第14話 華
紫微国の辺境にある妓房、華月楼は、最上の花とともに極上の夢を提供する場所だ。
門をくぐると目の前には美しく整えられた庭園が広がり、その周りにはぐるりと囲む形で豪華な楼閣が組まれている。酒宴を楽しむ卓や部屋には咲き誇る旬の花が添えられ、高欄から惜しげもなく垂らされた薄布がふわりと揺れるたび、そこに垣間見える妓女の微笑みは客をとろけさせる。
灯した柔らかな明かりが華月楼全体を夜の中にぼんやりと浮かび上がらせ、まるでここは天国かと思ってしまう客は一人や二人ではないだろう。
夜の中に華やかに輝く月のような場所―――ここをそういう場所にしたいと思い、華月楼と名付けた。
華月楼は、地元の民はもちろん、各地へ荷を運ぶ人足から仕事で少しこの街に寄った者、お金に余裕のある裕福そうな者など、身分に関わらず受け入れ、そして、若者から年配の者までと、花と夢を求める者ならば誰でも受け入れることを基本としている。
それは、この妓房を開くことにした時から変わらない、自分の指針となるものだ。
華月楼の行首、シン・ミラン。
この街で華月楼という妓房を開き、行首として率いてきて既に一五年近くが過ぎようとしている。
行首とは、妓房を切り盛りする女主人のことだ。妓房のすべてを一手に担い、そこで暮らす妓女たちの母親代わりや姉代わりとして面倒を見、客に対し最高のおもてなしを提供できるよう気を配る。
自身は既に一線を退いているため、他の妓女たちと同じように客の前に立つことはほとんどないが、それでも、華月楼を贔屓にしてくれる常連の客や、これから長く付き合っていけそうな客が訪れてくれた際には、挨拶として顔を出す事も少なくはない。
ミランは元々、他の街で妓女として生きていた。幼い頃に妓房に入り、舞や楽など、様々な芸を仕込まれて、気づけばその妓房で一番人気の上級妓女にまで上り詰めていた。
転機が訪れたのは、妓女として人気絶頂だった頃のことである。お世話になった姐―――先輩の妓女から、この街で妓房をやらないかと言われたのだ。
一般的に、妓女として華があるのは二〇代半ば頃までだと言われており、その時点でミランは既に二〇歳を数年過ぎたところだった。
たとえ妓女でなくても、花の盛りを過ぎれば徐々に色褪せていくのは、逆らいようのない自然の流れである。
別にそのこと自体が嫌だったわけではないが、このままいくと、食い扶持をなくす可能性は十分にある。なんせ、人気のなくなった妓女の行く末は非常に難しいもので、客の誰かに見初められでもすればその後の人生もある程度は保証されるが、そうでなければ、炊事洗濯や若い妓女たちの世話役など、客の前に出ない裏方として妓房を支えるか、もしくは、劣悪な環境に身を落としても妓女として生き続けるかのどちらか、というのが一般的だったからだ。
下手に人気があった上級妓女となると、裏方に回ったところで妓房の方も扱いにくい。かといって、劣悪な環境に身を落としてまで妓女を続けることは、一時とはいえ、上級妓女であった誇りが許さない。
生まれ故郷だというこの街に戻って妓女を続けていた姐からの誘いは、そんな状況にあったミランにはまさに渡りに舟だった。
そして自分自身、先行きの不安はあるものの、それでも、新たなことへの挑戦がとても魅力的に感じた。
―――私は一介の妓女の方が性に合ってんの。だから、私は妓女としてあんたを支えるから、妓房の切り盛りはあんたがやってよ。
姐からの言葉もあり、そうしてこの場所で行首として華月楼を開くことになった。
だが、この辺りには他に妓房がいくつもある。
初めの頃は抱える妓女も少なく、今より建物も小さく質素で、なかなか客がつかず大変なことも多かった。
けれど、がむしゃらにやっていれば、現実はあとからついてくるもののようだ。
華月楼を開いて、五年、十年と経つ頃には、青と赤の提灯に火を灯すたび、門の前に行列ができるようになり、今ではこの街を訪れる者でこの華月楼のことを知らない者はいないと言われるほど、評判の妓房に成長した。
夜の中に華やかに輝く月のような場所にしたいと名付けた通り、華月楼は今や他に類を見ない程華やかな場になっている。
妓女が提供する芸も、舞や楽はもちろん、饗する料理にいたるまで、華月楼が提供するものはすべて一級品だという定評ももらっている。その裏には女たちの血や汗が滲むような努力があるのだが、それを客が感じることはない。
誰に対しても最高のおもてなしを―――その姿勢が、上級妓女から見習いにいたるまで深く浸透しているからだ。
極上の夢を提供する場に、裏の泥臭い部分などを感じさせるのは素人のすることである。
華月楼の妓女には総じて、どんな客にも最高のおもてなしを提供するという自負がある。いや、それができるのだという誇りを持たせるようにしている。
ミランは華月楼を開く時、他の妓房がしているような客の選り好みは絶対にしないと決めた。
それは何も、客を大事にしているからではない。どんな客でも大事であることはもちろんだが、同じように、何よりも大切な妓女たちを守るためである。
見るからにみすぼらしい者を受け入れては、妓房の格が下がる。また、安いお金の使い方しかしない客より、ひと晩で湯水のように惜しげもなくつぎ込んでくれるような客を受け入れた方が、同じ時間相手にするにしても実入りが多い。
そう考える妓房は多く、周りには入る客を選別しているようなところが多い。
だが、華月楼ではそれはしないと決めている。
なぜなら、客を選別するという行為は、相手を見下すことに繋がるからだ。
お金の有無によって、受け入れる客とそうでない客を決める。これは、客に優劣をつける行為と同義である。だが、客に対してそれをするということは、逆にこちらがそれをされるのを許すことにも繋がる。
一方では自分たちも行っていることに対して、もう一方ではそれを向けられることを許さないなど、そんな甘い話があるわけがない。
お金のある客のみを受け入れるということは、その時点で客に対して遜ることであり、それは妓女たちが客に見下され、侮れることを許す行為でもある。
ミランは、この華月楼の行首だ。行首として、何よりも大切な妓女たちを守る義務が自分にはある。
妓女は、やって来た客に対して芸―――舞や楽、最高の料理などを提供し、時には夜の相手を務めることもある。だが、それは客に対して求められるままに身を捧げ、尽くしているのではない。あくまで、自分の価値に対して相応の対価を支払ってくれる相手に、自分の業を提供しているに過ぎないのだ。
妓女は男たちの慰み者ではない。一流の芸を提供する芸妓である。
客の尊厳を守ることが、妓女たちの尊厳を守ることにも繋がる。そのことを、ミランは妓房のすべてを教えてくれた、ここで妓房を開こうと言ってくれた姐から教わった。
よって、華月楼は絶対に客の選り好みはしない。
訪れてくれる客すべてに最高のおもてなしを提供し、それに見合う十分な対価を支払ってもらった上で、満足して帰ってもらう。
それが徹底しているからこそ、華月楼は今の地位を築くことに成功した。そして、これからもその姿勢を崩すつもりはない。
最上の花とともに極上の夢を提供する場所―――、華月楼は、最高のおもてなしを客に提供すると同時に、妓女たちの尊厳と誇りを守る場所だからだ。
新たな人物、華月楼の行首シン・ミランが登場しました。
次回も、もう少しミラン視点が続きます。




