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駕籠かき  作者: 奥津雨龍
4/6

茶屋

夜が明けた。


五郎は、答えられなかった高山からの問いかけが、ずっと頭の中で響いていて、うまく寝付けないと思っていたのだが、それでもどうにか、自分でも気が付かないうちに眠ったらしい。

ふと目を覚ますと、あの恐ろし気な夜の空気はかけらもなく、五郎の周りに広がっているのは、どこにでもある、当たり前の山の景色でしかなかった。


一晩経った高山に、昨日のような快活さはなかった。

あの、打ち解けた様子で意気揚々と話していた姿は、幻のようだった。


国許を出て半月、と言っていた。

ずっとこうして揺られてきているのだ。


いい加減にもう疲れも溜まっているのだろう、と五郎は慮る。

五郎に様々問いかけてきた昨日とは打って変わって、今日の高山は静かにずっと何かを考え続けている。

あるいは、昨日の晩、五郎が答えなかったことでなにか気を悪くしているのかもしれない。


それでも話しかければ、なんでしょうかと笑みを浮かべるかもしれない。そうしてまた五郎と話すかもしれない。

けれど、たった一晩を過ぎただけで、五郎はなんといって高山に話しかければいいのか、わからなくなった。


五郎は、高山の駕籠を担いで先へと進む。

腹をぐっと引き締めて、担ぐその手に力を込めた。

長い歳月を、こうして歩き続けてきた五郎の足は、常人とは比べ物にならないほど固くなり、安物の草鞋越しの大地を厭うこともなく、砂利を巻きこんで悠々と土を蹴る。

棒を当て続けた肩は瘤のように盛り上がり、掌は分厚く節くれ立っている。

ひたすらに、駕籠を担いでは運び、担いでは運びを繰り返しいつの間にか、産まれ出たときから、その為にこそ形作られたものででもあったかのように、当たり前の顔をして、人足の肉体は五郎の身に、ごく自然と備わっていた。


この体で生きてきて、この体を生かすためにこれからも生きていく。

今の世が良いかどうかなど、五郎は考えてみたこともない。また、考える必要がはたしてあるのだろうか。

荷は常に重く圧し掛かり、道はいつだって険しく横たわる。

それでも進んでいく。

もう、自分はそのような生き物なのだ、と五郎は思った。


黙々と山道を登り詰めて、高山を背負った五郎たち一行は、山の頂上へと出た。

陽は既に、中天を高く回っている。

峠を越える者たちのために、茶屋が軒を連ねるようにして建っていた。

どの店もそれなりに繁盛している。茶屋に入る金のない者は、店の前の開けた地面に腰を下ろしている。


陽が降り注ぐ、暖かな日だ。

もう幾日か過ぎれば、陽の暖かさよりも、大気の冷たさが勝ってしまうだろう。冬へと向かう季節の名残を惜しむかのように、皆嬉しげに陽光を受け止めている。


「一度ここで休もう」

という萩原の号令の下、腰を下ろして休むことになった。

与助と五郎も駕籠をおろす。

ここまで来れば、あとは下るばかりだが、そちらのほうが、登るよりも辛く危ない。

ここで休息を取ってもらえるのはありがたかった。


役人付きの唐丸駕籠が来れば、本来であれば嫌でも人目を引く。

だから今日もきっと、周りの人間たちからじろじろと見られるに違いないと五郎は思っていた。けれど、他の峠客たちは、ちらりと一瞥をくれるだけで、特に気にした風でもなかった。

それが妙に気になって、五郎はあたりをきょろきょろと見まわしてしまう。


「どうした、落ち着きのねえ」

と、与助が小言を言うように五郎に声をかけた。

「なんか」

「なんだよ」

「みんな、唐丸駕籠を気にしねえんだな、と思ったんだ」

「そりゃ、あれさ。ここのところ、江戸へ連れて行かれる罪人が増えてるって話だ。こんな唐丸駕籠なんて、もう珍しくないんだろ」


五郎の疑問に、与助は何でもないように答えると、懐に入れていた手ぬぐいでぐいっと汗をぬぐった。


玉木を残して、萩原と金子の姿がいつの間にか見えなくなっている。どうやら茶屋に入ったらしい。


「旦那は行かなくていいんですかい」

ここまで登って来た息を整えながら、残った玉木に五郎は声をかけた。

玉木は心底呆れかえったような顔で五郎を振り返ると、思いきり顔をしかめた。

しかめられて眉間に出来た皺の間を、額から流れ落ちた汗が、つう、と一筋、辿っていく。それに目が止まった。

「罪人を運んでいるのだ。目を離すわけにはいかないだろう」

言う間にも、球になった小さな滴が、玉木の固くざらついた肌の上を、形を歪ませながら器用に滑り落ちる。その落ちる先まで見つめるように見入ってしまって、おい、と声がかかった。


「なんだ。何を見ている」

「ああ、いえ何でもありません」

「不躾な奴だな」

不機嫌そうに、一言吐き捨てるように言うと、玉木はその場にどかりと腰を下ろした。取り出した手ぬぐいで、ぐいと汗をぬぐう。肌を辿っていた小さな水滴は、手ぬぐいに拭き去られて見えなくなった。


玉木に習い、五郎もおろした駕籠のそばに、腰を落ちつけた。

歩き続けて足が熱い。

皮膚の下に張り巡らされた、筋の奥に熱がある。

ここを切り開いて風に晒してやれたら、どんなにか気持ちがすっとなるだろうかと、ありもしないことを考えてみる。そんなことをすれば、足が二度と使い物にならなくなることはよくわかっているのだが、熱を持った足を抱えれば、起こり得ないことを夢想したくもなる。

頭の中でだけの、くだらない遊びだ。


ひょっとして、高山のやろうとしたことも、こんなようなことだったんじゃないだろうかと、五郎はふと思った。


それが、どんなに取り返しのつかないことだとしても、ちょっとやってみたくなったんじゃないだろうか。

ただそうしたほうが、気分が良くなりそうだと思って、自分の中に溜まった熱を、外の風にあててやるみたいな気持ちがあったんじゃないか。

本当は、ほんのその程度のことだったんじゃないか。


そう考えてみて、五郎は頭を振った。

くだらない。

たかが自分の足の調子と、高山の、五郎には考えの及ばないような行いとを、横に並べて見るなんて、笑い話にするにもずれた思いつきだ。

なんでそんなことを思ったのか、五郎自身にもよくわかってはいない。

頭に浮かんでも人には話せない。

そして話す相手も五郎にはいない。


明るい景色に目をやった。

片手間に草鞋を解くと、足の指を掴んでぐっと反らした。それでだるさも随分と軽くなる。人よりも丈夫な足だった。


日差しの明るさに段々と心が軽くなって、辺りをもう一度じっくりと見まわす。

そうして五郎が視線を向けた広場には、芸人の一座がいた。


江戸で稼いだ後なのか、これから江戸に稼ぎに入るのか。

どちらなのかはわからない。ただ、旅の空にある流れる身を、つかの間休ませる姿は楽しげなものだった。


「どうした」

気を取られた五郎に、与助が声をかけた。


「あそこ。芸人の一座だ」

「へえ、いい女がいるな」


五郎の指示したほうを見やった与助は、うっとりとした調子の声を上げた。

なるほど、たしかに一座の真ん中に、ひときわ見目のいい女が一人座っていた。


居合わせた茶屋の客が、ふらりと立ち上がる。

酒でも入っているのか、機嫌の良さそうな浮かれた足取りで、男は一座に近付いていくと、端にいた子どもに話しかけた。

二言三言を交わし、子どもの手を掴むと自分の右手を押しつける。金を握らせているようだった。

子どもは、与えられたものを胸元で握りしめると、少し離れたとことに座った年嵩の男の下へ、ぱっと弾かれたように駆け寄っていく。

駆けて来た子どもの手の中にあるものを見た年嵩の男は、顔を上げると首を巡らせ、そうして子どもに金を握らせた相手を見出すと、その男へ向かって肯くように頭を下げた。


年嵩の男は、子どもが握りしめて持って来た金を受け取ると、何かを指図して手を一振り、追い払うような仕草で子どもを返す。

子どもはまたぱっと駆け出すと、与助が褒めた、見目のいい女の元へと行き、何事か話しかけた。


女は子どもに肯いてやると、傍らにあった荷の中から三味線を取り出した。

取り出した三味線を抱えてから、子どもに金をやった男に軽く頭を下げると、弦の上に撥を置いて声を上げた。


女が三味線を奏でながら歌い出したのは、聞いたことのない歌だった。

けれど思いがけず近くで同じ節が聞こえてきて、見ると、高山が微かな声で口ずさんでいた。

口ずさみながら懐かしそうに、三味線を抱えた女を見つめている。


「先生は、三味線をお弾きになるんですか」

歌が終わったところで、五郎は急に声をかけた。

今日になって初めて高山にかけた言葉だった。五郎に向けて、高山はきょとんとした顔をした。


「いや、とんでもない。ああいった芸事はとんと不勉強なもので」

「そうですか。慣れた調子で歌ってたもんだから」


高山は、ええ、と頓狂な声をあげる。

「僕がですか。歌っていた、と」

「俺も聞いた、歌っておいででしたよ」

ピンと来ていないらしい高山の様子に、与助も口を挟む。

「本当かい。まいったなあ」


高山は照れたように笑うと、頭をごしごしと掻いた。

その掻いた指先から、何か透明な埃のようなものが、陽の光を反射させてきらきらと、零れ落ちていった。


フケだ。


頓着する様子はないが、ここまでの時間は、確かに高山の心身に降り積もっている。

日を浴びてきらきらと舞ったそれを見たとき、五郎はなんとも言えず、うっすらと哀しいような気持ちを確かに覚えた。


五郎のそんな哀しい気持ちなどには関わりなく、高山は陽の匂いを嗅ぐように顔を上向かせると、さも気持ちが良さそうな素振りで、あのぎょろりとした目を閉じた。

その様子を見ながら五郎は、子どもの頃に、小さな生き物が、ああして陽に向かっているのを見たことがある、などと取り止めもなく思い出してみたりした。


猫だったか、ウサギだったか、もうよく覚えていない。


最後はどうしたのだったか。


幼い自分は、ああいった生き物が好きだった気がする。

日のある温かいところが好きな、小さな生き物が好きだった。

けれど、五郎の人生のいつどこで、そんな動物の世話を焼いている時があったのだろうか。


定かではないままで記憶の中にある、あたたかく、やわらかい、小さな生き物。

それと同じ様子だ。


ああ、生きているな、と当たり前のことを思う。

陽に照らされる気持ちの良さそうな痩せた頬の、皮膚一枚の下を血が通っている。


「友人に、三味線を使う者がいましてね。僕はそういったことにはまるで疎いものだから、彼が何を弾いているのかもわかりませんでしたけれど。あの音は嫌いではありませんでした」


口を開いた高山の声には、とても大切なものを思いだしているような温かなものがあった。一言一言噛みしめるように、優しげに言葉を紡いでいる。


「聴いているうちに覚えてしまったのですね。歌っていたなんて、まったく意識はしていなかったけれど、そうか」

最後はもう独り言のようなもので、小さな呟きを飲み込むように、そうか、と。言った後は黙りこくり、高山が何を考えているのか五郎にはわからなかった。


三味線の音がまた始まる。

それを聴く者も聴かぬ者も、なんとなく晴れやかな、穏やかな顔をしている。二度と出会うことのない、たまたま居合わせた者同士の宴のような光景だった。


「出てくるとき、彼とは会うことができなかったのが、いささか心残りではありますね」

「え」

ふいに聞こえた言葉に、五郎はさっと振り返った。


言った高山本人はもう顔に何の色も浮かべず、先程のように歌を口ずさみもせず、黙って目の前の景色を眺めている。

この人には残してきた故郷があり、別れてきた人々がいるのだと、聞かずとも当然知っていたはずのことが、眼前にまざまざと現れたようで、五郎は、やるせない気持ちがした。


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