第5話 躱
行き交う人々をよけながら大通りを走りつつ、辺りにざっと視線を走らせる。
野菜や穀物を売る店や、日用品雑貨を売る店、ちょっとした食べ物を扱う露店など、通りの両脇には小さな店がいくつも並んでいる。その中を走りながら、スハはちらと後ろを振り返った。
追ってくるのは、六人。どれも頑丈な体つきをした、喧嘩慣れもしていそうな男たちばかりだ。
はあ、まったく……。
思いながら、軽く息をつく。
こちらにとっても条件は変わらないが、人通りの多い道を進もうと思えば、思い思いに立ち止まったり、急にふらりと目の前を横切ったりする人々が、嫌な具合に行く手を阻む壁になる。それを苛立たし気に乱暴にどかしながら追ってくるのは、先程の賭け場にいた者たちだ。
卓の合間を練り歩き、おかしなことをする人間がいないかと目を光らせていた屈強な輩の顔が、そこにある。
やっぱり、奴らか。
賭け場を離れてすぐは追ってくる気配は感じなかったが、少し経ってこうして現れたのは、こちらが油断する頃合いを見計らって襲うつもりだったから、とかそういうような意図があったりしたからだろうか。
結局変わらないのに、わざわざそんな小細工までしてくれちゃって。ご苦労なことだな。
感心するでも、呆れるでもなく、スハは走りながらふりふりと首を振った。
荷を背負い直しながら前に戻した視界の端に、近くの店先からこちらに向かって、平籠に大根を乗せて鼻歌交じりに出てこようとする店主の姿がかすめた。それを、「おっと」と足の向きを変えてひらりと躱したついでに、隣で同じように走るドハンの脇腹を小突く。
「なあ、思ったんだが、これ、もしかしてドハンのせいじゃないか?」
「はあ? なんでそうなるんだよ」
重い筋肉のせいか、はたまた、先程五本もの団子をすべて腹に収めきったせいか、ドハンの息は既に軽く上がっている。
「最近、また食ってばっかだから、もう息上がってんじゃん」と言うと、軽く睨まれた。間違ったことは言っていないはずなのに、腑に落ちない。
が、気を取り直して、話を戻す。
「さっきドハンが、賭け場の入口で「イカサマ」なんて大声で言い出すからだろ。あれが、やっぱ聞かれてたんだって」
「大声で言った覚えなんかねえし。それに、間違った話でもないだろ。てか、それを言うなら、これはどう考えてもスハ、お前のせいに決まってる」
「は? なんで」
それまでは一応、後ろから追ってくる男たちの方も警戒するようにちらちらと視線を向けていたが、聞き捨てならないドハンの言葉に、スハは一瞬、その軽い警戒すらも解いてドハンの方に胡乱な瞳を向けた。「なんでって、当たり前だろ」と渋い顔で返したドハンも、同じように後ろへの警戒を緩めてこちらを見る。
「どう考えたって、あいつらの目的はお前だろ。そりゃあ、こんな若造に金をたっぷりふんだくられたんじゃあ、向こうだって面白くねえよな。賭け場として面目丸つぶれだ」
「面目う? そんなものが奴らにあるかよ」
半目になって、はんっ、と鼻で笑うスハを、ドハンは前からやってきた棒手振りの棒をよけながら続ける。
「賭け場なんて、どのみち堅気の商売じゃねえんだし、大損こかせた客をそのまま見過ごしてくれる方が少ないと思うぜ? あ、よっと……。だから、これはお前が調子に乗ってやり過ぎたことが原因だな。諦めろ、これは絶対にお前のせいで、俗に言う洗礼ってやつだ。ちゃんと調べる前に、あの賭け場に手を出したお前が悪い」
「洗礼? 待て待て、それは聞き捨てならないな。この金はちゃんと勝って手に入れた金だぞ。……っと、危ねえ。いくら違法ったって、そこを覆して取り戻そうとするのは道理が通らねえだろ。ただの難癖じゃねえか」
「何がちゃんと勝った金だ。難癖も何も、お前のはそもそもイカサマだろ。ようは、舐めてかかってると痛い目見るぞ、てことだ。分かったら、潔く洗礼を受けろ。そして、そこに俺を巻き込むな」
通りを歩く人々を互いに難なくよけながら、速度を緩めることなく言い合う。軽く息が上がっているにも関わらず、そこはドハンも変わらない。
ドハンの言葉にスハはむむ、と眉根を寄せつつ、再び、後ろに視線をやった。
二人で走るこちらに対して、後ろから追ってくるのは屈強な男たち、六人の群れだ。
スハとドハン、どちらの言い分が正しいにしろ、追ってくるのは先程の違法賭け場の連中なわけだから、向こうから見れば、まさかの大金を稼いでそれを持ち逃げした―――いや、ちゃんと勝った金なのでその言い方は正しくないが―――スハたちは、賭け場を荒らす不届き者という位置づけになる。
だが、連中を馬鹿正直に正面から迎え撃つのは、あまり得策ではない。
脇道に逸れて裏道に入り、周りに巻き込む者が誰もいないところで奴らの相手をすることは簡単だが、そうすればあとが面倒なことになる。それはできるだけ避けたい。
これをもし正面から迎え撃ってしまえば、今後その界隈の者たちに嫌な意味で目をつけられることになる。そうなっては、スハたちが賭け場を通してこの街でやりたいと思っていることができなくなるのだ。それは困る。
―――多少腕に覚えがあったとして、それをひけらかすような真似はするな。能ある鷹は爪を隠す、という言葉もある。無駄に警戒を煽り、余計な火種を集めたくなかったら、しれっと躱して、さくっと通り過ぎろ。
…………とは、師であるヨンギルの教えである。
多勢に無勢である場合、また、今後に響くような余計な警戒を相手に与えるのを避けたい場合、ヨンギルからは、ただ「上手く躱せ」とだけ言われている。
それは別に、ただケツを巻いて逃げるということではない。単純に逃げるだけなら、相手は必ず追ってくるからだ。
正面から闘うわけでもなく、かと言って、完全にケツを巻いて逃げるわけでもない。ただ躱しつつ、躱したついでにちょっとだけ手を加える。相手から見ても、他の無関係の誰かから見ても、それが偶然の産物のように見える形で潰し、その場を収める。
そういう道を取れ、と。
この五年、なんだかんだと言いながら、ヨンギルはスハにいろんな知恵と技を授けてくれた。その教えは、自分でも意外な程に骨身に沁みついている。
いなすのも相手をするのも正直面倒だが、こうなってしまった以上背に腹は代えられない。
ここは、この往来の中にいながら素知らぬ顔ですべてを躱し、かつ、なんでもない顔でさらっと逃げきるのが一番の得策である。
―――あ、あの辺りならいけるか?
行く先に、並ぶ店の列が途切れ、少し空いた場所があるのが見えた。店が途切れているため、そこで立ち止まる人間もいない。
店の列はあくまで少し途切れている程度で、少し先には酒場があり、反対側には道具屋などの日用品を扱う店が続いているのが見える。だが、それがむしろ好都合だ。
奴らを躱すのに絶好の場所を見つけ、スハはドハンと視線を交わした。
巻き込むなと言っておきながら、一緒に奴らの相手をしてくれる気ではいるようだ。さすが、友である。
スハはそこで緩やかに足を止め、気合を入れるようにふっと小さく息を吐いた。
視界の端に、追ってくる連中の姿が見え隠れする。
よしよし、ちゃんと追ってきてるな。
それを確認して、スハはぐっと体に力を漲らせた。そして、次の瞬間、それをぶつけるようにドハンの胸倉をいきなり掴み上げた。
「お前、今何つった―――!!」




