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冴えない私が輝く星と出会った  作者: 雪見遥
第13章 恋愛は甘いだけじゃない

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第10話 終業式のあとに忍び寄る影

 終業式は相変わらず冗長で退屈だった。壇上の校長は分厚い原稿を手にし、「努力と成果」「成長と変化」といった言葉を、まるで教科書からそのまま切り取ったようにゆっくりと語り続けている。その一語一句が、講堂の空気の中でじわじわと拡散していった。


 窓際の席に座っていた私は、本当なら耳を傾けるべきなのに、視線はいつの間にか斜め前へと吸い寄せられていた。そこにあるのは見慣れた横顔。星奈は背筋をまっすぐに伸ばし、両手を膝の上に揃えて、気品のある姿勢で静かに座っている。退屈な式典の最中でさえ、彼女はいつも通りの完璧さと自制を漂わせていた。


 ——彼女はいつだってそう。どこにいても、すべての視線を集めてしまう。


 ふとした瞬間、私の視線に気づいたのか、彼女がわずかに顔をこちらへ向け、私だけに見せる小さな微笑みを浮かべた。心臓が跳ね上がり、慌てて目を逸らす。けれど、その眼差しの曲線にはこう書かれていた。


「もうすぐ終わるから、このあと一緒に帰ろうね」


 私は頷きも返事もしなかった。ただ唇をきゅっと結んだまま、胸の奥が不思議と満たされていく。言葉なんていらない。私たちの間には、ただひとつの視線で十分に気持ちを伝え合える瞬間があった。


 ***


 式が終わると、教室は一気に騒がしくなった。連絡先を交換し合う声、春休みにどこへ遊びに行くかを語り合う声、アルバイトを始めようと盛り上がる男子たちの声……期待に弾んだ笑い声が、あちこちで飛び交っていた。


 私は机の上の教科書やノートを片付けながら、無意識に鉛筆ケースを強く握りしめていた。視線は何度も、斜め後ろへと引き寄せられる。星奈はまだ数人のクラスメイトと談笑していて、その声色は穏やかで、笑顔はまぶしいほどに自然で隙がない。けれど、ふと顔を上げ、私と目が合った瞬間、彼女の瞳は違う色を帯びた。それは、私だけが知っているやわらかさだった。


「遥、行こう」


 そっと私のそばへ来て、小さな声でそう告げる。私は黙ってうなずき、自然に並んで教室を後にした。周囲から見れば、ただの友達同士にしか見えないかもしれない。けれど私たちにとっては、肩を並べて歩き出すその一瞬が、何よりも大切な合図だった。


 階段の踊り場に差しかかったとき、星奈はふいに立ち止まり、そっと私の手を取った。世界を驚かせないように気を遣うかのように、やさしく、慎重に。でもその温もりは確かで、微かに震える私の指先を包み込んでくれる。


 だが廊下に出て、数人の女子とすれ違ったその時——今まさに咲きかけた温もりが、冷たい風にさらされたかのように揺らいだ。


「……今、見た?」


「うん、手つないでたよね……」


「まさか……二人って……?」


 そのひそひそ声は大きくはなかったのに、はっきりと耳に刺さり、まるで細い針が準備もできていない心臓に突き立てられるようだった。思わず手を離そうとした瞬間、星奈の手がびくともせず、揺るがないことに気づく。私は呆然とし、ゆっくり顔を上げて彼女を見た。彼女は横顔をこちらに向け、微笑んだ。まるで「大丈夫、私がいるから」と言っているかのように。


 その瞳はやわらかく、それでいて強く、午後の陽射しのようにまぶしくはないのに、決して無視できない。


「……ずっとこうして、遥の手を握っている。これから何があっても、絶対に離さない」


 その声はかすかだったのに、宣言のように胸の奥に深く落ちてきた。


 私は何も言わず、ただ彼女の手を握り返した。もっと強く。私たちはそのまま手をつないで、彼女たちの横を通り過ぎた。星奈の背筋はまっすぐに伸び、堂々としていた。けれど、私の心臓は、逆に乱れ始めていた。


 その視線や囁き声は、見えない網のように、じわじわと二人の間を覆い始めていく。星奈は笑顔で受け止めているけれど、私は思わず疑ってしまう。


 ——そんな彼女は、この先もっと多くの責めを受けるのではないか。あの声を耳にしたら、傷ついてしまうのではないか。後悔するのではないか。あるいは……少しずつ、私から遠ざかってしまうのではないか。


「ずっと手を握っている。どんなことがあっても、絶対に離さない」——星奈はそう言ってくれたのに。けれど今の私は抑えきれずに思ってしまう。


「……私、本当に星奈の足を引っ張っていないだろうか?」


 その思いは、風に舞い上がった種子のように、静かに心の中に落ちて、気づかぬうちに根を張り始めていた。


 窓の外を仰ぐと、陽射しは校庭を照らしつけ、あまりにも明るくて目を細める。遠くでは生徒たちが笑いながら駆け回り、その声は風に乗って、無邪気な楽曲のように響いていた。けれど私は知っていた。その笑い声も、その光も、今の私たちには届かない。こんなに明るい午後のなかで、背後から忍び寄る影をはっきりと感じていた。


 ——それは、嵐が訪れる直前の、もっとも静かな瞬間。


 振り返ると、星奈はまだ私の手をしっかりと握ったまま、決して離そうとはしなかった。その姿は揺るぎなくて、信じたくなる。私たちは本当に一緒にすべてを乗り越えられるのだと。けれど胸の奥底には、どうしても拭えない小さな不安が残っていた。

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