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第14話 言

 行列を完全に見送って帰りかけたところで。


「なんだ、お前たちも行列を見にきていたのか」


 またまた近くの酒場で呑んでいたらしいヨンギルが、ほろ酔いの陽気な足取りで近付いてきた。


 既に通りを行き過ぎた行列は、もうその影すら見ることはできない。その行列が消えた方へ顔を向けて、ヨンギルはやれやれ、と呆れたような顔を浮かべる。


「どいつもこいつも、暇なやつが多いようだな。あんな行列をわざわざ見に来るとは……。ほら、お前たち、家の手伝いはどうした」


 そんなヨンギルに対し、さらに呆れきった顔で、ついでに鼻も摘まみながら、


「うわ、酒臭っ……! 暇だなんて、おじさんにだけは言われたくないね」

「そうだぞ、おじさんより俺たちの方が仕事してるんだからなっ」


と声を上げたのは、スハではなくジョンウとヒスだ。

 皆同じ近所なので、ヨンギルがろくに働きもせず、いつも酒ばかり呑んでいることを当然知っている。


「やや、こいつらめ。スハのような口をききおって。もっと年配の者を敬わんかっ」


 盛大に顔をしかめてみせるヨンギルに、今度こそスハも大きく息をつく。


「そんなことを言われても、呑んだくれてるところしか見たことがないおじさんを敬う方が、無理だと思うよ」

「……はあ、スハよ、お前がそんなだから、皆この私を敬おうとしないのではないか」


 大人げなく、じとっと睨んでくるヨンギルを、それは関係ないと思う、とスハはまた呆れ顔で首を振る。


 ソンジェもユンファも、今の薬房(やくぼう)があるのはすべてヨンギルのおかげだと敬っているが、やはりスハには未だに信じられない。

 そもそも、人に教える程詳しいのなら、当人こそがそれを仕事に活かせばいいのに。なのにどうしてこのおじさんは、働きもせず酒ばかり呑んでいるのだろうか。


 ほんとに、どこにそんなお金があるんだろう。


 もう何度思ったか分からないそれをまた思って、あ、とスハは思い出した。


「そうだ、おじさん。貸したお金、結局まだ返してもらってないんだけど」

「む?」


 言っていることは分かるはずなのに、急に、はて、という顔でヨンギルが惚け始める。


 まったく、このおじさんは。


 いつもの流れに、スハがまたため息をつきかけたところで。


「げ、おじさん、スハに借金なんてしてんのかよ。だせえっ!」

「いい大人なんだから、借りたものはすぐに返さなきゃ」

「はは、それで敬えとか、ちゃんちゃらおかしいぜ」


 代わりに三人が反撃の声を上げてくれる。

 さすが、我が友人たち。スハは思わず心の中で拍手喝采を送る。


 彼らのヨンギルに対する口調は、スハのそれよりも輪をかけて辛辣(しんらつ)だ。いつもはのらりくらりとかわそうとしてくるヨンギルも、次々と投げかけられる容赦ない言葉に、ぐぬぬ、と唸り始めている。しかし。


「お前たち……、黙って聞いていれば……っ」


 好き放題言いまくる三人に、そこでヨンギルは「くおらっ」と逆切れのように拳を振り上げた。それに、三人の方がひっと逃げ出す。


「舐めた口をきくのも大概にしろ!」

「なんだよ、間違ってないだろ」

「そうだそうだ、借りたものを返さない方が悪いに決まってるのに!」

「暴力反対―っ!」


 叫ぶ三人は、そのまま頭を庇うようにしてその場を逃げていく。なんとなく三人と一緒に行きそびれてしまったスハは、「おじさん……、」と呆れたようにヨンギルを振り返った。


「図星だからって、力で黙らせようとするのはよくないよ。うちの父さんじゃないんだから」

「いやいや、ソンジェよりはましだろう。私はふりだけで、ソンジェのように本当に鉄拳を振るうことはしてないからな」

「いやいや、だとしても、父さんの鉄拳には筋が通ってるけど、おじさんは完全に自分のことを棚に上げてるじゃないか」

「いやいや、ソンジェだって気分だけの時もあるぞ。……というかお前、自分のふざけた言動がソンジェに鉄拳を振るわせる原因になっていることをちゃんと理解してたんだな。てっきり、逃げることしか考えていないのかと思っていたぞ」

「いやいや、おじさん、それはさ―――」


 ―――と、いやいや、いやいや、とよく分からない言い合いをなんだかんだとしばらく続けて。


「で、お前もわざわざさっきの行列を見に、家の手伝いを放り出してきたわけか」


 ヨンギルのその言葉で、最初の話に戻る。


「放り出したわけじゃないよ。戻ったらやるさ。それに、おじさんはそう言うけど、都城(とじょう)からの行列なんて、誰だって見たくなるのが普通だろ?」

「私は別に見たいと思わんがな」


 どこか忌々しそうな顔をして、吐き捨てるようにヨンギルが言う。そのあまり見ない様子に、スハが思わず瞳をぱちくりとしていると。


「……まったく、あの行列のせいで砂塵が舞って、せっかくの酒も台無しになってしまったではないか」


 続いて呟かれた言葉に、ああそういうこと、とスハは納得した。


 やっぱりこのおじさんは、どこまで行ってもただの呑んだくれだ。


「あんな行列など、見たところで何の足しにもならなかっただろう」


 ふん、と不機嫌そうに鼻で息をつくヨンギルに、だがスハは「そんなことないよ」と首を振る。


「先頭のチャン・ギテ将軍はやっぱり格好よかったし、後ろの輿もなんかいろいろきれいな飾りがついててさ。で、その行列が通りの端から端まで届くくらいずらっと続いてるんだ。一見の価値はあったよ」

「だが、ただ歩いているだけだぞ? やはりお前も、あのような者たちに憧れるか」

「そりゃあね、憧れもするよ。だって、もしかしたら一生関わることすら無いようなものばっかりなんだよ? 都城からの行列に、憧れない方がおかしいって」


 思わず前のめりに説明するスハに一瞬目を(すが)めたあと、ヨンギルは「―――ははあ、なるほど」とわざとらしく笑った。


「もしやスハは、都城に興味があるのか?」

「いや、そういうわけじゃないけど……」

「そういうわけじゃない? とてもそうは見えんが」


 なぜかにやにやと笑うヨンギルに、「だから、そういうことじゃないってっ!」と思わず声が大きくなる。


「あの行列を見て、俺はなんか圧倒されたんだ」

「圧倒された?」

「うん、刺激を受けたっていうのかな。やっぱり、ここにいたら感じられないものだったり、見られないものだったりするからさ。だから、ここがすべてだと思ってた世界が広がった、ていうか」


 言うと、ヨンギルは「ほお」と思いの外感心したように呟いた。


「お前、何も考えていなさそうな顔をして、実はそんな深いことを考えていたんだな」

「……馬鹿にしてんの?」

「いやいや、なぜそうなる。誉めているんだ」


 ははは、と明るく笑ったかと思うと、ヨンギルはその調子のまま、なぜかスハをまっすぐに見つめた。


「それで、世界が広がって、お前は何を思う」

「え? 何をって……」


 まさかそんなことを聞かれるとは思っていなかったので、スハは言葉に詰まる。必死に考えを巡らせるが、残念ながら答えられるのはこれだけだ。


「ええと、それは、まだよく分からない……」


 何の答えにもなっていないスハの言葉に、だがヨンギルは、ぶはっと噴き出した。


「そうか、なるほど。では、スハよ」

「へ?」

「その答えが出るまで、考え続けることだ。広がった世界が、お前にとってどんなものか。この国が、この世が、どんなところなのか。考えることを、知ることをやめるな。よいか」

「え、う、うん」


 なんだか急に知らない人のような顔をして言うヨンギルに、戸惑いつつも気付けばそう頷いていた。

 なぜか楽しそうに笑うヨンギルは、スハの頭をぽんぽんと軽く撫でる。そして、その戸惑いの中から徐々に復活してきたスハは、ふと、胡乱(うろん)な瞳をヨンギルに向けた。


「……ていうか、急に真面目な雰囲気になって、なんかいい感じのこと言ってるけど、おじさん、貸したお金まだ返してもらってないからね」

「むむっ、せっかく話を逸らしたのに、そこにも戻るのか」


 やはり、ヨンギルはヨンギルだったようだ。今しがた感じた知らない人のような雰囲気など、もう微塵も感じられない。

 いっそわざとらしい程に、思いきり眉を寄せて言ったヨンギルは、


「すまんな、スハ。今は手持ちがない。よって、金は今度必ず返す」


 片手を軽く掲げたかと思うと、脱兎のごとくそこから駆けだした。


「あ、逃げたな!」


 既にそれなりの歳とは思えない程、ヨンギルはもうかなり遠くを走っている。スハは追うのを諦めて、その変わり身の早さに、はあ、と大きなため息をついたのだった。







 ふう、やれやれ。


 せっかくいい話でまとまったと思ったのに、最後に余計なことを思い出しおって。


 全速力から少しずつ速度を落として後ろを振り返り、追ってくる者がないことを確認して、ヨンギルはほっと息をつきつつ足を止めた。


 いや、返さなければならないお金があるのはこちらの方で、スハの主張は当然のものであり、まったく余計なことではないのだが、如何せん常に手持ちがない。返せるものがない以上、追求を避けるには逃げるしかない。


 少し、酒を抑えねばならんか。


 子どもに対し、いつまでもそんな醜態をさらすわけにはいかないという思いは、一応ヨンギルにもある。苦渋の決断、断腸の思いではあるが、致し方ない。

 しかし、それにしても。


 ヨンギルは再び後ろを振り返り、先程とは違う意味で息をついた。


 たったこれだけの距離を走っただけで、こうも息が上がるとは。


 歳のせいか、日頃の不摂生が祟っているのか。昔は一晩中でも息を乱さず走っていられたものなのに。


 とはいえ、昔に戻りたいという思いは、ヨンギルには一切ない。走れば息も上がるし、昔より動きにキレも無くなっているだろうが、ヨンギル自身は今の生活にこそ満足している。


 はあと向き直り、再び歩き始めたところで、隣にふっと誰かが並ぶのを感じた。


「こんなところをうろうろしていていいのか?」


 隣を歩く相手が、静かに言う。その相手に、ヨンギルはちらと視線だけをやった。


「誰かと思えば、お前か。うろうろしていていいのか、とは?」


 隣を歩く姿は、どこにでもいる一般的な小間使いのそれだ。だが、こちらに顔を向けることさえしない姿には、使()()()()()()気配は感じられない。

 表情を変えずに答えるヨンギルに、隣の人物はふん、とただ鼻を鳴らす。


「あの籠に誰が乗っていたのか、知らないあんたでもないだろう」

「知っていたところで何も変わらんよ。こちらが数多(あまた)いる観衆の一人であることに変わりはない」

「だといいがな。下手な()()()()()は、気を抜けばすぐに見つかるぜ?」


 相手のその言葉に、「かくれんぼか……」とヨンギルは小さく笑う。


「余計なお世話だ。第一、私には隠れているつもりなどない」

「よく言うぜ。こんなところで何年も隠居ぶった暮らしをしているくせに」

「お前こそ、報告義務があるくせに何年もそれをしないで、知られたら困るのは私よりお前の方ではないか?」


 言い返してやるが、隣の人物は「上の人間が考えることに、俺は興味がないんでね」とほざくだけだ。

 そして、一度だけちらとこちらに視線を寄越して、それまでより少し声を落として続ける。


「チャン・ギテが大将軍(だいしょうぐん)に任じられたのは、あんたも知っているだろう。もうそろそろ、向こうにあんたをそのままにしておく気はないんじゃないか」

「はは、買いかぶり過ぎだな。私など、ただの酒呑みに過ぎん」


 笑うヨンギルに、相手はまたふん、と鼻を鳴らす。


「とにかく、気を付けることだな。俺が黙っておいたことを無駄にするな」


 そう言って、相手はそれまでの雰囲気とはまったく異なる()()使()()()()()足取りで、何事もなかったように離れていく。

 ヨンギルはただ息をついてそれを見送った。


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