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駕籠かき  作者: 奥津雨龍
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高山

駕籠の中の男、高山は、男としては少々小柄と言えるほかは、見た限りで特に記すべきこともなさそうなほど、どこにでもいるありきたりのごく平凡な男だった。


四角い輪郭に額は広く、眠たげにも見える垂れ目がちの目が、顔の中央に寄っている。子どもがそのまま大人になってしまったような顔だ。

けれどその目はなぜかしら、眠たげなときと同じものだとは思えない、剣呑な力を持って光を放って見えるようなことがあった。

そんなときばかりは、どこにでもいる平凡な男とは、言いきれない気配を感じられる。


生まれ故郷では人に物を教えていたのだという。

与助が、寺小屋みたいなものかと尋ねると、それとは少し違うと言って、高山は笑った。


「どう、違ってるんです」

と、五郎は聞いた。

黙って聞いているだけだった五郎が口を挟んだことに、与助は驚いたような顔をしていた。


「寺子屋は、幼子が勉学に励む場ですが、僕が開いていた塾は、志を持った若者たちが集まり、様々な議論を交わす場でした。この国の未来を憂う同じ志を持つ仲間たちと、朝な夕な語り合う。熱意ある有意義な時間を過ごしたものです」


高山は五郎の問いに微笑んで答えた。

どことなく、得意げとでも言えばいいのか、誇らしげな微笑みだった。

高山がその場所のことを、とても良いものだと強く思っているのが五郎にも感じられた。

ただそう言われても、

『志を持った若者』も、

『様々な議論』も、

それが具体的にどういったものなのか、五郎には雲をつかむようで、よくわからなかった。


「俺には、よくわからないですけど。でも、そこはきっと良い場所、だったんですね」

五郎の言葉に、高山はハッとしたような顔をして、それからにわかに心底嬉しそうな笑顔になった。

「有難う。そう、とても良い場所なのです」


高山は、笑えば幼子のような、あどけないとすら言える表情になった。

華奢で小柄な身体つきが功を奏して、狭い駕籠にも、然程苦しめられずに済んでいる様子だったが、かえってそれを不服としているらしい。

駕籠に乗せられ、罪人として江戸へ向かう道中だと、はたしてわかっているのだろうか。そう疑問に思いたくもなるほど、どうも妙なところが子どもっぽいようだ。


こんな男が、罪人として連れて行かれねばならないような、大事を企てたのか。

五郎にとっては、にわかには信じ難かった。


はじめに彼に対して覚えた薄気味の悪さも、次第に薄らいできていた。

口を開けば屈託がなく、身分を笠に着て、横柄な態度を取ることもない。気持ちの良い男だと思えるようになった。


やつれた見た目に惑わされずよく見れば、高山はどうやら五郎よりも年若いようで、肌や髪にも、垢に汚れたくらいでは崩れきることの出来ない、生気のようなものが見て取れた。


「本当に、この国は豊かな国です」

道中、駕籠の中から目にするものの一々に、高山は感嘆の声を上げた。


五郎は、担いだ背中で聞こえる高山の声につられて、ふっと目をそちらに向けたが、目に映るのはただのどかな田舎の、ごくごく当たり前の人の暮らし、当たり前の風景だった。

せいぜいが、作るものが土地や季節で変わる程度。

どこを歩いてもこれといって代わり映えはない。どうということのない景色だ。


山がある。

川がある。

人の暮らす村や、田畑がある。

広がる空には鳥が飛んでいる。

人は田畑を耕している。


高山の感嘆の声を聞きながら、改めて眺めてみると、確かに穏やかで、見ようによっては美しくもあった。


太平の、という言葉に相応しい風景だ。


だが、高山の感嘆は、五郎の目に映る太平の景色とは、別のところにあるようだった。



「あの人々がいる限り、僕は、僕自身がどのような道を歩むにしても、僕や、僕の仲間たちが理想として語り、描いた思想が死ぬことはないと思い、またそれを信じています」


あの人々、と高山が表した人々が、どのような者のことを指しているのか、五郎にはよくわからなかった。


ともすると高山の言葉は回りくどく難解だった。

高山の頭の中ですでに必要な言葉のやり取りは済んでいて、一人で口に出して一人で答えているようにも思えた。

高山の眺める先に、どんな人々がいるのかと目を凝らしてみても、五郎の目に映るのは、働く手を止めて見慣れない者の行き来を警戒しているのか、こちらに胡乱気な視線を向けている農民の姿しかなかった。


高山の思想、というものも、結局どのようなものなのか、五郎にはわからない。

ただ、一人勝手にしゃべっているような高山の口を通すと、穏やかな景色に備わる全てのものが、熱気を孕んでいるかのように聞こえる、とだけは漠然と思った。


「言うなれば、僕は種のようなものです。風に流され何処に飛んでいくかもわからない種、それが僕です。自分では、己がどのようなものを芽吹かせるものなのかを知ることはできませんし、そうして、飛ばされて行き着いた場所で、芽吹くことが出来るのかも本当を言えば危うい。しかし、もしそうなったなら、その時は、僕は、僕以外の種を飛ばす一陣の風となろう、と。そう思ってもいるのです」


「種になったり、風になったりってのはいちどきにできるんですか。いそがしいな」

高山は一瞬目を見開くと、それから腹の底からおかしそうに笑った。

笑われて、自分はおかしなことを言ったのだろうなと、五郎が苦く思っていると、

「本当ですね」

と、高山は相変わらず笑いながら言った。


「ああ、本当だ。一度に種になったり風になったり、せわしないことこの上ない。僕はやっぱりどっちつかずに、こんな調子でいるものだから困ったものだ」

笑い過ぎたのか、高山の目元は潤んでいる。


「俺は、なにかとんちんかんなことを申し上げたんでしょうね」

五郎は気まずい声を出した。


「とんでもない。まったくその反対ですよ。あなたは凄いですね。言葉が的を射ている」

高山は、目元をぬぐいながら、感心したようにしみじみと肯いた。


自分は何かおかしなことを言ったのではなかったかと、五郎は戸惑ったのだけれど、的を射ていると言われたのには、なんだかほっとした心地になる。

ほっとしておいてから、それでも思い出して、今度は高山が自身を「どっちつかず」と言っていたのが、ほんの少しだけ気にかかった。



それから高山は、一人で勝手にしゃべるだけではなく、五郎にもよく話しかけた。


話しかけて、五郎は同じものを見て何を思うのかと、よく問いかけてくるようになった。

五郎は高山の語る言葉を聞き、求められて自身が思うことを語った。

初めは、「わかりません」としか答えずにいたのを、高山はその答えでは満足しなかった。


「素直に」

と、高山は言った。


「難しく考える必要はないのです。あなたが思うままに話してください。僕が聞きたいのは、そういう率直なものなのです」


「山があるな、と思います」


遠くに目を向けて、しぶしぶ五郎は答えた。

「それだけですか?他には」

「それだけですよ」

「そうじゃない。何か、何でもいいんですよ。何か、あなたにも、ご自分の考えていることがあるはずなんです」

「山は、良いなと思いはします」

「なぜ」

「大きいから。見てると、なんというか。良いもんだって」

「大きいと良いものですか」

「大きいから良いってんじゃないけど、ちょっとやそっとでは変わらないでしょう」

「変わらないのは良いものですか」


「変わらないってのは、昨日も今日も変わらないってことで、きっと明日もおんなじでしょう。明日もおんなじってのは、安心じゃありませんか」


「なるほど……そうですか、安心か。そうですね、たしかに」

高山は、興味深そうに一人ぶつぶつ呟いていた。

そうして、しばらくの間黙っていたかと思うと、おもむろに口を開いた。


「あなたが仰っているのは、民が望む太平の世の中、そういったことを象徴しているようでもありますね。興味深い」


「なんだか難しいですけど。太平の世てのは、今みてえなことですか」

「今が太平の世、ですか。さあそれは、どうなんでしょうね。あなたは今が太平の世の中だとお思いになりますか」

「俺には、わからないですけど。でも、きっとそうなんじゃねえですか。仕事もあるし、食うにも困らないでいる」

「仕事があって食べるものがあれば、それは泰平の世の中か。たしかに、それは大切なことだ。けれど、その一見して穏やかで問題のなさそうなことで、じつは目を曇らされているのかもしれないですよ。そんな風には思いませんか。いや……今はおわかりにならないかもしれないが」

「はあ」


「さて、他には、どんなことを思います。そうだな、川はいかがですか」


一事が万事、こんな調子だった。

五郎が慣れない問答にへとへとになりながら、ひねり出すようにして口にする言葉を、高山はとても喜んだ。

そのやり取りを、そば近く見ることになった与助は、口を挟むこともなく、面白そうに眺めていた。


「おまえ、ちゃんと口がきけるんだなあ」

駕籠を下ろして休むことになったときに、与助はわざわざ五郎の側にきて、そう話しかけた。


「いっつも、ぼうっとしてるばかりで、からかっても返事もねえ。何考えてんだかわかりゃしねえてんで、気味の悪い奴だって前から思ってたけど、悪い奴じゃねえみてえだ」


そんなことを思われていたのか、と五郎が黙って聞いていると、

「ほらまた、だんまりだ」と、与助は苦笑いをした。


「けどいいよ、高山様とおまえが話してんの聞いてると面白い。高山様はすごい、おまえにあんなに喋らせるんだから」



五郎が、我ながら中身のない、面白みのない返事だと思うような言葉でも、与助には意味があると思われているようだった。


また高山も、馬鹿にすることもなく、呆れることもなく、ただそのままに注意深く五郎の言葉に耳を傾けてくれた。

その姿は、五郎に何とも言い表せない感銘を与えた。


五郎は、高山を「先生」と呼んでみた。

そう呼ぶのが一番似つかわしく思えたからだ。


先生、と呼ぶと、高山はほんの少し居心地が悪そうな、曖昧な笑みを口元に浮かべてから、

「なんでしょうか。」

と、答えた。



嫌そうな、居心地の悪そうな顔をするくせに、それでも律儀に返事をした。その律儀さが、五郎には好ましいように思えたし、何だかおかしかった。



役人たちは、五郎が高山を先生と呼ぶことを、別段咎め立てはしなかったが、高山が口を開くことそれ自体には、無視しきれないものが何やらあるようだった。


わざわざ名乗られてはいないが、高山の初めの口上のおかげで、役人たち三人の名前だけは五郎と与助にもわかっている。


そうして、互いに言葉を交わす役人たちの様子から、

店に来た男が松本といって、まとめ役らしいこと、

最も年若く五郎達に対しても柔和な青年が金子、

機嫌の悪そうでいた男が玉木だということが見て取れた。


「無駄口を叩くな」

と、鋭い声が飛んでくることもあり、それはたいていの場合、玉木が発する声であった。

けれど高山は首をすくめるばかりで、その声を意に介そうとはしなかった。

「叱られてしまいましたね」

などと言って、いたずらがばれた子どものように、舌を覗かせる。


役人相手に悪びれもせず、あまりにもあっけらかんとした高山の態度には、五郎たちのほうがひやりとさせられる。

ただ、玉木にも高山を、本当には止める気はないようだと、五郎には思えた。それは何度目かの叱責を耳にしたときに、ふと思ったことだった。


脈絡のない思いつきで、なぜそう思うのかを、言葉にして説明をすることが五郎には出来なかったので、それは誰にも言わなかった。


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