は唇を尖らせて拗ねたような表情を見せた。


「調子に乗らないの」


 私はため息混じりに言った。


 神崎さんはふわりと笑って、風がそっとその髪を揺らした。そうして、私たちの他愛もないじゃれ合いの中で、この一日がやさしく幕を下ろした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ