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駕籠かき  作者: 奥津雨龍
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五郎

分水嶺


それは誰にとっての、何にとっての分かれ目なのか。


後の世に、安政の大獄と称される、とある弾圧。

その中に、いたかもしれない罪人の、あったかもしれない出会いと別れ。

短い物語ですが、続きます。


※「秋の歴史2024 テーマ:分水嶺」に参加しています。

渡り鳥が、甲高い声を上げて鳴いている。

風が強い。


通りに降り注ぐ陽射しのわずかなぬくもりを、冷たさの入り混じった空気が吹きさらって行く。

風が強い。


柿の実色に紅く照った葉が、しがみついた枝の先で震えている。

風が強い。


巻きあがる砂粒が、煩わしく口の中でじゃりじゃりと音を立てた。




安政五年。

およそ260年あまりの長い年月、日本が徳川幕府の統治のもとにあった、

いわゆる“江戸時代”。


その江戸時代にも、人知れず終わりが近づいて、今現在は、後の世に幕末と呼ばれる動乱期の只中にあった。

とはいえ、市井の多くの人々はこれまでの生活、これまでの常識が、今後大きく覆されていくことになるなど、未だ知らずにいる。


内情はどうであれ、起きていることを知らないごくごく一般的な人間達にとっては変わらずに平穏な、旅姿の人々が行きかう街道、東海道の、ある宿場町。通りには、様々な店が軒を連ね、賑わいを見せている。


そんな通りの隅に、ひっそりとみすぼらしい唐丸駕籠があった。

唐丸駕籠の中には男が一人座っている。駕籠が動くのを待っているようで、役人らしい侍が三人、傍にぴたりとついていた。

役人のうちの一人が、すっと駕籠を離れると、少し歩いた先、一軒の店へと入っていった。


「ごめん」

耳障りな音を立てる引き戸を開けて、中に入るとそこには屈強な、といえば聞こえはいいが、いささかガラの悪い様相の男が幾人か、店先にどっかりと腰を下ろしていた。

その男たちの間を、店の小者らしい貧相な男が行ったり来たりしている。

店に入ってきた侍を、役人だと判断したのか、小者は慌てて奥へと引っ込んだ。

代わりに現れたのは、恰幅のいい初老の男だった。


「お待たせをしております。ああ、これはお役人様。ご苦労様でございます」

店の雰囲気に対して、不似合いなほど甲高く朗らかな声だった。

初老の男は、如何にもかしこまった様子で頭を垂れる。無理に縮めて折り曲げた体は、腹の肉が挟まって、少々息苦しそうでもある。


「おいでなさいませ。私は当家の主でございます。本日は、人足のご用でしょうか、それとも馬でしょうか」


宿場町などに店を構え、旅の道中に入り用の人足や馬の手配を生業にする者を、人足指と呼ぶ。

役人が尋ねたのは、その人足指が商う店だ。店の中に落ち着いている者たちは、大方この店に雇われている人足たちであろう。

役人は、品定めをするように、居合わせている男たちの顔をぐるりと見渡した。


「駕籠かき人足を二名、用意してもらいたい。某、町奉行同心、松本弥三郎と申す。お上の御用で、江戸へ向かっておる」

「承知いたしました。して、お運びする荷と言いますのは…」

「詳しいことを申す気はないが、罪人だ。表に待たせている」


人足指の親仁は、合点のいった顔をすると、

「かしこまりました」

と頷いて見せた。

そして、先ほど奥へと引っ込んだ小者を呼びつけると、何やら指図をした。



やがて、一人の人足がゆったりと現れた。

五郎という男だった。


五郎は、いかにも駕籠かき人足らしく、大柄の引き締まった身体の持ち主で、腕を組んでちょっと立っているだけで周囲を気押すような男だった。

名は五郎と言うのだから、親にとって五番目に出来た子どもだったのだろうと思うが、それは五郎にとっても定かではない。

親とは物心がつくかつかないかのうちに別れていた。


なんとなくぼんやりとした五郎の記憶の中には、手をつないで誰かと歩いている幼い自分の姿があった。

五郎は、どんなに幼くても、誰かに手を引いてもらったような覚えはない。

だから、きっとこれが五郎の覚えている唯一の親との思い出なのではないかと、誰にも言わずに思っている。


目鼻のはっきりした容貌は整ったもので、端正と呼んでもかまわないほどだったが、人足には無用の長物だった。

背の高さと目つきの鋭さ、それに整いすぎた容姿も手伝って、どことなし近寄りがたいものがある。

けれど、見た目で気圧された者が、勝手に遠巻きにしているだけで、当の本人は、口を開けば朴訥として鷹揚な、争いごとを好まない気の優しい男だった。



松本が店の者と代金のやり取りをしている間に、五郎は店の外へと出た。

何を思っているのか、軒先に突っ立ったまま、空を見上げている。その背に、がらがらとした声がかかった。


「おうい、またぼんやりしてやがるな」


乱暴に背中を突かれ、よろめいた五郎が振り返ると、五郎よりはいくらか背丈の低い男が立っている。

「なんだ、与助か」

五郎は、自分の背を突いた男に向かって、鷹揚な調子で声をかける。


与助と呼ばれた男のほうは、気に入らない様子で大げさに鼻を鳴らし、

「おまえが相棒を担ぐのかと思うと、気が滅入る」

などと文句を言っているが、五郎は気にする素振りを見せない。


与助が、重ねて何かを言いたげに口を開きかけたところで、先ほど、松本と名乗った役人が店から出てきた。

「荷はこちらだ、二人ともついてまいれ」

そう、きっぱりと言って歩き出した松本に、気がそがれたらしい与助は、おとなしく、

「へえ」

とだけ言って、五郎と連れ立って、後をついていった。


唐丸駕籠のそばには、松本と同じくらいの年恰好の機嫌の悪そうな役人と、ずっと年の若そうな、どことなく頼りなげな役人が立っている。

「ようやく戻られたか」

と、機嫌の悪そうな男が言った。


「そう、嫌みな言い方をするな。さほど待たせてはいないだろう。…人足共だ」

「ご苦労様でございます。与助と申しやす」

「五郎と申しやす」

頭を下げた五郎と与助の二人に対して、年若そうな役人だけが「頼むぞ」と短く応じた。



見下ろした駕籠の中に座る罪人は、男にしては小柄な身体付きで、武家の出なのだろうことは傍目にもわかるものの、身につけているのはいかにも粗末な着物だった。


髪は荒れ、髭は伸び、げっそりとこけた顔の中で、目だけがぎょろりと飛び出ているように見える。

着物には、何の汚れかもよくわからない染みがいくつも浮き出て、薄汚くやつれている。けれど、そんなやつれた形とは裏腹に、男は狭い駕籠の中でもしゃんと背を伸ばしていた。

身じろぎひとつしない様は、作り物めいて、どことなく薄気味悪いように五郎は感じた。

与助もおそらく同様に感じたのだろう。先ほど、一人だけ応じてくれた年若い役人を、三人の中ではいくらか話しやすいと見て取ってか、側に寄りこっそりと声をかけた。


「あのう、何をした罪人なんですかい。盗みですかい、殺しですかい」

「罪状は盗みやら、殺しやらといったことではなくてだな…」

「金子、余計なことを言わずともよい。おい人足、その方らが知らなくても構わないことだ。余計な口をきくな」

聞き出すよりも先に、機嫌の悪そうな男に、強い物言いで遮られた。

「へ、申し訳ございやせん」

与助は、下げた頭の下で不満そうな顔をしている。


五郎はと言えば、駕籠の中に座る、自分の荷となった唐丸駕籠を、まじまじと見るばかりだった。

年はいくつくらいなのだろうかと、五郎は駕籠のそばに突っ立って見下ろしながら、なんとなしに思った。


そういう五郎はといえば、おそらく三十三、四、くらいといったところなのだが、正しい歳は五郎自身も知らない。

見下ろした駕籠の中に座る罪人の男は、その五郎よりも、いくらか老けて見える。


風に吹き上げられた砂粒が、唐丸駕籠の中の男にもまとわりついて、肩や膝へと降り積もる。何しろ今日は風が強いのだ。

けれど、男は大して気に止めていないのか、風のあおる砂にまみれたまま、身じろぎもせずにひっそりと座っている。


運ぶ荷となった罪人へ興味を持つ必要はない。

また、興味を持つべきでないとも、親代わりとなり、今の仕事を教えてくれた親方に、五郎は言いつけられて育った。


独り立ちをして、人足指の下で働くようになった今でも、育ての親に教わったことを愚直なまでに忠実に守ってきた五郎だった。


仕事はどんなものでも有り難い。

ひとつひとつの稼ぎの積み重ねで、その年を越せるか越せないかに関わってくる。

だから声がかかったら、悪事に加担する以外のことならば、どんなことでも引き受けるようにとも教わった。


引き受けた仕事として、言われるとおりに運べばいいだけだ。

この罪人がどんな人間だろうと、詳しいいきさつを知る必要はない。

それでも、どういうわけでか、今回ばかりは、駕籠の中の男は五郎の気を引いていた。


だから、与助が役人に何の罪なのかと尋ねた答えを、五郎も知りたいと思っていた。けれども、その答えは得られなかった。


盗みや殺しではないのなら、では何をした者なのか。

五郎にはどうしてもわからなかった。

五郎には学がない、知恵もない、志もない。

どこにでもいる、ただの人足だった。

言われるがまま、指図されたものを命じられた分だけ運ぶ。


五郎に任せられるのは多くの場合は、重いばかりでさして重要ではない荷物だ。今日のように、唐丸駕籠を担ぐことも、初めてではなかった。

楽な仕事だとは思っていないが、だからといって不満もなかった。稼いで、食って、生きていける。それだけで望むものは特になかった。


学もなく、知恵も志もなく、不満もない五郎にとって天下は太平だ。揺らぐことのないものだ。


盗みでも、殺しでもない罪が、どういったものであるのか。

五郎には思いつくことができなかった。


好奇心のままじっと見つめていると、駕籠の中の目が五郎に向けられた。


ぎちり、と重苦しい音が、五郎の耳の奥で響いた。


罪人のぎょろぎょろとした目を真正面から受け止めれば、なおのこと薄気味が悪かった。

爛々と燃えているような丸い黒々とした玉が一揃い、五郎をじっと見つめている。

背にぞっと冷や水を浴びたような感じがして、喉をむりやりに動かし、から唾を飲み込んだ。


うっかり合ってしまった目を、相手の気持ちを害さないよう穏便に、どうそらしたものかとたじろいでいたその時だ。



ふにゃり、と男の目が柔らかく眇められた。



細くなったまなじりが、弧を描いて垂れさがる。それだけのことなのに、目にしたものを信じ難いような、どこかぎょっとした気持ちで五郎は男の顔を見た。


「担ぎ手の方ですか」

きん、と空気を裂くように声が響く。


どこへも揺らがず、まっすぐに五郎を目がけて飛んで来る。


一筋の清流が宙を貫いて走る。


そんな幻が、五郎は一瞬見えた気がした。

柔らかな音だが、鋭い勢いを抱え込んでいるようにその声は響いた。

決して大きくはない。

けれど、耳に馴染み頭に残る声に、それが駕籠の中の男が発したものだと納得するのに時間がかかった。

こんな清い、まっとうなものが、小汚くやつれた男から本当に発せられたのだろうかと。


不自然に間を開けてしまってから、五郎は慌てて肯いて見せる。

ぼんやりとしていたことを身咎められて、しかられるのを怖がる、子どもみたいな動きだった。

首をすくめた五郎に向かって、男は口を開いた。


「そうですか。どうも急なことで、ご面倒をお掛け致します。私は、名を高山と申します。ひと月ほど前、国許にて江戸の奉行所から召喚を受けました。そちらの松本殿、玉木殿、金子殿にはご足労をおかけし、わたしを迎えに来ていただきまして、只今は江戸へ向かう道中でございます。お二方、いつまでとも存じませんが、よろしくお世話になります」


すらすらとよどみなく、朗らかとも聞こえる口調でそこまでを一息に言うと、高山と名乗ったその男は、狭い駕籠の中で身体を器用に折り曲げて、五郎と、隣に立つ与助のために深々と頭を下げた。


「罪人って言ったって、お武家様なんでしょう。俺たちみてえなもんに、そんな頭下げることない」

「いえ、あなた方の世話になるのですから。人としての当たり前の礼儀です。こちらが武家だろうと、そのようなことは、関わりのないことですよ」

「そんなけったいなこと、初めて言われましたよ。高山様は変わっておいでだ」


気安く言葉を交わした与助と違い、頭を下げられたことに驚いた五郎は首をすくめた格好のまま、じっと動けずにいる。

下げた頭をゆったりと持ち上げる男の姿を、怯えたような顔で見守っていた。

顔を上げた高山は、自分をじっと見つめたままの五郎をはた、と見据えると、にいと口の端を引きのばした。



ざあ、とひと際強い風が通りを吹き抜ける。


その場に居合わせた誰もがとっさに目をつむる間際、巻きあがった砂を透かした向こう側に、不安なほど無邪気な、ありふれた笑い顔の高山が見えた。



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