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駕籠かき  作者: 奥津雨龍
3/6

野宿

その晩は、山の中で夜明かしをすることになった。

月のない夜だった。


松本たちは火を起こし、そのそばに座って暖をとった。かわるがわるに休みながら、火の番をしている。駕籠は、炎を挟んだ向かい側に置かれた。

夜の山は寒かった。風が吹くと、時折炎が心細く小さくなったり、逆に大きく燃え盛ったりする。


駕籠から少し離れたところに座った与助はこれといって口も聞かず、火を見つめたまま、うつらうつらとしているようだった。

五郎は、高山の駕籠のすぐ隣に座った。

あまり暖かくはなかった。冷えた地面から、冷たい空気が伝わってくる。

高山は寒いのではないだろうかと、五郎にはそれが気になった。


「先生、お寒くはないですか」

「お気遣いありがとうございます。あなたこそ、寒くはないですか」

「俺は、こういうのは慣れてますんで」

「流石ですね。僕も、慣れました。半月も経ちますから」


半月、という言葉が、やけに重々しく響いて聞こえた。

松本たちは、ボソボソと何やら話し込んでいる。与助は眠っただろうか。

高山は、じっと静かに座っている。駕籠に寄りかかって休むこともなく。きっちりと座っている。

その姿を横目に眺めながら、我慢しきれずに五郎は尋ねた。


「先生」

「なんですか」

「一体全体、先生は何をしでかして、こんな風に連れてかれるんです」


盗みでもなく、殺しでもなく、犯した罪は何だというのか。それがわからない。

背に担いだ罪人の犯した罪は何かなど、今までの五郎であれば、気にかけないことだ。

自分が背に担いだ荷の、中身が、正体が、何かなどということは、今まで気にもしてこなかった。大切なのはその荷で、どれだけの金がもらえるのかということだった。暮らしていくのに十分なだけもらえているか。それが一番大切な、気にかけるべきことだった。


けれど今、こうして高山を前に振り返って思う。

何を起こしたのかわからない者を、以前にも五郎は担いで江戸へ運んだ。

それは、この数年来、時折あることだった。そのことを、これまでの間、なんとも思わないできたのだ。


あれらの人たちも、高山と同じような罪人だったのだろうか。そんなことを考えてみると、五郎はなぜか、すっと胸のあたりが冷たくなるような気持ちがした。


高山について、松本たちは何一つとして口にすることはなかった。ただ渋い顔をして目を背けているだけだ。ひたすらに関わりたくないのだと、おざなりな態度が物語るようでもあった。


時折飛んでくる叱責は惰性だ。

ただなんとなくの飾りみたいなものだ。

高山の駕籠は、五郎と与助に任せきりになっていて、叱責をする玉木が、では目を光らせているのかというと、そういうわけでもない。


松本たち三人は、高山が逃げ出すとは思っていないようだった。そして確かに、高山には逃げるつもりがないようだった。逃げようなどと思っている素振りは露ほどもなく、多少、五郎をへとへとにさせるほどのおしゃべりではあるけれど、おとなしいものだ。

今だってそうだ。

シャンと背筋を伸ばして、穏やかに微笑んでいる。


五郎がこれまで運んできた罪人の中に、こんなにも穏やかな男は一人もいなかった。

初めこそ取り澄ましていたとしても、先へ進むごとに誰も皆、打ちひしがれ、苦しみ、暴れ抗い、その度に打たれ血を流し、自分を運ぶ五郎たち人足には、居直ったように口汚く罵声を浴びせてくる。

それも致し方のないことだと五郎は思っていた。

捕えられたのならば、末路は見えている。ときには、死を言い渡されることになるかもしれない場へと、目に見えて運んでいるのは駕籠かきの人足だ。駕籠かきの、人足の足が、五郎の足が、一歩進むごとに、それはそのまま死へも一歩近づいていることになる。

恐ろしくもあろうし、憎くもなるだろう。

勿論、五郎にしてみれば、気持ちのよいことではさらさらないが、仕方のないことと思ってしまえば、どうということもない。


何しろ相手は罪人なのだ。気にかけてやる必要もない。

気にかける必要のないものにどれだけ罵られても平気だ。所詮は罪人だ。罪のない人間である五郎とは違う。裁かれて当然の者のやることなんて、こんなものだろうと思った。


高山だけが違った。


江戸の奉行所に召喚されたと言っていた。けれど彼には、嘆きも苦悩も無いかのようだ。

出会ってたった半日のことだが、それでもこんな男は初めてだ。高山から流れる空気は、穏やかそのもので、高山と自分たちを隔てている駕籠の存在も、向かう先のことも忘れてしまいそうなほどだった。


どうしてだろうか。なぜなのか。五郎は知りたくて、尋ねずにはいられない。

運ぶ荷に興味を持つなと、教わったことに初めて背こうとしている。


ふう、と息をつくと高山が小さな声で言った。


「ある人間を、殺すべきだと。そう思って、友人たちに働きかけたのです」


こんな話は、あなたには面白くないかもしれませんが、と高山の声は小さく笑った。

声は確かに笑っているようなのだが、高山がどんな顔をしているのか、表情がうまく読みとれない。

色づいているだろう木々が、まだ葉を落としきらずに鬱蒼と生い茂り、暗く落ちる影に覆われた山中にあって、眼前に囲んだ炎だけが色を持つ生き物のように、赤々と艶めかしく揺れている。


「友人たちは、時機尚早だといって僕をいさめましたが、僕にはそのことこそ理解が出来なかった。そして、そんな僕の焦りも、友人たちには理解してもらえなかった。僕らの志というものは、寸分も狂いなく、ぴったりと合わさって同じ向きを向いている。そう思っていたのに、いつしか違ってしまっていた」


高山の声は流れ出る川のように、とめどなく続いていく。

五郎はじっとして、それに耳を傾けた。


「そんなときです。どこから洩れ伝わったのか。江戸から召喚を受けました。

さてどんな罪状なのか、じつはそれは聞かされておりません。

ただ、とある罪の疑いがある、とだけ。

さあどんな罪なのでしょう。

人を、死なせる算段をしたことでしょうか。

けれどそれは、国を憂えたゆえのことなのです。

国を、人々を、守りたいという切なる願いなのです。

国を憂えたことが罪だというのでしょうか。

人を守りたいという願いが罪だと言うのでしょうか。

本当を言うと、きっとこんな日も来ることだろうとは思っていました。

だから、僕に驚きはありませんでした。

僕以外にも、この国の行く末を憂える者が、民を守りたいと願う者が、もう何人も連れて行かれ、幕府に殺されていることは知っていた。

僕も、もしかするとそんなことになるのかもしれない。

だとしても、それでも僕はいっこう構わないと思っている。

それで、僕の後ろに続く人達の目が開かれるのなら、喜んで種となる。

そういう揺らがない志が僕にはある」


「死んでしまうとおっしゃるんですか」

五郎は我慢が出来ずに口を挟んだ。


「その覚悟があるというだけのこと。そんなことにはなりますまいよ。難しいことかもしれない。だが、彼らが、傾ける耳を、心を、持ってさえくれれば、僕の言葉の正しさ、行いの正しさはきっとわかってもらえると、僕は信じています。誠の心を持って尽くせば、必ず、人は、人の心は動くものなのですから」


高山の言う彼らが、どのような人々を指しているのか、五郎にはわからなかった。


「この国は、一見平和です。

でもそうではないことを、だんだんと皆もわかってくる。

それを皆、感じているはずなのです。

わからないふりをしているだけだ。

いや、ふりをしているうちに、本当にわからなくなってしまったのかもしれない。

僕は、そんな人たちの中に留まる熱を、本当は持っている国を憂える気持ちを、表に引き出してやりたい。

皆がその熱を持ち動きだした時、この国は、新しく生まれ変わることができる」


話のほとんどが、五郎にはわからなかった。

わからないふりをしている、と言った高山の言葉に、ちょうど、わからない、と思っていた五郎は、自分が恥ずかしい者のように思えた。


高山は、ゆるりと首を動かして天を仰いだ。

それにつられるようにして、五郎も月のない夜空を仰ぎ見た。

五郎たちが腰を下ろした場所は、四方から張り出された枝が途切れ、頭上がぽっかりと口を開けたようになっている。


駕籠の中でも、格子に切り取られた空は見える。


薄くたなびく雲間に星々の明かりを見つけ出す。

風が吹けばちらちらと瞬く光が、目に刺さるようだ。

尻の下にある、もう枯れ色になりつつあるだろう草むらからは、虫の声が高く低く聞こえてくる。その隙間を縫うように、ぱちり、と炎が声を上げる。

ほんの時折、ぎぃと喉をすり潰すような鳴き声が、どこか遠くで聞こえている。鳥か、獣か。得体の知れない声だ。

動くものの気配はないが、山の夜は音に満ちていた。

そんな濃密な、噎せ返るような空気が、唐突に破られる。



「今の世を、良いと思いますか」



その言葉が、まるで何かの合図だったかのように、しん、と辺りが静まり返った。

気が付けば、虫たちも一斉に押し黙り、りんと一声さえ聞こえない。

ささやかではあったが、生命の音に溢れていた、つい数瞬前とは打って変わっての、気味が悪いほどの静寂に、妙に馴染む小さな声が、ぽつり、とどこかそっけなく落とされた。

小さな声なのだ。

それでいて、落ちたその場でじわりと広がっていく。

広がって、何かを塗り替えていく。そんな声だ。


例えるなら、水の中に落ちる一滴の墨だ。

ぽたり、と波紋を広げながら、水の上に落ちた墨の一滴が、水面を食い破って透明な中を落ちていく。ゆらりゆらりと、黒色の軌跡は透明な水の中で、羽衣のように細くたなびいていく。やがて広がった墨は溶け消える。

何事もなかったように、水は透明なまま。

けれど墨は確かに水の中に落ちている。落ちて、広がっている。

繰り返されればやがて、澄んでいたはずの水にも色がつき、外から与えられていた墨と同質のものへと変化していくだろう。


高山が発する声音には、そんなふうにして何かを変えてしまいそうな力が宿っている。

少なくとも、聞かされる前と後とでは何かしらの、違いと言ってもいいだろうものを覚えないわけにはいかない。

そんな声だった。

言葉の落ちた場を、そうとは気付かせずにいつのまにか覆っていくのだ。


ほんのわずかな距離にいる松本ら、役人たちの姿も、闇に融けて見えなくなった。

夜の色はさらに深くなり、焚き火の火が落ちかかってきているようだ。

黒々とした闇の中で、頼りない火影の触れるものだけが、赤く輪郭を浮かび上がらせる。


高山は、心もとなく揺らぐ炎をじっと見つめていた。


自分が口に出した問いかけなど、もう忘れてしまったかのように身じろぎもしない。

見つめる炎は片時もとどまることなく、小さいながら、自在に姿を変えていく。目の前の火ではなく、何か別のものを見ているような気配がそこにはあった。けれど目の中には、変化し続ける炎と同じ影が、確かな形を持って浮かんでいる。


出会った瞬間を彷彿とさせられるような、いや今度こそ本当に、目だけが爛々と燃えている姿は、どこか超然としていて、五郎は息を呑んだ。


見開かれた眼球は、人のものではないかのようだ。

ただならない気配が、ごうと大きな空気の流れになって、自分に迫ってくるよう。

息が苦しい。

胸の中で詰まってうまく息を吐き出せない。


この人は恐ろしい。


そう、五郎は思ってしまった。


ぱきん。


ひときわ大きな音をさせて、小枝が爆ぜる。

音に応じてか、役人のうちの誰かが、もぞり、と身体を動かした。誰なのかまではわからない。消えかかる火に気付いたらしく、側に置いていた小枝を火にくべ、ふう、と息を吹きかけている。


ぱき。


ぱち。


力を取り戻した炎に、照らし出された影は大きく蠢めいてから、そうしてまたふっと、静かな、小さな火におさまった。


火の世話をしたらしい男は姿勢を元に戻し、具合のよい場所を探すように、暫くの間もぞもぞと身体を動かしたあと、再び動かなくなった。


誰も、高山の口にした問いに答える者のない中で、木の爆ぜる小さな音が聞こえる。

音が戻って来ていた。


いつの間にか、虫たちも声を取り戻したようだ。高く低く、鳴き声を響かせている。

ふぉん、と空気が緩む。

動き出した生命の気配に、強張っていたものを解くようなため息を、どこかで誰かが吐いた。

それは五郎自身の、吐き出さなかったため息かもしれない。


もう一度高山を見ると、先程目にした剣呑な眼差しはもう何処へかと消えていた。目の色は、元の穏やかなものに戻っている。


先生は何をしたのか、なんて、やはり、尋ねるべきものではなかったのだ、と五郎は口を引き結んだ。


五郎が知る必要のないことだ。

それを聞いたから、先生はあんな恐ろしい顔になったんだ。

元に戻ってよかった、とほっとして息をつこうとした五郎の耳に、高山の声が頭の中で響いた。



――今の世を、良いと思いますか。

高山の問いかけに、五郎は何と答えれば良かったのだろうか。




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