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第43話 問


 

 ごお―――……!

 ……ごご、ごごごおおお―――……!



 駆け回る松明の、燃え盛る炎の音が聞こえる。火の粉をまき散らして、大火を呼ぶ音だ。


 どんどんどんどんどんどん……!

 おお! ええい! やあああ!


 遠くに聞こえる物々しい太鼓と太く響く掛け声は、災厄を打ち払うどころか、ここにこそあるぞと誇示しているようにも聞こえる。


 闇に包まれているはずの空を、地上に燃える炎が(あか)く染めていく。


 ただ、(あか)く―――、(あか)く―――……。




 ◇   ◇   ◇




 ―――はあ……、はあ……、はあ……。


 誰かが、走っている。

 暗い、昏い闇の中を、必死に駆けている。


 木の根に足を取られ、ぬかるんだ土に派手に滑った。それでも、足を止めない。

 まるで何かから逃げているように、後ろを気にしながら必死に前に進み続ける。


 ―――ここにいれば、―――があとできっと見つけてくださいます。それまで、ここでしばらく待っていてくださいね。


 そう言って、何かをそこに隠した。

 それは、誰かから託された、自分の命よりも遥かに大切なもの。


 そして、足はまたそこから走り出す。

 背後から迫りくる者を、そこから遠ざけるために。その大切な何かを、守るために。


 そのすべてを、一歩引いた場所から眺めていた。

 まるで、誰かの記憶を追体験しているように。


 あれは、一体誰なのだろう。託された大切なものとは、何だったのだろう。そして、それを託したのは、誰だったのだろう……。



 ―――――………




 ◇   ◇   ◇




「―――……っ!」


 激しい衝撃に息が詰まり、失っていた意識がはっと覚醒する。


 硬いものに当たる体の右側が痛い。どこかに、しこたまぶつけたあとのようだ。そう思って、先程のものは地面に放り出された衝撃だったのだということに気付く。


 ここは、どこ―――。私は、一体―――……?


 ばさ―――っ!


 頭巾でも被せられていたのか、視界を覆っていたものが急に取り払われ、ユンファは息を詰めた。

 同時に、両脇に差し込まれた腕に力任せに体を掴み上げられ、短く悲鳴がこぼれる。


 どこかの小屋の中のようだ。辺りは薄暗く、柱に灯された小さな明かりが、辛うじて弱く照らしている程度である。

 小屋にはあまり使われている気配はなく、至るところに蜘蛛の巣が張っているのが見えた。


 叫ぶ気力は無かった。ここがどこかは分からないが、自分をここに連れてきた者たちが、声を上げたところで誰かが助けにくるような場所に、わざわざこうして連れてくるとは思えなかったからだ。


 後ろ手に、両手を縛られている。足の方は辛うじて動かせるが、元々不自由さが残る足であることと、今は両脇を押さえられているため、抵抗しようとしたところで大した動きにはならない。


 ユンファは、覚醒したばかりの頭で、必死に状況を把握しようと努めた。


 ソンジェの忘れ物を届けるため、火祭りに向かっていたことは覚えている。その途中で誰かにつけられている気がして恐ろしくなり、そうだ、そこから走り出したのだ。けれど、気付いた時には黒い影に取り囲まれており、そのままここに連れてこられたらしい。


 ここまで、どうやって連れてこられたのかは分からない。そもそも、なぜこうして捕らえられ、ここに連れてこられたのか、その理由も分からない。


 分からないが、ここに連れてこられる途中、何かの夢を見ていた気がする。

 内容はよく覚えていないが、誰かの記憶を追体験しているような夢だった。


 ただひたすら、後ろを気にしながら必死に走っていた。走ったその先に何が待っていたのかは不明だが、とてつもなく恐ろしい何かが待ち構えていたように思う。少なくとも、走る誰かにはそれがはっきりと分かっていた。だが、それが分かっていても、決して足を止めようとはせず進み続ける―――そんな夢だ。


 あれは一体、誰だったのだろうか―――。


「―――まことに、生きていたか」


 突然聞こえた声に、ユンファはびくっと体を強張らせた。


 のろのろと上げた視界に映ったのは、すぐ目の前でこちらを見下ろす冷たい瞳。腰に()いた太刀に軽く手をかけたまま、無表情に見つめる厳めしい武人の姿。


 チャン将軍―――。


 顔を見て、自然にその名前が出てきたことに、ユンファは自分で自分に驚いた。

 だが同時に、これ以上ない程の得体の知れない恐怖が足の裏から一気に這い上り、強い力で心臓を鷲掴みにする。ぎゅうっと強く締め上げられ、全身の熱が急激に下がった。


 私は、この人を、知っている―――。


 この紫微国(しびこく)で、大王の右腕であるチャン・ギテ大将軍のことを知らない人間は、恐らくほとんどいない。だが、ユンファが今感じたのは、そういうものではなかった。


 ただ名前と存在を知っているという程度のものではない。実際に顔を合わせ、言葉を交わし、相手も自分のことを知っている―――、そういう「知っている」だ。


 相手は、国の中枢を担うような人物だ。そんな人物を知っているなど、普通に考えてあり得ない。


 この人に会ったことなど無いはずなのに、なぜ―――。


 分からない恐怖と戸惑いが、ユンファの中で激しく渦巻いた。しかし、ギテは構わず無感動に言葉を続ける。


「まさかとは思っていたが、あの状況で、まことに生き延びていたとは……。だが、そんなことはよい。それより、赤子はどうした」

「―――……?」


 赤子? 赤子とは、一体何のことだ。


 聞かれた意味が分からず答えないユンファに、再びギテが静かに繰り返す。


「あの時、お前が連れて逃げた赤子だ。その赤子は、今どこにいる」


 私が連れて逃げた、赤子―――?


「……赤子など、一体何の話をされているのか……」

「とぼけるな。あの状況からどのように助かったのかは知らぬが、お前が生きているのだ。あの時の赤子も、生きているだろう」


 静かに問うギテの視線が、僅かに鋭くなる。そのことに、ユンファはさらに身を震わせた。


 だが、そう言われても、何のことなのか分からない。自分が赤子を連れて逃げたなど、まったく身に覚えのないことだ。


 けれどそこで、はっとユンファは止まった。


 ……まさか、私の失った記憶の中に、それがあるということ―――? この人を知っている気がするのも、だからなの―――?


 急に表情を止めたユンファの変化を、ギテは見逃さなかった。一瞬だけ細めた目を、そのまま脇に控えていた者達に移し、低く命じる。


「吊るせ」


 命じられた者達が動き、抵抗できないユンファに猿ぐつわを噛ませた。そして、頭上の梁に通した縄で、後ろ手にしばったままの体をまさかの勢いで吊るし上げる。


「―――っ!」


 骨が軋む痛みに、声にならないくぐもった悲鳴がもれた。涙を流すのは屈するようで絶対に嫌だったが、そのあまりの痛さに、堪え切れず(まなじり)から幾筋も頬を伝って落ちていく。


 だが、それで終わりではなかった。


 ギテが目で合図をすると、黒い影たちは太い棍棒(こんぼう)を手にし、右から左から、ユンファを強い力で叩きつけ始める。


「……ぐっ、……う……っ!」


 皮膚が裂け、切れた場所から血が滲む。まるで拷問のように、息をつく間もなく絶えずそれが繰り返される。

 強く殴られたところが熱を持ち、次々と赤黒く腫れあがっていくのが、目で見なくても分かった。


 幾度となくそれが繰り返されたあと、おもむろにギテが手を上げ、叩きつける手を止めさせる。そして、噛ませていた猿ぐつわを乱雑に外し、再びユンファに問うた。


「もう一度聞く。赤子はどこだ」


 痛みに堪えるため、ぎゅうっと引き絞っていた目を僅かに開ける。


 言葉の意味は分かる。だが、何を聞かれているのかが分からない。

 国の中枢を担うような人物がなぜ自分を捕らえ、こうして吊るしてまで、この口から一体何を聞き出したいのか、それが分からない。


「……私には、まったく身に覚えのないことに、ございます……!」


 息も切れ切れにそう返すが、ギテの瞳は動かなかった。外していた猿ぐつわを再び噛ませると、


「―――やれ」


 冷たく言い放ち、一歩引いたところからまたユンファを見下ろす。


 恐怖に引き攣り、苦痛に歪むユンファの顔を、ギテはただ無感動に見下ろし続けた。


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