第8話 妓
今いるこの隣街は、スハたちの街と同じくらい栄えている。人も多く、店も多い。
これは、大河川から流入してきた人や物が、内陸を通って紫微国の中心部の方へと流れていくからで、荷を運ぶ人足たちが経由する宿場町として発展してきたからである。
民家が密集する辺りはさすがに日暮れとともに徐々に人通りが減っていくが、街の中心となる通り沿いには宿屋や酒場も多くあり、日が沈んでからも人出が絶えることはない。むしろ、日が沈んでからこそが本番となる「店」も、その中には多くある。
帰りの舟に乗り遅れたため、どうせならもうひと商売、ということでスハたちがやって来たのも、まさにそういう場所の一つ。
で、それがどこかと言うと―――。
夜に浮かぶ赤と青の幻想的な色提灯の灯りに吸い込まれるように、次々とその門扉をくぐっていく男たち。人足から裕福そうな者、若い者から年寄りまでと多岐に渡る男たちが、期待と興奮の熱に浮かされた、まるで夢見心地のような顔で中に入っていく。
絶えず客が出入りするその門扉に立つだけで、衣に焚き染められた香やはたかれた白粉の香りまでが感じられそうだ。
華月楼。
ここは、最上の花とともに極上の夢を提供する場所。
この隣街で一番の妓房である。
妓房とは、いわゆる芸妓―――歌や舞、数々の芸事で客を喜ばせ、宴席の接待も取り持つなど、美しく着飾った妓女たちが客をもてなしてくれる場所だ。ただ酒を飲むだけでは満足できない者たちが、花も愛でるために通う場所である。
一般的な店とは比べものにならない程の広い敷地を有し、高い壁の向こうに覗くのは、この辺りでは珍しい二階建ての大きな屋根。貴重な木材と漆喰の壁で作られた立派な門構えから感じられるのは、これでもかというほど贅の限りを尽くした豪華な宿屋のような雰囲気だ。
実際、宿屋代わりにここで夜を明かすことも可能だが、妓女を伴って一夜を過ごす者がほとんどのため、懐から出ていく金は並の宿屋の比ではない。
妓房への出入りについては一応年齢制限が設けられているが、一八歳は法的にも出入りを認められている年齢である。そのため、スハたちでも堂々とその敷居を跨ぐことができる場所だ。
「―――さすが華月楼、今日も繁盛してるな」
「そりゃあそうだ。妓女も上玉ばかりが揃ってるし、客のえり好みもしない。提供される芸事はどれも天下一品。妓女の格によって違いがあるとはいえ、稼ぎの低い人足でも気軽に入ることができる。他にこんな妓房は無いからな」
中に入って思わずといった様子で呟くドハンに、スハも頷いて答える。
この華月楼に入るのは、実は既に何度目かなのだが、何度来ても、その優美さに圧倒される。
荷運びの人足や仕事で他の街に向かう者など、いくら先を急いでいたとしても夜通し進み続けることはさすがにできない。そのため、経由地で宿を取る必要があるわけだが、せっかく外泊だというのにただ何もない宿で寝るだけではつまらない。どうせなら、少しでも夜を楽しみ、ひと花咲かせたいものである。
そう考える者は多く、交通の要所や街道沿いの大きな街には、たいていこのような妓房が開かれている。
中でも華月楼は、外から見ても十分幻想的な雰囲気ではあるが、中に入るとそこはもう別世界だ。
門をくぐると目の前には美しく整えられた庭園が広がっており、その周りをぐるりと囲む形で豪華な楼閣が組まれている。酒宴を楽しむ卓や部屋はその楼閣部分にあり、そのいずれもに咲き誇る旬の花が添えられている。
高欄から惜しげもなく垂らされた薄布がふわりと揺れるたび、そこにちらりと垣間見える妓女の甘い微笑みには、なんとも言えない艶っぽさがある。
灯された柔らかな明かりが華月楼全体を夜の中にぼんやりと浮かび上がらせ、ああ天とはこのようなところか、と思わず深い息がこぼれるほどだ。
それなのに、ここにいる妓女たちには奢ったところがない。
この辺りにはいくつか妓房が並んでおり、中には、入る客を選別しているような場所もあるが、この華月楼にはそれが無い。
門をくぐった客は、それがたとえどんな客であろうと、最高のおもてなしをする。上級の妓女だけでなく、末端の見習いまでその意思は徹底されており、そこには妓房や妓女としての高い誇りさえ感じられる程だ。
それもあって、この隣街を通過する者で華月楼の名を知らぬ者はほとんどおらず、夜になればこの妓房に向かう客で道ができると言われる程、いつ来ても客の出入りが絶えない場所となっている。
スハたちの街にももちろん妓房はあるが、この華月楼程の場所には早々出会えない。もう少しここを見習った方がいいんじゃないかと思う妓房はたくさんあるが、見習ったところでそれが再現できるかはまた別の話だ。
この華月楼には、その名の通り、誰が見ても華がある。
それはひとえに、この妓房を経営する行首―――女主人の手腕が並外れて優れているからだろう。
……まあ、もし華月楼ほどの妓房が俺たちの街にあったとしても、わざわざ足を向けることはしないんだけどな。
今こうしてスハが華月楼を訪れることができているのは、ここが隣街だからである。これがもし自分たちの街だったら、こうも堂々と中に入ることはできない。いや、そもそも入ろうとも思わない。
理由は、ソンジェがいるからである。
あのクソ真面目な親父の中で妓房とは、総じて「女を買う場所」という認識らしい。年齢的に問題ないとはいえ、そんなところに息子が出入りすることを黙って見過ごせないようだ。
賭け場もそうだが、スハがそういうちょっと逸れた場所に関わろうとすると、ソンジェは途端に目を吊り上げて鉄拳を振り上げてくる。心配されるのは分かるが、いささか頭が固い。いや、固すぎる。―――うむ、ついでにもっと言っておこう。我が親父ながら、呆れる程に古い考えだと思う。
妓房では、提供される料理も、そこら辺の酒場や飯屋と比べ物にならない程に丁寧に作り込まれていて、思わず唸ってしまう程に旨い。わざわざその料理を食すために大枚をはたいて妓房を訪れるという客もいるくらいだ。だが、それを用意しているのもまた妓房の女である。
歌や舞の芸、宴席の接待、饗される料理、そして、時には夜の相手まで、どんな目的でそこを訪れようと、女が何かを提供する場であることは確かに間違いない。
しかし、そこに近づくな、いかがわしい場所だから入るな、と言うことは、そこで生きる女たちの誇りを真向から否定することになるのではないだろうか。
ソンジェにとって妓房はそういう場所かもしれないが、その妓房に夢をもらい、明日を生きる糧をもらい、人生を救われている男たちが数多いるのだという事実を、忘れてはならないと思う。
とはいえ、それを正面から懇切丁寧に説明したとしても、あの石頭は必ずと言っていい程聞く耳を持とうとしない。
スハが妓房に近付くのは単に夜を楽しむためではないのだが、それを言ったところでどうせ賛同は得られないのだ。それならば、同じ街でそういう場所に出入りしていることがバレて大目玉を食らうよりは、ソンジェの目の届かない隣街でやりたいことをやっている方がいい。
どれだけ不良息子と言われようと、自分がやりたいことを貫き通す意思の強い人間の方が、親としても鼻が高いはずだ、多分。
―――と、まあ、ここまで言うと、それなら隣街ではなくソンジェの前でこそその意思を貫き通せばいいではないかとなりそうだが、それとこれとはまた話が別なわけで。
実は既に一度、過去に実際に大目玉を食らったあとなのだ。あの時は近所を巻き込んでの大騒ぎになり、スハはしばらく顔を上げて歩くことができなかった。
面倒ごとは、避けられるなら避けた方がいいに決まっている。
「さてと、気合入れていくか」
「気合って、お前なあ……」
両手を揉み合わせ、気合十分に奥へと歩き出したスハに、ドハンはまた渋面をつくっている。
一日にそう何度も眉間にシワを刻んでいては、目が疲れないか? と思うが、これはドハンのスハに対する癖のようなものなので放っておくことにする。
「部屋は、空いてればいつもの場所に案内してもらえばいいだろ? 妓女は、下の方から空いてる子で、ああ、前回来た時と同じ子が空いてたらいいなあ。感想も聞きたいし。気に入ってくれてたら、次も勧めやすいし」
「お前ってやつは、本当に切り替えが早いな……」
「なんだよ、ドハンだって喜んでついて来たくせに」
「な……っ! 俺のどこが喜んでたよ!」
「反対しなかったことが、その証拠だね。まんざらでもない顔でついて来ておいて、今さら何言ってんだか」
ふん、と笑って言ってやると、ドハンはそれ以上の言葉が出てこなかったのか、閉口してしまう。別の言い方をすれば、呆れて物も言えない、という状態なのかもしれないが。
「さっきの賭け場で勝っておいてよかったな。たっぷり余裕があるから、今夜は好きなだけ飲み食いもできるぞ」
俺のおかげだな、とドハンを見ると、また眉間に深いシワを刻んでいる。こいつはいつからこんな顰めた顔ばかりするようになったんだ? と首を傾げるが、その原因のほとんどが自分にあることにスハは気づいていない。
「華月楼へようこそおいでくださいました、お兄様方」
そんな話をしていたところで、案内役の妓女がやってくる。すい―――と一礼し、柔らかく微笑んだ妓女は、細くたおやかな指先で奥を指し示すと、すぐに先に立って歩き始める。
「それでは、ご案内いたします。どうぞ、こちらへ」
妓女が言う「お兄様方」というのは、若い男性客に対する呼び方で、彼女とスハたちが元々知り合いというわけでも、妓女の方がスハたちより若いためでもありません。
妓女たちがこう呼ぶのは、やってきた客に少しでも気持ちよく過ごしてもらうためで、ある一定の年齢以上の男性客に対しては「旦那様」、良家(貴族)のような明らかに身なりのよい若い男性客に対しては「若様」と、それぞれ呼び方を変えたりします。




