第115話 物
※今回は、テホン視点です
むむ、こちらもよく見ればよい品ではないか。……はっ、あちらの色合わせもいいな。
我が奥方殿は基本的に何でも着こなし、履きこなし、飾りこなすからな……。何でも似合ってしまうがゆえに、見れば見る程に悩ましい……。
通りの店先に並べられた品の数々を、ああでもないこうでもないと唸りながら見て回る。
この辺境にやって来た一番の目的、リランの調査という大仕事が片付いた今、あとは報告書をまとめて帰るだけという段だ。その前に、とまた途中で行き詰ってしまった報告書を放り出し、土産を物色しに外に出てきたところである。
しかしここは、地理的には紫微国の中心である都城から遠く離れた辺境とはいえ、さすが、尚景へも冲景へも続く大海の玄関口となっている街だな。あの大王様のお膝元である都城に負けないくらい、よい品が揃っている。
物色しているのは、当然自分の家族―――愛する妻と娘への土産である。
「なんと、これ程の玉を配ったものがこの値とは……! これ程のもの、都城であれば倍はするぞ……!」
「ああ、お客さん、都城のお方ですかい? やっぱり、お目が高いねえ。それは冲景の玉の品なんですが、都城まで運ぶ分の金がかからないんで、他より値が抑えられるんですよ。求めるなら、いい機会だと思いますよ」
「むう、これは悩ましい」
そんなやり取りも、もう何度目だ。少し前にも別の店で同じような会話をしたところである。
この地はとにかく、いい品が驚く程の安値で売られているのだ。
安値と言っても、都城と比べればというだけで、それぞれがそれなりに高価な品であることは変わらない。しかし、同じ品なのにここで求めれば安いのだと知れば、財布の紐も緩みやすくなるというものである。
そういうこともあって、見ているとどれも土産にしたいというのが正直なところなのだが、気になったものを片っ端から買ったりしようものなら、「何を無駄遣いをしているのです! 大概になさいませ!」ときつい叱りを受けることになってしまう。
テホンの妻は、たとえば仕事帰りなどにテホンが必要以上に土産を買って帰ったりすると、目を怒らせて叱ってくるのだ。
もちろん、土産があること自体は喜んでくれる。あくまで、買い過ぎた場合のみだ。
しかしまあ、それはそれで、妻から叱りを受けることなど滅多にあることではないため、テホンにとっては怒っても美しい顔を喜んで見つめるだけなのだが。
おっ、これは愛しの娘が喜びそうな品だな。これは一つ買って帰るか。おや、こちらもよい品だ。娘にはいくつあっても困らないからな。これも買おう。
というわけで、妻への土産は厳選する必要があるのだが、娘に対してはその審査はかなり甘くなる。娘への土産については、妻の叱りも少々……いや、かなり和らぐ傾向にあるからだ。
自分自身への土産には目を厳しくするくせに、娘への土産についてはあまり細かいことを言わない。テホンもそうだが、娘が喜ぶところを見たいというのは、妻にも共通する思いのようだ。
そして、そこがまた、娘とともに妻への愛が増す所以である。
「これとこれを包んでくれ」と店主に頼んで代金を渡し、さて我が奥方殿への土産はどうするかな……と再び店先を物色する。
そういえば、スハ君たちの塗り薬が非常に優れたものだと、華月楼の妓女たちが言っていたな。なんだかんだで見せてもらう暇が無かったが、次に会った時にでも頼んでみるか。
紅や白粉が並ぶ辺りを物色しながらそれを思い出し、テホンはふとその手を止める。
一緒に都城に行かないか―――。
数日前、テホンはスハたちにそう提案した。
君たちのような若者がこんなところにいるのは勿体ないと、その時彼らに語ったことはすべて紛うことなきテホンの本心だ。
しかし、都城は遠い。一度向かえば、簡単には戻ってはこられない。
力を尽くしていた分、気にかかることも多いだろうしな。さて、彼らはどうするだろうか……。
彼らの師であるヨンギルに事前に相談してみた際、「よいのではないか?」ともらってはいたが、決めるのは彼ら自身だ。
色よい返事がもらえれば尚よいが、もし断られても、彼らがもう少し広い世界を考えるきっかけくらいにはなればよいと思っている。
まあ、私は彼らの答えを待つだけだ。
そう、テホンが軽く息をついたところで。
「あれ、あんた―――」
ちょうど通りがかったらしい、そんな男の声が後ろで聞こえた。
「おい、あんた、もしかしてあれじゃないか?」
「……む? 私か?」
聞き覚えのない声ではあるが、自分に話しかけられているような様子に振り返ると、そこにいた小太りの男と目が合った。
年齢は三十前後といったところだろうか。自分より年上ということはないだろうが、見た目がどうにも肥えているため、まったくの見当違いである可能性もある。しかし。
誰だ、この者は。
とにかく見覚えがないことだけは確実なその男は、振り返ったテホンを見て何故か嬉々とした表情を浮かべた。それは、明らかにこちらを知っている反応だ。
だが、テホンの方にはやはり覚えがない。他の者に話しかけたところでたまたま自分と目が合っただけだろうかと見回すが、周りにそんな人物はいない。
「あの、失礼だが、人違いを……」
「いや、あんたで間違いない。ほら、この前スハたちとそこの通りを歩いてただろう」
「スハ君? この前?」
―――と、言われても、一体いつのことを指しているのか。
しかし、どうやら相手はスハたちの知り合いのようだ。戸惑うこちらを無視して、相手は陽気に話しかけてくる。
「あんた、都城から来たんだってな。薬房の親父さんから聞いたぞ。いやあ、遠路はるばる大したもんだ」
謎にばしばしと背中を叩かれながら言われ、その勢いに押されたテホンは「はあ、それ程でも」と首を傾げたまま謎の返しをする。
いや、そんな場合ではない。この妙な状況を打開せねば。
いい加減背中が痛くなってきたところで、テホンは男から体を離し、一つ咳ばらいをしたあと、「失礼だが―――」と向き直った。
「そちらは、どなたかな」
「なんだよ、スハたちから俺のこと聞いてないのか?」
男は飛び出た腹を大げさな程にのけ反らせて驚いた顔をした。
「俺はトボクってもんだ。あいつらのことはガキの頃から知ってて、まあ言うなれば、あいつらの兄貴分ってとこだな」
「兄貴分?」
トボクと名乗った男は、大きく出た腹をばいんっと弾ませて、ふふん、と笑う。
が、テホンは片眉を寄せた。
兄貴分ということはそれなりに親しい間柄なのだろうが、これまでその名を聞いたことはない。スハたちだけでなく、ヨンギルからもだ。
本当にそんな間柄なのだろうか。
思ったが、店の店主が娘への土産を包んで戻ってきたため、そこで思考が止まる。
それを受け取って離れようとすると、なぜかトボクもそのままついて来た。
「しかし、スハたちも水臭いなあ。俺が旅芸人を目指してることを知ってて、都城から来た良家のお方を紹介もしてくれないなんてさ」
どころか、それまで同様、こちらのことなどお構いなしに話を続ける。仕方なく、テホンは隣を歩き始めたトボクという者の相手をすることにした。
「紹介されたところで、私が役に立てることなど何も無いと思うが。私はただのしがない医者だからな」
「いやいや、違うんだよ。都城に知り合いがいれば、食い扶持に困っても助けてもらえるだろう? いわゆる、後援者ってやつだ。あんた―――いや、旦那様、ぜひ俺の後援者になってくれないですか?」
「は……?」
要するに、これが本題だったのだろう。
なんだか辛うじて敬語のような妙な言葉遣い、かつ、きらきらとした目で言われるが、テホンにとっては見ず知らずの者からの謎の打診であり、「なぜ私がそんなものに」以外の何ものでもない話である。
「いや、私は―――」
「いいから、いいから、まずは俺の歌を聴いてみてほしい。あ、いや、聴いてください」
当然断ろうとするが、相手は「えほんっ、ごほんっ、あー、あー」と喉の調子を確認し始める。何もよくない。
さらに、ふと周りを見れば、通りを歩いていた人々がぎょっとしたようにトボクを見やり、急いで逃げろと言わんばかりにこの場から離れようとしている。
な、なんだ……!?
状況は分からないが、この場にいると何かとんでもない目に遭いそうなことだけはテホンにも分かった。よって。
「おっと、そうだ! このあとスハ君たちと会う約束をしていたのだった! このままでは時間に遅れてしまう! そういうわけで、失礼」
軽く手を上げ、その場を急いで離れる。後ろに「あっ、待てよ!」と聞こえたが、問答無用で逃げ去った。
そしてこれ以降、テホンの中ではトボクが要注意人物として記憶されることになる。
スハたちに都城行きを提案したあと、その返答を待つ間のテホン(と、トボク)の様子でした。
少し休憩回でしたが、次回以降、再び視点はスハたちに戻ります。
さて、彼らはテホンの提案にどんな答えを出すのでしょうか。
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