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第23話 希

 ヒョリが急に帰ってしまったので、スハも仕方なく家に帰ることにする。


「帰るなら、送ってやろう」


 わざわざ送ってもらう必要はないのだが、なぜかそんなことを言い出したヨンギルとともに、歩き始める。


「あまり感心せんなあ」

「何が?」


 賑やかな通りの声が少しずつ後ろになっていく中、前を向いたままヨンギルが呆れたように呟いた。


都城(とじょう)の者と深く関わることだよ。お前、さっきのあの子が誰だか知っているのか?」

「は?」


 何を聞かれたのか分からず、スハは思わず片眉を上げる。


「誰って、ヒョリは昨日の行列で都城から来た子じゃないか。それ以外に何があるんだ?」

「……まあ、お前が知っているのはそれくらいだろうな」

「―――?」


 なんだろう。


 スハは隣を歩くヨンギルを見上げた。


 腰の後ろで結んだ手には、歩くたびにたぷんと揺れる酒がある。顔は前を向いたまま、表情も別にいつもと変わらない。

 だが、その言葉の端に、なんだか含みのある響きがあったような。


スハが少しばかり首を傾げていると、「―――スハよ、」とヨンギルは再び前を向いたまま口を開いた。


「悪いことは言わん。都城の者と関わるのはやめておけ」

「え? おじさん、急に何―――」

「今はいいかもしれんが、あの子が都城に帰ってしまえばそれまでだ。二度と会うことのない相手と関わったところで、何の足しにもならん」

「は?」


 このおじさん、いきなり何を言い出すんだ? 


 前を向いたまま話すヨンギルを見上げ、スハは思いきり眉を寄せた。


 ヒョリは友達なのに、二度と会うことがないとか、何の足しにもならないとか。


 だから、返す言葉には自然と非難の色が滲む。


「そんなことないよ。ヒョリは友達だ。友達なんだから、たとえ都城に帰ったとしても、会おうと思えばまた会える。それに、足しになるとかならないとか、そんなのどうでもいいよ」

「そう思うのは、お前がこの世を―――都城を知らないからだ」


 ヨンギルは言うと、そこで足を止め、スハを振り返った。


「都城は広い。その中から、どうやってあの子を探す? 都城の人々が、この村のように人の好い者たちばかりだと思ったら大間違いだぞ。こんな世間知らずで田舎者の小僧、誰も相手にはしてくれんだろう。会いに行ったとて、簡単に会えるものではないのだ」

「でも……」

「それに、都城には、()()()()()()()()と、()()()()()()()というものがある。あの子が属するのがどちらかは知らんが、それがもし行けない場所であってみろ。また会おうと考えるだけ、お前の時間は無駄になる。そうすれば、あの子と今関わろうとすることに、何の意味もなくなるのだ」


 まるで都城をよく知っているかのように語るヨンギルは、静かに、だがはっきりとした口調で言いきる。


「とにかく、お節介もいいが、あまり深入りすることは勧めんな。都城の者に関わっても、ろくなことなど無いぞ」


 けれど、それはあくまでヨンギルの考えであって、スハの考えとは異なるものだ。

 ヨンギルが話しているのは都城のことだろうが、友達であるヒョリのことを悪く言われているようで、いい気もしない。

 その、あまりの言いように、何か都城に嫌な思い出でもあるのだろうかと勘繰ってしまう。


 そう言おうとしたところで、だがそれは、「―――うん?」と違う方へ顔を向けたヨンギルの呟きによって遮られてしまった。


「あれは、ユンファじゃないか―――?」

「え?」


 スハを通り越して、その先に視線をやったヨンギルが、(いぶか)し気に首を傾げた。スハも振り返ると、たしかに向こうからこちらにやってくるユンファの姿が確認できる。

 だが、その様子がなんだか少し妙だった。


 ユンファは時々、この辺りの裕福な家の奥方から縫物の仕事を請け負っている。今日もその用で出かけると言っていたはずだ。


 縫物が覗く籠を脇に抱えたユンファは、後ろを振り返り振り返り、自由の利かない左足を懸命に引きずりながら、まろぶようにして先を急いでいる。それは、どこかに向かっているというより、何かから逃げているように見えた。

 その姿には、何やら言い表せない緊迫したものがある。


「母さん!」


 スハは大声を出し、右手を大きく振った。そのスハに気付いたのか、ユンファがはっと立ち止まる。


「スハ……」


 数瞬のちに、ユンファはそう呟いて、固く強張っていた表情を安堵の形にほっと緩めた。







「母さん、どうしたの? 大丈夫?」


 まだ青い顔をしているユンファの元へ駆け寄り、スハは声をかける。


「何かから逃げてるみたいな感じだったけど……」


 ここまで相当な無理をしたのか、少し足をさするようにしていたユンファは「……大丈夫よ」と弱く微笑んだ。そして、一緒にやって来たヨンギルの方を向く。


「ナ教吏(きょうり)様」

「ユンファ、ただならぬ様子を感じたが、何かあったのか」


 頭を下げて挨拶しようとするユンファを制し、ヨンギルは尋ねた。だが、ユンファはそれに首を振って答える。


「いいえ……、ただ、なんだか誰かに追われているような気がして……」


 言いながら、ユンファは再び不安げに後ろを見た。ヨンギルが難しい顔で視線をそちらに向けたのと同じように、スハも後ろを見やる。けれど、そこにあるのは、ただ通りを行き交う人々の姿だけだ。


 母さん、本当にどうしたんだろう……。


 内心では不安に思いつつ、だが表では「大丈夫だよ」と笑ってユンファの方を向く。


「きっと気のせいだよ、母さん。ほら、誰もいないし」

「ええ、そうね……。きっと気のせいね」


 少し無理をするように笑ってから、ユンファは胸を押さえて大きく息を吐き出した。そうしているうちに少し落ち着いてきたのか、そのままふと顔を上げる。


「ところで、スハとナ教吏様はここで何を?」

「何ってことはないけど、ただ一緒に歩いてただけだよ」

「ああ、軽い小言を、ちょっとな」


 は? 小言??


「おじさん、何が小言だよ。いきなりよく分からないことを言ってきただけのくせに」


 む、と思わず顔をしかめたスハの言葉とは裏腹に、ユンファは慌てた様子でヨンギルに謝る。


「まあ、それはまた、スハがご迷惑を……。申し訳ありません」

「母さんっ、こんなおじさんに謝らなくていいよ! 俺は別に、何も悪いことはしてないんだからさ」

「何を言うかっ! 白い鴉のことを世迷言(よまいごと)などと言いおって!」


 え、そっち?


 思っていたのとは別の方向からの「お小言」に、スハは一瞬呆けたように止まった。

 けれど、ヨンギルがそういうことにしてくれるなら、そちらの方が都合がいいかもしれない。

 そういえばすっかり忘れていたが、長慶寺(ちょうけいじ)へは、薬を届けたら余計なことはせずにすぐに帰ってこいとソンジェに言われていたのだった。それが蓋を開けてみれば、行列で来た都城の子と友達になり、あまつさえ今日もその子を案内していたなどと知られれば、きっとただでは済まない。


 ということで、ヨンギルのその話に乗っておくことにする。


「だって、白い鴉なんて、ただの古い言い伝えだろ? そんなもの、本当にいるわけがないじゃないか」


 だが、スハがそう言うと、ヨンギルはわざとらしく眉を跳ね上げ、大仰にのけ反った上に腕を組んで説き始めた。


「そうか? それなら、なぜ白い鴉の話が存在している。ただの虚言なら、そもそもそんな話は残っていない。本当にいたから、そういう話があるのだ」

「それは、おじさんが勝手に言ってるだけだろ。この村を出れば、白い鴉なんてきっと誰も知らない。それに、周りを見てみなよ。どこを見たって、飛んでる鴉は黒いやつらばかりじゃないか」


 ちょうどそばで飛び上がった影を指して、スハは言う。

 黒く力強い翼が、空気を打つように空に舞い上がる。それが当たり前の姿で、当たり前の光景だ。


 しかしヨンギルは、ちっちっ、甘いな、と言わんばかりに、勝ち誇ったようにふふん、と笑った。


「周りが黒いやつらばかりだとして、それがどうして白いものはいないという結論になるんだ。いないことが証明できない限り、白い鴉は存在する。そうではないか?」

「そんなのただのへ理屈だ。白い鴉なんて、昔の人間が創り出したただの妄想だよ」


 言ってしまってから、あ、これはさすがに言い過ぎたかな、とスハはヨンギルの様子をうかがった。見ると、まるで子どものように口をへの字に曲げて、物悲しそうにこちらを見ている。

 「ええと……、」とスハが慌てて言い直す言葉を考えていると、


「あら、そうかしら」


と、隣のユンファが首を傾げた。


「確かに、白い鴉が実在するかどうかは分からないわ。でも、かつてのように、その白い鴉がこの戦ばかりの世を変えてくれるのなら、母さんはいると信じたい。だって、それが希望というものでしょう? 白い鴉は、人々の『希望』だと思うわ」

「希望? ただの鴉が?」


 その言葉に首を捻るスハとは異なり、ヨンギルはほお、と感心したように頷いた。


「さすがはユンファだ。よいことを言う。親子とは思えんな」


 じろっと見てくるヨンギルに、はんっと返して、スハはそっぽを向いた。その先に、棒手振(ぼてふ)りが魚を売り歩いているのが見えた。村の母親たちは、そろそろ夕飯の支度を始める頃合いだ。子どもにせがまれて、棒手振りに声をかける母親の姿も見える。


 それが見えた瞬間、スハの意識は速攻でそちらに持っていかれた。


「そういえば、この前父さんがタラが食べたいって言ってけど、今日の夕飯にどう?」


 ユンファの腕を引き、棒手振りを指差してスハが言うと、ははあ、とすかさずヨンギルが目を(すが)めて言ってくる。


「ソンジェを引き合いに出して言ってはいるが、さてはお前が食べたいだけだな」

「ふん、父さんが言ってたのは嘘じゃないもんね。まあ、俺が食べたいっていうのも否定はしないけど」


 そのやり取りにくすくすと笑って、「そうね、そうしましょう」とユンファは頷いた。その表情を見ていると、少し前の緊迫した様子など嘘のようだ。


「あ、持つよ」


 そう言って、ユンファが脇に抱えていた籠を取り、スハは前に立って棒手振りの方へ歩き始める。


「じゃあね、おじさん」


 去り際、それでも一応挨拶しておくと、ヨンギルは呆れたように笑いながら手を振り返してくれた。


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