第1話 新たな責任
「二学期もある程度経ちましたので、今日はクラスの仕事にもっと関わってもらうために、新しい委員長を一人決めたいと思います」
朝のホームルームの時間。先生はいつもの落ち着いた口調で、そう告げた。教室内が一気にざわめき始める。まるで湖面に石を投げ込んだかのように、静かな空気にさざ波が広がっていった。
「新しい委員長? 誰が適任なんだろう?」
「私ムリ、部活でもういっぱいいっぱいだよ」
「だったら、やっぱり神崎さんが一番じゃない?」
「神崎」という名前が誰かの口から漏れた瞬間、教室中の視線が一斉に、ある少女に向けられた。神崎さんは顔を上げ、皆の注目を受けながらも、ずっと変わらぬ穏やかな微笑みを浮かべていた。まるでそんな展開を、最初から分かっていたかのように。
先生もその流れを受けて彼女に視線を向け、優しい声で問いかける。
「神崎さん、学級委員長を引き受けてくれますか?」
「先生、みんな……推薦してくれて、本当にありがとうございます」
神崎さんはそっとお辞儀をすると、少し申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「でも、今はすでにいろんな校内の仕事を抱えていて……たぶん、全力では取り組めないかもしれません」
そう言って一瞬言葉を切ったあと、彼女の顔にふいに茶目っ気のある笑みが浮かんだ。
「だけどね、私の心の中には、もっとふさわしい人がいるんです」
そのときだった。彼女のきらきらした視線が、まっすぐに私──佐藤遙へと向けられた。
私は一瞬、固まってしまった。まるで時間が止まったかのように、周囲の音がすべて消え失せた。耳の中に残ったのは、自分の心臓が「ドクン、ドクン」と激しく鳴る音だけ。
先生は私の硬直に気づいたようで、柔らかい声で尋ねてきた。
「佐藤さん、どうかしら?」
「わ、わたし……」
唇が震え、断ろうとしたのに、喉が乾ききっていて声がまったく出てこなかった。
頭が真っ白になったその瞬間、神崎さんがふたたび口を開いた。
「じゃあ、投票で決めましょうか? 半分以上が賛成すれば、それは佐藤さんがみんなに信頼されてるってことですし!」
彼女の口調は軽やかで、まるで日常の些細なことでも話しているかのようだった。クラスの子たちもすぐにうなずき、賛成の声が広がっていく。私は止める間もなく、気づけば結果が出ていた──私は、学級委員長に選ばれてしまったのだ。
先生がその結果を告げた瞬間、私はまるでスポットライトを浴びたかのように、みんなの視線を肌で感じた。不安の波が胸の中で荒れ狂い、息苦しくなるほどに押し寄せてくる。
だけど、そんな視線の中で、ただひとつだけ異なるまなざしがあった。神崎さんの眼差しには、言葉にできない何かが込められていた。けれどそれは、確かに私を励ますようなまなざしで、まるでこう言ってくれているかのようだった。
「大丈夫、私がそばにいるから」
***
放課後の図書室。私は書架の影に身を潜め、静かになろうと必死だった。窓の外から差し込んだ陽射しが、本棚の隙間を通り抜けて、ページの上に金色の斑点となって散らばっていた。けれど、その光は、私の内側を少しも静めてはくれなかった。
「おやおや、新しい委員長さんはこんなところに隠れてたんだね〜」
からかうような、でもどこか聞き慣れた声が耳元で響いた。顔を上げなくても、誰なのかすぐにわかる。私は小さくため息をついた。
「……神崎さん、今日は一体なにがしたいのよ?」
手にしていた本を閉じながら、私は彼女を睨むように見上げる。
「わたしみたいな人間がクラス委員長なんて……どれだけツラいと思ってるの?」
「ん? ツラいの?」
彼女は身をかがめて顔を近づけてきた。イタズラっぽい笑みを浮かべながら言う。
「でもね、私から見たら、それって佐藤さんにとって絶好のチャンスだと思うよ?」
私は視線を落とし、ぼそっとつぶやいた。
「気軽に言うなぁ……人と話すの、怖いって知ってるくせに……」
すると神崎さんは、そっと手を伸ばして、私の肩にやさしく触れた。その声には、これまでにないほどのまっすぐな響きがあった。
「大丈夫。私がずっと、そばにいるから」
その言葉が胸の奥にふわっと届いて、顔がほんのり熱を帯びる。私は慌てて視線を逸らした……この人、ほんとに本気なの? それとも、ただのからかい?
***
放課後の帰り道。夕陽が傾きかける中、私は黒羽とゆっくり並んで歩いていた。
「ねえ、遙、最近さ、神崎さんとずいぶん仲良くなったよね〜。今日なんて、委員長に推薦までしてくれちゃって」
黒羽は冗談交じりの口調で言った。
「そ、そんなことないって……ただのクラスメイトだよ」
私は気まずそうに目をそらしながら、ぼそっと反論する。
「でもさ〜、毎日図書室で二人でおしゃべりしてるし、もしかして彼女、遙のこと好きなんじゃない?」
「なっ……ないないないないないっ!」
顔が一気に熱くなって、思わず声を上げてしまう。
「神崎さんって、あの学校でも超人気のカリスマだよ? それに、私たちどっちも女の子だし……そんなの、ありえないでしょ……?」
「うーん、恋ってねえ、意外とそういうもんだったりするのよ〜」
黒羽はくすっと笑いながら、私の前を軽やかに歩いていく。私はその場に立ち止まり、ふと今日の神崎さんの言動や表情を思い返していた。
そう、神崎さんはいつも、私のそばにいる。今日も、わざわざ私を推薦してまで、彼女は一体、どんな気持ちで私に近づいてくるのだろう?
傾いた夕陽に照らされながら、私の心の奥に、これまでにない好奇心と戸惑いが静かに芽吹いていた。私と彼女の間には、もう何かが……変わり始めているのかもしれない。




