第6話 喧
賑やかな往来に、スハの鋭い怒号が響く。
「お前、今何つった!」
胸倉を掴み上げるスハを冷たく一瞥し、ドハンはふん、とその手を払いのけた。
「話も聞かねえお前みたいなクソ野郎には、もう付き合ってらんねえって言ったんだよ」
「はっ、そんなのは頼まれたってこっちから願い下げだ! お前なんか、食ってるばっかでただの足手まといじゃねえか」
「なんだと!」
大声で言い合う二人の周りに、遠巻きながら、なんだなんだと人だかりができ始める。その中に、後ろから追ってきた賭け場の男たちがまざり、一番よく見える位置で足を止めたのを見て、スハはドハンにそっと目配せをした。
「こいつ、今日という今日はもう許さねえ!」
それを合図に、眉を吊り上げて肩を怒らせたドハンが、今度は逆にスハの胸倉を掴み上げ、ぶんっ、と大きく群衆の方に投げ飛ばす。
どよ……っ、と集まっていた人々から声があがる。
なんだよ、ドハンのやつ。なんだかんだ言って、結構乗り気じゃないか。
くく、と思わず口元が緩みそうになるのを堪えつつ、体を捻って少々軌道修正し、スハは投げ飛ばされた勢いのままに群衆の中に突っ込んだ。
「ぐえ……っ!」
受け身を取るためにそうしたように見せた体が、ちょうど重い回し蹴りを食らわせるような形で、一番前で見ていた男の一人を薙ぎ倒す。不意打ちの攻撃に泡を吹いて倒れたのは、賭け場から追ってきた連中の一人だ。
立ち上がり間際にそれを横目で確認して、よし、と裾の陰で小さく拳を握る。
そしてついでに、おっとと、と軽く足をよろめかせておいて、スハは泡を吹いた男の隣にいたもう一人の顔面にも、鋭い肘鉄を一発めり込ませた。
「ぐぼっ!!」
「あ、悪い」
顔面に鋭い衝撃を受けて、反射的にそこを押さえた男は、だがそのまま悶絶するように地に蹲る。それに、今のは決してわざとではありませんよー、たまたまぶつかっただけですよー、という意味を込めて、軽く片手を上げて謝罪を述べておくが、男にそれが聞こえていたかは分からない。
先に倒れた男も含めて、しばらくはまっすぐ立ち上がることも難しいだろう。
まずは、二人。
冷静に状況を確認しつつ、スハはちら、とそばの人だかりの中に目をやった。
何やら突然の巻き添えを食らって次々と倒れていく男たちに、近くにいた人々は「お気の毒に……」という同情のこもった眼差しを向けている。その中に、他とは少し異なり、不可解そうに眉を寄せた顔がいくつか見える。賭け場から追ってきた残りの者たちだ。
だが、災難に見舞われた仲間の姿に険しい表情を浮かべながらも、今のところ男たちの顔には戸惑いや困惑の方が大きく映っており、警戒や敵意のようなものはまだ見えていない。目の前で何が起きているのか、まだ状況が把握できていないせいだろう。
ならば、今のうちに一気にたたみかけておきたいところだ。
突然始まった喧嘩に乗じて、奴らを「躱す」。
それが、この場でスハとドハンが始めたことである。
ちょっとした人だかりができているとはいえ、この場所にはある程度の広さがあり、少し後ろには酒場があって、その向かいには道具屋がある。
目的のことを果たすのに、これ程うってつけの場所はない。
ふっ、ちょうどいい。
それぞれにさっと視線を走らせて、ある程度の距離を測ってから、スハは再びドハンの方に顔を向けた。そして、これでもかと言う程カッと大きく目を見開き、いきなり自分を投げ飛ばした相手に向かって怒号を飛ばす。
「この野郎、いきなり何すんだ!」
怒りの声を上げつつ、強く地を蹴り、ドハンに向かって飛び掛かかっていく。応戦するドハンと肩を掴んでの激しい取っ組み合いになり、周りから悲鳴とも歓声ともつかぬどよめきが上がった。
一応言っておくと、この喧嘩の流れについて、ドハンとは事前に打ち合わせなどは一切していない。それなのに、どうやって連中を躱すのかというと、そこは阿吽の呼吸というやつで、細かい打ち合わせをしていなくとも、ドハンは間違いなくスハの動きに合わせて動いてくれるだろうという自信がある。
無駄にともに過ごしてきた日々があるわけではない。それだけの信頼は十分にある。
スハとドハンは二人で掴み合ったまま、ダダダダッ! と激しい勢いで後方にある酒場の方に突っ込んでいった。
互いに手加減することなく掴み合って突っ込んだため、一番手前の卓に盛大にぶつかり、酒や肴も一緒に卓ごとガッシャァァン……ッ! と大きな音を立てて倒してしまう。
突然店になだれ込んできた暴漢に酒場の女将はかなり驚いたようで、手にしていた足つきの卓台を取り落としてしまったようだ。客の元に運ぼうとしていた酒も一緒になって地に転がっている。
「いきなり何する、はこっちの台詞だ! 先に手を出してきたのはそっちだろ」
「お前がフザケたことを吐かすからだろ!」
騒然とした雰囲気に客たちも腰を浮かせる中、関係なく激しく言い合う。そんな中で、ドハンは先程女将が取り落とした卓台を拾い上げ、それを武器にスハに襲いかかってきた。
うわっ、ちょ……っ、それはさすがに危ないって……!
卓台を盾のように構えつつ、同時にそれを大きく振り被りながら迫ってくる。
長年の信頼があっても、元々が剛腕で怪力のドハンだ。本気の喧嘩ではないとはいえ、あれが当たればさすがに笑ってはいられない。大きな青アザくらいは、いくらでも、簡単にできてしまうだろう。
内心では若干焦りつつ、そのドハンの攻撃をギリギリのところで、だが確実によけ続ける。
互いにやり合いながら、二人は再び酒場の外へ移動した。「もっとやれやれ!」だの、「危ない!」だの、それぞれに声を上げつつ、遠巻きに成り行きを見守る人々の中に戻っていく。
群衆のそばまで戻ってきた時、ドハンが再び、ぶん! と大きく卓台を振るった。すかさず屈んでそれを躱すが、たまたまそこにいた者は、ずがん……っ! とそれを脳天に受けてしまったようだ。また新たな被害者が生まれてしまったが、それももちろん賭け場の男である。
ひいっ、いってぇ……。
男が崩れ落ちるのを、これはフリでもなんでもなく本気で同情を込めて見やってから、スハは頭を振って、びしっとドハンを指差した。
「こいつ、卑怯だぞ! 武器を使うなんて、男の風上にも置けない奴だな!」
「ふん、何が武器だ。ただの台だろうが。こんなので慌てるようじゃ、お前もたかが知れてるな」
そして、ぽいと卓台を放って、肩をすくめてみせる。そんなドハンを睨みつつ、頭の中では勘定を進める。
残るは、三人。
が、ここまでくると、さすがに連中の方も黙っていてはくれなかった。
仮にも違法な賭け場が雇っている荒くれ者たちだ。喧嘩の被害を被っているのが仲間ばかりとなれば、薄々感じるものがあるのかもしれない。が、そうでなくても、次々と仲間が倒されていくのを見ていれば、徐々に頭に血がのぼっていくのも自然の流れである。
残った三人の男は突如人だかりから飛び出し、言い合うこちらに襲いかかってきた。
しかし、これはそもそもスハとドハンの二人の喧嘩だ。自ら巻き添えを食って倒れることはあっても、スハたちが相応に対応して彼らを倒すということは起こりえない。
というわけで、わざわざ飛び掛かってきてくれた三人には申し訳ないが、彼らも巻き添えという形で沈んでもらうことにする。
スハはドハンに対し重い掌底を何度も突き出し、その上でさらにびゅんっと風を切って回し蹴りを重ねた。だが、非常に残念なことに、ドハンに向けて放ったそれらはすべて、そこにたまたま割り込んできた男が代わりに浴びることになり、そのまま白目を剥いて落ちていく。
あと、二人だ。
続いて、スハたちは飛び掛かってきた残りの二人と団子になりつつ、今度は道具屋の方になだれ込んでいく。その流れのまま、店先にいくつも立てかけてあった太い竹竿をがつんっと蹴り倒し、二人の頭上に落とす。
男たちが咄嗟に頭を庇い、身をかがめて竹竿を受け止めている間に、こちらも道具屋の店先にあった頑丈そうな縄をスハは掴み、
「この野郎、逃げようったって、そうはいかねえぞ!」
という小芝居を挟みながら簡易的な輪をさっと作り、ちょうど投げ縄で獲物を捕らえるような要領でドハンの方にびゅるんっと投げつけた。
「ふん、大人しく捕まる俺じゃないぜ!」
と、ドハンも小芝居を返しつつ、掴んだ輪をぐいっと力いっぱい引っ張る。ちょうどそこで竹竿がすべて倒れきったようで、再びこちらに向かって来ようとしていた男たちの足にぴんと張った縄がひっかかり、派手に転倒した。
痛そうに呻きながら、それでもまだ立ち上がろうとする男たちの後ろに、綱引きのように縄を引っ張り合いながら回り込み、今度は男たちのかかとを下から掬い上げるように、思いきり跳ね上げる。
単純にこけるだけなら大した痛手にはならない。が、角度と勢いを調整すれば、大の男でも卒倒させる威力がこれにはある。
後ろ足を取られた男たちは、ぐるんと足から跳ね上がり、受け身を取る間もなく後頭部を激しく地面に打ちつけ、動かなくなった。
よし、片付いたか。
男たちが再び起き上がってこないのを確認して、できあがっていた人だかりに対し早々に仲直りを演じて一応の喧嘩の終息を示してから、散らかしてしまった酒場や道具屋の周りを急いで片付ける。
師であるヨンギルの「上手く躱す」とは、自分の動きだけでなく、相手の動きも計算し、その動きのすべてが不可抗力であるように見せることにある。それはちょうど、眼下に波止場が臨めるあの場所で、かつてのヨンギルがスハの目の前でしてみせたようなものだ。
まあ、こんなもんだろう。そこそこいい感じにいけたんじゃないか?
向かってくる者はもちろん無く、地に転がって呻く者たちにこれ以上の戦意は感じられない。
金をふんだくった客を追いかけていたことすら、上手く忘れてくれているんじゃないだろうか。
ぱんぱんっ、と手を払いつつ、ふう、と軽く息をついていると、隣にやってきたドハンが呆れ交じりにそっと呟いた。
「……だから、お前はいつもやり過ぎなんだよ。なんかいろいろわざとらしいし、もう少し手加減しろよ、バレるだろ」
「うん? そうか?」
同罪であるにも関わらず、全員が倒れ込んで苦しそうに呻く様子を憐憫にも似た眼差しで眺めるドハンに、スハは少しだけ首を傾げる。
まあ、ヨンギルに比べてこちらはまだまだ修行中の身。
多少のわざとらしさはご愛敬だろう。
少し長くなってしまいました。
「喧嘩」をリズムよく描くって難しいです。




