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第11話 商


そして、再びスハ視点に戻ります。


 やって来たミョンウォル、ギュリ、プヨン、三人の妓女(ぎじょ)を迎え入れ、スハはドハンとともに卓についた。


 卓は、料理や酒を十分に並べられる広さをもった円卓だ。

 スハとドハンの真ん中にミョンウォル、スハの反対の隣にギュリ、そして、ドハンの隣の端にプヨンという順で腰かけている。


 真ん中に腰を下ろしたミョンウォルは前回も世話になった妓女だったため、スハとドハンの間に腰を下ろすのは妥当な位置だと言えるし、客二人に対し妓女三人なので、他の二人が腰を下ろした位置についてもかなり順当な並び順と言えた。


 口では乗り気じゃないようなことを言っていたドハンも、プヨンに酌をされて満更でもなさそうな顔をしているし、なんだかんだ、舟に乗り遅れてやっぱりよかったじゃないか、と思いながらスハもドハンのように注がれた酒を傾ける。


「おかわりを」


 器もそれ程大きいわけではない。軽く飲み干したところにすかさずミョンウォルが注いでくれるのを、「ああ、悪い」と笑って再び受ける。


 あまり酔わないうちに、本題を切り出さないとな。


 元々、今日華月楼(かげつろう)を訪れた目的である。

 早々に話をそこにもっていきたい気持ちを抑え、まずは礼儀として酒や料理を楽しみつつ、軽く会話を交わしたあとにしようと思ったが、あまりゆっくりしていると話をする前に酔ってしまいそうだ。


 酒は嫌いではないが、特別好きだというわけでもない。

 呑めばいい気分になるし、旨いとも思うが、それよりも、呑んだあとの頭や体の重さの方が不快で、自分にはまだそれ程必要なものではないと思っている。

 だからこうして酒を呑むのは、妓房(ぎぼう)を訪れた客としての礼儀で、そろそろ本題に入ろうかとスハは器を卓に下ろした。


 妓女の衣装は首元が大きく開いたものが多く、喉元から胸元まで、白い肌が露わになっているものがほとんどだ。上級妓女など、位が高い妓女である程、纏う衣装は生地も刺繍もその色使いも豪奢なものになっていくが、基本の形は変わらない。


 胸元をさらに強調するように、そのすぐ下を太めの帯が締め上げているのも同じで、ただ、位が低い妓女はそれだけなのに対し、上の方の妓女は美しい装飾の施された扇子をその帯に挿していたり、意匠の凝った帯飾りを垂らしていたりと、自身をより美しく飾るための装飾品を多く身につけている。

 衣装や帯回りだけでなく、それは髪飾りや唇に差す紅、白粉(おしろい)などにしても同じことが言え、位が高ければ高い程、己を磨き、自身をより美しく彩ることに余念がない。


 今目の前にいる妓女たちは皆下級のため、あまり華美ではない格好―――言い方を変えれば、()()()()()()()をしているのだが―――。


 その中にあって、ただ一人、小ぶりではあるが、締めた帯から磨いた玉と色鮮やかな飾り紐が丁寧に結ばれた帯飾りを垂らしたミョンウォルに、スハは視線を向けた。


「ところで、ミョンウォル」

「はい」


 酒ではなく今度は何かつまみを取ってくれようとしていたのか、手にしていた箸を置き、ミョンウォルがこちらを向く。


「その帯飾りは、前回俺が渡したものか?」

「まあ、気づいてくださったのですね」

「はは、入ってきた時から気づいてたさ。あれから、その帯飾りをつけてくれているのか気になっていたからな。使ってくれているようで嬉しいよ」


 言うと、ミョンウォルは妓女らしく柔らかく瞳を細め、ほんの少し首を傾けて少々蠱惑的な笑みを浮かべた。


「そんな、滅相もございません。感謝を申し上げたいのはこちらの方で。これで随分、同輩だけでなく、姐様方や他のお客様からも、趣味がいいと褒められたのです。普通よりもかなり押さえて求めることもできましたし、よい買い物ができたと満足しているのです」

「そうか、それを聞けて安心した。せっかく買ってくれたんだ、逆にミョンウォルの評判を下げるようなことになってはいないかと少しだけ心配していたが、そうではないんだな。よかった。―――うん、よく似合ってるよ」


 思ったままにそう述べると、はす向かいで卓上の料理を次々と腹に収めていたドハンが急にぶっと勢いよくそれを噴いた。


「うおっ、なんだよ、ドハン! 汚ねえな」

「お前は、よくそういうことがつらつらと出てくるな。言ってて、恥ずかしくないのか」

「なんで恥ずかしいんだよ。似合ってるものを似合ってると言って何が悪い。本当のことだろ」

「そうだとしてもだよ。もうちょっと考えてからモノを言えよ」

「考える? 何をだよ」


 またよく分からないいちゃもんをつけてくるドハンと言い合いながら、ドハンが噴いて食べられなくなった皿を片付ける。その中にはあとで落ち着いたら食べようと思っていたものもあり、スハは内心でこの野郎、と軽く拳を握るが、小さな息とともに何とか堪えた。


 妓女は妓房で生活をしており、やって来た客に極上の夢を与える存在ではあるが、籠の中の鳥というわけではない。


 生活の拠点はあくまで妓房だが、妓房が閉まっている昼間は自由に外に出かけることもできるし、そこで思い思いに買い物を楽しむことだってできる。

 身柄の権利を持っているのが自分自身ではなく妓房であるため、仮に逃げ出そうとすれば即座に捕縛の対象になるし、どこぞの男と恋仲になって妓房を出たいとなれば、身柄の権利を買い戻すという意味で身請け金を妓房に収める必要などはあったりするが、基本的には自由に振る舞うことが許されている。


 妓房は妓女を使って客に夢を売る場所という考え方が前提のため、客の前に出るための最低限の身だしなみを整えるのは妓房側の仕事で、妓女が妓房に借金をする形で衣装や装飾品を整えるなどということもない。ただ、妓房が用意するのは最低限必要なものだけなので、客を射止めるためにより高価な衣装や装飾品、紅や白粉などを手に入れたいと思えば、自分の手で求める必要がある。


 ここが少し難しいところで、自分の稼ぎを増やすためには、自身に金を払ってくれる客を増やし、妓女としての位を上げる必要があるのだ。だが、客を射止めるためには、自分をより美しく見せられる衣装や装飾品、色の映える紅や白粉などを買い揃えることもまた必要となり、鶏と卵、どちらか先か問題のような状態になってしまうのだ。


 位の高い上の方の妓女であればある程度、そうする余裕は十分にあるのだが、下の方の妓女にはそれはなかなかに難しい現状がある。

 妓房が閉まっている昼間も、上の妓女に比べて下の妓女は芸事の稽古なども多く、市井にゆるりと買い物を楽しみに行く暇などとても無い。そのため、下級の妓女たちが少しでも自身を飾るものを入手しようと思えば、出入りの販売人などから格安で、見た目も、()()()()()()()程度のものにしか手を出すことができないのだ。


 スハがこの華月楼でしようとしていた商売というのは、まさにそれのことである。


 金銭的にも物理的にもあまり余裕がない下級妓女向けに、装飾品の類を安価で提供する。

 上級妓女相手ではなかなか難しいが、下級妓女相手であれば、売れる品物というものはたくさんあるのだ。しかも、控えめに言っても、自分の手元にある品は、上級妓女が身につけても遜色ない程、丁寧で繊細なものばかりだという自負もある。


 ものがいいのは、材料に割く金を惜しまないようにしているからだ。


 それがすべてではないが、賭け場など、別で稼いだ金も投入しているため、元手は十分にある。確かな材料を使い、そこから装飾品を完成させる職人の手ももちろん優れたものだ。知ってもらえば、必ず売れる。


 ドハンなどは「そう上手くいくか?」と少しばかり懐疑的な目をしたりしているが、スハ自身は、自分が売り物として扱っている品々に絶対的な自信があった。


 とはいえ、新参の者が扱う品がそう簡単に妓女たちの目に留まるわけでもない。まずは一つでも誰かに買ってもらい、実際につけてもらうことで評判を広めてもらうことが肝心なのだが、その一人目がなかなか見つからなかった。


 何度か華月楼を訪れて、ようやく前回、このミョンウォルがその一つ目を買ってくれたのである。

 

 妓房としては、個人の装飾品などの渡り売りに関しては特に取り締まっておらず、既存の販売人を大いに邪魔するような阿漕(あこぎ)な商売をしない限りは、うるさく言われるようなことはない。なので、意外に誰でも商品を持ち込むこと自体はできるのだ。


 難しいのはそこから実際に売ることで、いい商品を持っていても妓女からある程度の信頼がなければ、なかなか商売として成り立たない。

 当然である。扱っている商品や、それを扱う人間が信じられなければ、妓女でなくても誰も商品を買う気になどならないのが普通だ。


 では、なぜそうまでして装飾品を売ろうとしているのかと言うと、それは、薬房の薬を広めようとしていることや、定期的に賭け場をやり込めてやっていることも含め、同じ理由につながっているのだが、それは今は一旦置いておこう。


 とにかく、そういういろいろがあったため、その最初の一つ目を買ってくれたミョンウォルには本当に感謝しているのだ。今もこうしてつけてくれていることも、大変ありがたい話なのである。


「本当に、よい品をありがとうございました。実は、気づいてもらえなかったらどうしようかと思っていたのです」

「はは、気づかないはずがないじゃないか。この華月楼で、一番初めに買ってもらった帯飾りなんだ」

「あら、覚えてくださっているのは帯飾りのことだけですか? 私のことも忘れないでほしいものです」

「ふっ、何言ってるんだ、当然だよ。じゃなかったら、今日も呼んでない。感想も聞きたかったし、来てくれて嬉しいよ。この帯飾りも、これからもたくさん使ってくれると、もっと嬉しい」

「ええ、気に入ったから買わせていただいたのです。もちろんですわ。私、こう見えて、一度手に入れたものは大事にするのですよ」


 ふふ、とまた妓女らしく微笑むミョンウォルに、スハも酒を掲げて満足に笑みを返す。


 それをまたなぜかしらっと見てくるドハンの白い目が気になったが、今までの経験上、理由を聞いたところで答えは得られないことは分かっているので、無視することにしておいた。



ミョンウォルはかなりグイグイ押しているのですが、スハには商売のことしか見えていません。


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