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第51話 誓

 ユンファの死について、詳しく事情を知らない者には、祭りの夜、一人で家にいたところを野盗に襲われ、そのまま命を落としたのだと説明された。


 葬儀はごく近しい者だけで静かに行われ、そして、埋葬を終え、スハはユンファの墓の前に立っている。


 母さん―――。


 秋の爽やかな風が吹く、気持ちのよい丘の上。少し下れば長慶寺があり、寺から見るのと同じように、ここからも村や通りの様子が一望できる。


 ここなら、どこにいても、母さんが見守ってくれている気がする。


「スハよ、そろそろ―――」


 墓の前に立ち尽くすスハに対し、見かねたようにヨンギルが小さく声をかけてきた。後ろにはソンジェもいる。

 三人で、最後にユンファを送り出しにきたところだ。


 再び後ろで口を開こうとする気配を感じ、スハは「―――おじさん、」と口を開いた。ユンファが眠る墓を見つめたまま、振り返ることもせず、静かに続ける。


「おじさんはあの時、母さんから何か聞かなかった?」

「―――うん?」

「母さんはあの時、俺に何か話があるって言ってた。最後に母さんと一緒にいたのはおじさんだ。おじさん、もしかして何か聞いたんじゃないの?」


 そして、そこでヨンギルを振り返り、まっすぐに見つめる。


「母さんの話が何だったのか、教えて。遅くなったけど、やっと、聞く準備ができたから」


 柔らかな風が髪を揺らす。それはまるで、一つ前に進もうとするスハの背を優しく押してくれているようだ。


 強い眼差しで見つめるスハに、ふいを突かれたように軽く目を(みは)ったヨンギルは、だが「―――そうか」と頷き、静かな表情でスハを見つめ返した。


「しかしそれは、必ずしもお前が聞いて喜ぶようなものではないかもしれない。それでも、聞くか」

「うん、それが、母さんが俺に伝えようとしていたことなら。どんな話でも、聞く覚悟はできてる」

「そうか。では―――」


 少しばかり考えるようにした後、ヨンギルはゆっくりとそれを語り始めた。


「あの時、ユンファが私に語ったのは、お前の出自に関する話だった」

「うん」

「スハよ―――、お前は、ユンファの子ではない」


 覚悟はしていたが、その言葉にやはり、スハは僅かに身じろぎする。それでも、小さく身じろぐ程度に抑えられたのは、スハ自身、どこかで予期していたものだったからかもしれない。


 初めて聞く事実を静かに受け止めるスハに、ヨンギルは何も言わず、ただ言葉を続ける。


「お前の本当の産みの親は、都城(とじょう)にいるそうだ」

「……都、城……」


 思わず、呟きがもれた。


 自分の本当の親が別にいる。そして、その産みの親は都城にいるらしい。

 この国の中心部、遠く離れた別世界だと思っていたその場所に。


 胸中に入り乱れるいろんなものをぐっと吞み込み、スハは絞り出すように尋ねた。


「……その、産みの親って、誰―――?」


 努めて冷静に、けれど抱えきれない衝撃を表すように、声が震えた。それでも、ヨンギルから目は逸らさない。真実を知って受ける衝撃がどれ程でも、ユンファが最期に遺した言葉を、しっかり受け止めたいと思ったからだ。


 だが、尋ねたスハに、ヨンギルは小さく首を振る。


「それは分からない。ただ、お前の本当の親は都城にいると、私が聞いたのはそれだけだ」

「―――……っ」


 急に込み上げたものに、スハは奥歯を噛み締めた。一気に熱くなる喉に力を込め、ヨンギルから少しだけ顔を逸らす。


 枯れたと思っていたものが、またこぼれそうになる。それを必死に押し殺し、ゆっくりと息を吐き出した。


 すべて吐ききったところで、はは……、と我知らず弱い笑みがこぼれる。


「……母さんの話は信じたいけど、どこまで本当なのか、分からないなあ……。俺を産んだ人が、他にいるなんて……。でも、それが誰なのか分からなかったら、確かめようがないじゃないか……」


 溢れそうになる涙を誤魔化すために、弱く笑うことしかできなかった。どういうことなのか、詳しく話を聞きたくても、もうユンファはいない。


 そんな大事な話なら、もっと早く、直接聞きたかった……。


 思っても仕方がないことだが、思わずにはいられない。そもそも、最初で最後のその機会を失ってしまったのは、自分のせいだ。


「―――ナ教吏(きょうり)様の話は、本当だ」


 俯くスハに、そばで話を聞いていたソンジェが静かに口を開いた。「……え?」とスハは顔を上げる。


「本当って、父さん、知ってたのか……?」


「ああ」と頷くソンジェに、スハは大きく目を見開く。そんなスハに対し、ソンジェは懐から何かの包みを取り出した。それを開いて、スハに渡す。


「これが、その証拠だ」

「これは―――?」

「生まれたばかりの赤子が纏う、産着だ」


 包みから出てきたのは、小さな白い産着だった。


 村の人たちが赤子に着せるような生成りのものではなく、真っ白で柔らかな絹で作られている。縫い目もとても丁寧で、ひと目で、生まれてくる子のために、ひと針ひと針、愛情を込めて大切に縫われたものだということが伝わってきた。


「お前を見つけた時、着ていたものだ。恐らく、その産みの親が縫ったものだろう」

「……でも、たとえそうだとして、どうしてこれで、本当の親が他にいるなんて分かるんだ……?」

「この産着は、上質の絹で縫われている。裕福な家でなければ、こんな代物は用意できない。だが、当時のユンファの手は、働き者のそれのように少し荒れていた。裕福な家の奥方が、そんな手をしているわけがないだろう? 何より、背に大きな傷を負ったユンファには、産母の特徴がなかった」


 ソンジェは、ただ静かに語り続ける。


「だが、目を覚ましたユンファは記憶の大部分を失っていて、なぜそこにいたのかすら覚えていなかった。事情を聞こうにも何も聞くことができず、本当の母親を探すどころではない。しかし、赤子には母親が必要で、どういうわけか、ユンファもスハから決して離れようとしなかった。だから、俺が二人を親子だということにしたんだ―――」


 そして、込み上げるものをぐっと堪えるようにしたあと、「……それから、」とソンジェは再びスハを見た。


「これは、生まれたばかりのお前が持っていたものだ」


 そう言って、再び何かをスハに差し出す。ころん、と手の中に落ちたのは、掌と同じくらいの大きさの白い首飾りだった。


「……首飾り……?」

「それも、おくるみの中に入っていた。きっと、お前の本当の産みの親が忍ばせたものだろう。この首飾りが、お前と、お前の本当の親とを繋ぐ証になる。本当の親を探す手立てにもなるはずだ」


 その言葉に、スハは手の中の首飾りを見下ろした。

 掌程の大きさの銀板には、勇壮な嘴を構えた鳥が力強く羽ばたく白い彫刻が施されている。


 本当の産みの親とを繋ぐ証。探す手立て。そんなものを、赤子の自分が持っていたなんて。


「……これ、鴉―――?」


 勇ましく彫られたその鳥は、「鴉」の形をしている。

 「……白い鴉……」と、同じように首飾りを見つめていたヨンギルが小さく呟くのが聞こえた。


 石の濃淡を上手く使って彫られたその鴉は、言われてみればたしかに「白い鴉」に見えなくもない。だがそれは、古い言い伝え上の存在だ。そう見えるだけで、これが本当に白い鴉なのかは分からない。


 そんなことを頭の端で思いながら、スハはぎゅっと首飾りを握りしめ、ソンジェを強く見返した。


「―――たとえ、これが俺の本当の親との繋がりを示すものだとしても、俺は父さんと母さんの子だ。今までと、何も変わらない」

「スハ……」


 ぐっと細められたソンジェの瞳が揺れる。スハはその瞳を強く見つめ、そして、眠るユンファを振り返った。


 母さん―――、俺にとっては、母さんが、たった一人の俺の母さんだ―――。


 頬をすり抜ける爽やかな秋の風が、再び髪を揺らしていった。







 丘を下ると、眼下に長い隊列が伸びているのが見えた。


 寺での逗留を終え、都城へと帰る人々が並ぶ列のようだ。来た時と同じように、列の中腹辺りに二つの輿が並び、周りを騎馬や武装した護衛の者が固めている。


 その先頭に、チャン・ギテ将軍がいるのが見えた。


「スハ―――、」


 横にいたヨンギルが、す……っと阻むようにスハの前に腕を出す。それはまるで、今にもスハがこの道を駆け降りていき、チャン・ギテ将軍に飛び掛かるのではないかと危惧しているようだ。


「……分かってるよ。そんな馬鹿なこと、俺だってしない」


 スハの様子をしばらくうかがっていたヨンギルは、やがて納得したように、阻むように出していた腕をそっと引いた。


 分かっている。そんなことをしたって、そこに手が届く前に、ただ押さえられて終わるだけだ。無駄だと分かっていることをする程、自分だって馬鹿ではない。


 言われなくてもそんな無謀なことはしないが、両手を握りしめたまま、スハはただじっとそこを見つめる。


 先頭で馬に乗る大きな背。そして、列の中腹で揺れる二つの輿。その二つあるうちの、どちらか一方に、ユンファを斬った女が乗っているに違いない。


 奴らと自分との間には、気が遠くなるようなこれ程の距離がある。今は手を伸ばしても、伸ばしたことすら気付かれないままに落とされてしまう。今の自分ではまったく歯が立たないどころか、同じ土俵に立ってすらいない。


 変わらなければ。まずは同じ土俵に立つために。手を伸ばせば届く位置に行くために。彼らに飛び掛かるのは、それからでも遅くはない。


 そして、スハは一度目を閉じ、列の後方に顔を向けた。それまでとは少しだけ違う視線を、そこに向ける。


 ヒョリ―――……。


 その顔を列の中に探すが、既に通り過ぎたあとなのか、目を凝らしても見つけることができなかった。


 何かがほんの少しだけ、ちり、と小さく胸を焼いた。


 たった数日前に抱いたばかりの、未来に向けた純粋な気持ちだけではなくなってしまったけれど。

 でも、それでも。


 約束した。いつか必ず会いに行くと。そうしたらまた、どんなところにだって連れて行ってあげると。


 都城―――。

 この国の中心部。遠く離れた、その場所―――。


 その約束を果たすために、奴らに再び(まみ)えるために、俺はいつか必ず都城へ行く―――。


 去っていく行列を見つめながら、スハは強く心に誓った。


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