第6話 悪毒の戦場
放課後、いつものように下駄箱へ向かった。けれど今日は廊下が妙に静かで、空気の中に何か不穏な気配が漂っていた。しゃがんで扉を引くと、視線が一瞬で固まる。中に、くしゃくしゃの紙切れが一枚。偶然落ちたものじゃない。誰かがわざわざ入れた、発見されるのを待つかのような「伝言」だった。
ためらいながら取り出し、広げてみる。
「神崎の隣に立つ資格なんてない」
「恥知らずな腰巾着」
「分をわきまえろ、もう彼女に寄りつくな」
黒いボールペンで書かれた文字は大きく、筆圧が異様に重い。紙面に刻みつけるような悪意と、説明のつかない屈辱感がそこにあった。
私は呆然とその数行を見つめ、喉が何かで塞がれたみたいに息苦しくなる。涙は出なかった。ただ、ゆっくりと紙を折り畳み、鞄の奥深くの仕切りに押し込む。まるで、誰にも見せてはいけないものを隠すように。靴を履き直して立ち上がり、何事もなかったように装う。
——星奈には絶対に知られたくない。心配をかけたくないし、彼女の重荷になりたくないから。
***
翌朝、廊下を歩いているとき、私は下を向いて荷物を取り出していた。その瞬間、正面から来た生徒に思いきりぶつかられた。
「っ……!」
身体がぐらりと揺れて、危うく転びそうになる。けれど相手は一言の謝罪もなく、振り返りもしないまま歩き去っていった。
私は壁に手をつき、息を整えながら、散らばった本を無言で拾い集める。そして何事もなかったように教室へ向かった。
席に着いて初めて、筆箱がないことに気づく。鞄の中を探し、引き出しを漁っても見つからない。教室の中を見回してようやく見つけた。見覚えのある水色の布の筆箱が、教室の隅、壁際に蹴り飛ばされたように転がっている。ファスナーは引き裂かれ、中のペンが床に散らばっていた。私は黙ってしゃがみ込み、一つひとつ拾い上げる。何も言わず、顔も上げなかった。
ここは学校のはずなのに、その瞬間だけは戦場のようだった。
昼休み、星奈がやって来たとき、私は無理に笑顔を作った。
「今日のお弁当、星奈の好きな卵焼き入ってるよ」
「えっ? ほんとに〜! 幸せすぎるでしょ!」
彼女はいつもと同じように笑う。陽射しが瞳に差し込んで、きらきらと私のよく知る光を放っていた。
その横顔を見ながら、胸の奥に言葉にできない痛みが込み上げる。私は彼女が好きだ。ただ手を取り合えば、一緒に歩いていけると信じていた。けれど、この道はそんなに単純じゃなかった。
だから私は必死に目を伏せないようにする。何も知られたくない。彼女はもう十分眩しい。こんな汚れたものに巻き込みたくなんてない。
放課後、私は星奈より先に歩き出す。今日の下駄箱で、顔がどれだけ強張っていたか悟られたくなかった。微かに震える手で、新しい紙切れを握り潰すのも見せたくなかった。
「まだ消えないのか?」
「気持ち悪い同性愛者、彼女に近づくな」
その筆跡は昨日とは違っていたが、言葉の毒はさらに濃くなっていた。私はうつむきながら、その紙を丸めてポケットに押し込み、何も言わなかった。
言わなければ現実にはならないよね? 今日も笑って「今日の卵焼き、昨日より上手くできたんだ」と言えば、星奈は私の笑顔の奥に走るひび割れには気づかないだろう。
——私ひとりが耐えればいい。




