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第12話 列

 輿には、内側からも開けられる小窓がついている。


 セヨンは、揺れる輿の中でその取っ手に手をかけ、そっと引いてみた。


 うっ……わあ。


 そこから見えた景色に、思わず声を上げそうになる。


 今回の行幸先は、紫微国(しびこく)の中でも辺境に位置する辺りだと聞いている。ただ、辺境ではあるが、交易の要所にもなっている波止場が近くにあり、周辺の村はそれなりに栄えているのだと聞いた。


 隊列が都城(とじょう)を出てしばらく。

 山を一つ、二つ程越えて、そろそろその村の近くに入ったかと思われる辺り。


 山道から人の往来がある場所に入り、周りが少々賑やかになってきたのを感じて、我慢できずに輿の小窓を開けてみたところ。

 僅かにできた隙間から覗いた外の世界は、セヨンが想像していた以上のものだった。


 通りに立ち並ぶ家や店、露店の数々。そこには色とりどりの品が並び、人々の暮らしに欠かせないのだろう品々が並んでいるのが見える。

 そして、その通りの端の方には、道を空け、物珍しそうに隊列を眺める人々の姿が、途切れることなく続いている。


 そこにいるのは、王宮で見るような官服や女官装束とはまったく異なる、重い刺繍も冠も何も無い、機能性を重視したような身軽な格好の人々ばかりだ。

 幼子(おさなご)の手を引いている者もいれば、買い出しの途中なのだろうか、野菜や何かが入った平籠を抱えている者もいる。


 皆が足を止め、道を空けて興味深そうにこちらを眺めているが、そこには暮らしの一場面を切り取ったような風景が広がっていた。


 すごい、すごい! こんなにも近くに、人々の暮らしが―――!


 (きら)びやかで(まばゆ)いといえば、当然王宮のそれの方が比べるまでもなく勝っているだろう。

 今ここに広がっている景色は、それとはまったく無縁な素朴なもので、きっとそれを見慣れている者にとっては何の変哲もない、ただのつまらない風景に違いない。

 けれど、生まれた時から王宮しか知らないセヨンには、今ここにある景色こそが夢の世界のように思える。


「―――ヒョリ! ヒョリっ!」


 興奮で声が上ずりそうになるのを、それでもなんとか抑えて小声で呼びかけると、輿のそばを歩いていた女官見習いのヒョリがすぐに寄ってきた。


「お呼びでしょうか、王女様」

「ヒョリ、ねえ、あれは何かしら」


 興奮を隠すこともしないセヨンの顔は、ヒョリを通り越してその向こうに向けられている。その視線は、輿の外に広がる民の暮らしに釘付けになったままだ。


 僅かにできた隙間に精一杯に顔を近付けて、セヨンは丸く大きな瞳をさらに大きく輝かせて尋ねる。


「あれよ、あの子どもが食べているものは何? さっきも同じものを別の子が食べているのを見たけれど、王宮では見たことがないわ」


 示された方をヒョリが振り返るより先に、「あっ、あれも何かしら」とセヨンがまた声を上げる。


「履き物のようにも見えるけど、あんな形のものを見たのは初めてだわ!」


 徐々に声が大きくなっていくセヨンに対し、慌てた様子でしーっと人差し指を立てたヒョリは、セヨンの視界を塞ぐように小窓に顔を寄せた。


「王女様、少し落ち着いてくださいっ。そんなに興奮されては、将軍様に気付かれますよ!」


 けれど、セヨンにその声は聞こえていない。


「うわあ、きれいね。あれは何の飾りかしら。あ、また、あの子もあのお菓子を食べているわ。ねえ、ヒョリは知っているんじゃない?」

「もうっ。あれは米菓というもので、膨らませた米を飴で固めたものです。安価なので、民間では当たり前のように食べられているお菓子ですよ。王女様、それより―――」

「すごい、やっぱりヒョリは何でも知ってるのね!」

「はあ、これくらいは誰でも知ってますよ。ですがそんなことより、輿からお顔を出すのはおやめくださいっ。声も落として!」


 興奮し続けるセヨンに再びしーっと指を立て、今度は少し鋭めに言いながら、ヒョリは先頭の方で馬に乗る大きな背にちらちらと視線を向ける。


「外が気になるのは分かりますが、窓を開けて眺めていることが将軍様に気付かれたら大変です!」

「あ、ごめんなさい、つい」


 セヨンも反射的に口元を押さえて、輿の中から同じ方向に視線を向けた。けれど、ふふ、と頬は自然と緩んでしまう。


「でも、大丈夫よ。背中に目がついていない限り、あんなに前にいて気付くはずがないわ」

「王女様は将軍様を舐めすぎですよ。背中に目がついているから、あのお方は大将軍(だいしょうぐん)なのです」


 顔をしかめてそう言ったところで、ヒョリは「あっ」と声を上げた。そして、窓ごしに急いでセヨンを押しのけると、ぴしゃんと勢いよく外側から小窓を閉める。


 何が起こったのか、その途端、中にいるセヨンには外の様子がまったく分からなくなってしまう。

 ヒョリ、と声をあげようとして、だが近くに蹄の音が近付いてきたのを感じ、はっとセヨンは押し黙った。


「どうした。何かあったか」

「いいえ、特に何もっ……!」


 (おごそ)かに投げかけられた兵の声に、ヒョリが慌てて答えているのが聞こえる。声はギテのものではなく、一介の兵のもののようだ。

 

 しばらく近くを歩いていた蹄の音は、やがて満足したのか元の場所に戻っていく。それを感じて、セヨンはほっと息をついた。


 恐らく、ギテに命じられた兵がここまで様子を見にきたのだろう。

 隊列は長い。先頭からここまでそれなりの距離があるのに、どうしてバレたのか。

 ギテには背中に目がついているというヒョリの言葉も、あながち嘘ではないのかもしれない。


 再びそっと小窓を開けてみると、目が合ったヒョリにじろりと睨まれた。それに、分かってるわ、と申し訳なく軽く肩をすくめてみせて、今度はそっと窓を閉める。


 それでも、少し―――、ほんの少しだけ、窓を開けたままにしておいたことは、ヒョリならきっと許してくれる……はず。






 ―――ああ、まったく。


 通りすがりにちょうどいいと入った酒場で器を煽って、ヨンギルは盛大に顔をしかめた。


 せっかくの酒が、じゃりじゃりと不味い。これでは酔いたくても酔えないではないか。迷惑極まりない。


 ヨンギルは内心で盛大に悪態をつきながら、じっとりとした視線を通りの方へ向けた。


 いつも賑やかな声で包まれているそこは今、誰もが足を止め、通りを端に寄っている。白昼堂々、ゆったりとした速度でそこを通るものがあるからだ。


 馬に乗った護衛と、守られるように進む二つの籠。それに追従する者たち。

 その行列が、人々の暮らしの中心となる通りをゆっくりと縦断している。人々は生活の手を止め、過ぎゆくその一行を物珍しく見送っているのだ。


「立派な行列だな」


 隣の卓でなされた会話が、ヨンギルの耳に入ってきた。


「一体何の行列だ?」


 言う男に、向かいで呑んでいたもう一人の男が、器に酒を注ぎながら返す。


「都城からの行列だって聞いたぞ」

「都城? 王宮がある中央から、わざわざこんなところまで? 一体何しに」

「それは俺も知らん。でも、あれを見ろ。あの先頭の騎馬、あれはチャン・ギテ将軍だろ」


 男の言葉に、ヨンギルの眉が思わずぴくりと跳ねる。その言葉を受けたわけではないが、ちらと先頭の方に目をやる。


 重厚な鎧に、そばに揺れるのは金龍の旗。

 男の言う通り、確かにあれは紫微国の将軍、チャン・ギテだ。少し前に、大将軍に任ぜられたという話を風の噂で聞いた。

 既に通り過ぎた背は、遠目に見ても隙がない。


「毎年この時期に、将軍が護衛する行列が、都城から各地の寺社を詣でて回ってるって話は聞いたことがある」

「それじゃあ、この行列がその行列だってか?」

「この先には長慶寺(ちょうけいじ)があるだろ。今年はそこに向かうんじゃないか?」

「都のお偉方がお参りする程の霊験が、あの山寺にあったのか?」

「さあな。じゃなかったら、あれだな。もうすぐ火祭りの時期だろう。ここの火祭りは元々大王(だいおう)様の活躍を祝って始まったものだし、その見物か」

「ああ、なるほど。……だが、その見物のためにわざわざこんなところまで来るか?」


 話が堂々巡りである。だが、男たちは変わらず、行列についてああでもないこうでもないと言い合っている。


 卓で話す男たちは、ヨンギルに言わせればどちらも物好きな連中であることに変わりない。誰が何をしに来た行列なのかなど、知ったところで己の生活が変わることなど無いというのに。


 ―――他人のことに関心の多い人間が多いな。


 そんな些末(さまつ)なことに興味を寄せられるのは、暮らしに余裕のある人間だけだ。


 思いながら、卓上に砂塵が舞うのを迷惑いっぱいに手で払う。

 すぐそこを行くのは、馬と数十人の足からなる行列だ。加えて、ここ数日は晴れ続き。空気も乾いている。もうもうと舞い上がる砂煙は、先程から止む気配がない。


 こんな行列、砂塵が舞って迷惑なだけだ。


 ぎりぎりまで呑んで、数滴の酒とともに器に残った砂粒をぺいと払い、ヨンギルはやってられんという渋い思い満々で酒瓶に手を伸ばした。が、注ぎ始めた酒は、器に半分程の量が溜まったところでふつりと途絶える。


 空になった瓶の口を覗き込んで、再び逆さにしてみるが、落ちてくるのは申し訳程度の数滴でそれ以上は続かない。半分しか酒が入っていない器には、小さな波紋がいくつか広がってすぐに消える。


 大きなため息をついて、みすぼらしい器を煽ったところで、ヨンギルの視界の端を隣の卓の上がかすめた。


 隣では、行列についての勝手な憶測がまだ続いている。その卓に置かれた酒瓶は二本で、こちら側に立つ瓶はまだ手をつけられておらず、中にはたっぷりと酒が入っていそうだ。


 舌なめずりをして、ヨンギルはそこにそっと手を伸ばした。

 下からいけば、いけないこともない。なんせ、隣の二人は行列を見物することに夢中だ。


 それ、あともう少し―――……。


「……ああ? 何だ?」


 突如こちらを向いた一方に、ひくっとヨンギルの喉が鳴った。届きかけた指は、寸前でその動きを止める。


 くそ、あともう少しだったというのに。


 目が合った男に対し、変な恰好で動きを止めたヨンギルは、その顔に愛想笑いを浮かべた。


「うん? ああ、いやいや……、」


 隣の卓に対し前のめりになっていた体を、ごくごく自然な動作で起こすと、「まあまあ、続けて続けて」と笑顔のまま続きを促す。


 眉をひそめるようにこちらを見ていた二人は、今まさにヨンギルが手をかけようとしていた酒瓶を手に取り、中の酒を並々と器に注いだ。それを惜し気もなく喉に流し込むさまを見て、ごくりとヨンギルの喉が鳴る。


「ああ、気にせず。ささ、どうぞどうぞ」


 ははは、と笑い返して手に取った自身の器に、む……とヨンギルはまた止まった。

 唇を濡らした僅か数滴に、そうだった、もう飲み干してしまったのだった、と思い出す。


 目ざとい男どもめ。行列を見るなら、そちらにのみ気をやっておればよいものを。


 そんな恨み言を内心で呟きつつ、ヨンギルは再び、過ぎゆく行列の方へ目を向ける。


 本当に、一体何のためにこんなところまでやって来たのだか。

 

 用を済ませて、さっさと立ち去れ。


 周りとは違う、どこか冷めた目で、ヨンギルはその行列を見送った。


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