75・浄化
黒の冥将アルデバランの放った魔法はファイアテンペストという魔法だった。これは炎系の広範囲攻撃魔法ファイアストームの更に上位にあたる大魔法である。
上空に現れた巨大な炎の渦は広い王都を飲み込んでいく、悪夢の様な状況が目の前で広がっていた。
燃焼と熱とを伴った炎の暴風は沢山の王都民を巻き込んで、この巨大都市を灰燼と化す……筈だった。
俺達のいた城の上部にあった王の寝室より上の部分や、見張りの塔とか王都を守る城壁の高い部分は軒並み破壊しつくされていたが、それより下の大半の場所には被害が広がる事は無かった。
「ほぅ」
アルデバランが感心したように呟く。
俺達の少し上の辺りから水平に半透明の青く輝く結界が広がり、王都の端の辺りで直角に下方向に折れ曲がっている。丁度王都を包み込むような感じだ。
「これは正直、予想以上じゃな……流石は聖女というところか」
アルデバランの言う通りこれはクレアの張った結界魔法であることは間違いない。この範囲の結界魔法を張る事は通常の神官魔法では不可能だ。
但しクレア一人でこの結界を維持して、尚且つファイアテンペストの暴力的な威力を耐える事は無理だ。
どうしたのか? 当然俺が魔力を譲渡したのである。
セシリアに身体を明け渡していたのに可能なのか? そう思うよな。
ところがどっこいそのセシリアから「魔力の譲渡を!」と、命令が来たのである。こんな状態でできるのか? などと半信半疑だったが、実行してみるとできやがった。
魔力の殆どを消費してやっとあの大結界を張る事ができたのだった。
……しかし、さて困った。防御に魔力を大量に使ってしまい残り少ない、どう戦う?
アルデバランもあんな大魔法を何度も使えるとは思えないが……使えないよな?
「グレースしっかりしろ!」
オーガスト公爵が倒れたクレアを抱えている。魔力の補助があったとしても無理をし過ぎたのは見ればわかる。
予想外の大魔法に対応する為、結界の規模を大幅に拡張した結果、多大な負荷がかかってしまったのだろう。
俺が魔力を譲渡したとしても、実際に魔法を行使するのはクレアだからな。
クレアは今、父であるオーガスト公爵の腕の中で意識を失っていた。
ファイアテンペストで城の上部が破壊され、風通しが良くなったどころか、剥き出しになった部屋……すでに屋上のようになった場所で結界に守られ生き延びた俺達がアルデバランに向き合う。
今アルデバランは浮遊魔法で宙に浮いてはおらず、俺達と同じ床だった場所に足を付けていた。
この場所から水平に下方向は結界のお陰でファイアテンペストの影響は受けてはいない。
だが唐突に起きた轟音と炎渦巻く異常現象に、王都民は大混乱に陥っていた。しかし今はそれに構っている暇はない。
「そうか、聖女に魔力を譲渡しおったか……それにしても儂のアレを防ぐほどの膨大な魔力を……くくくっ実に興味深い」
そんなアルデバランを前にして皆怯んでしまっているのも仕方がない事だ。
公爵二人は冷や汗を流し、セシル、バレン、マイルズそしてダン、キース、リッカ、ハンナも腰が引けている。
只一人セシリアだけは聖剣を片手に皆の前に立ち、アルデバランに立ち向う。
「怯まぬか……流石は元勇者だの」
「元は余計だし、勇者は止めてって言ってるでしょ!」
両手持ちで振り上げた聖剣を振り下ろすセシリア。
「……え?」
障壁で弾かれるかと思われた聖剣はそのままアルデバランの身体を通過してしまった。
まさか聖剣が効いてないのか? それとも何か……無効にでもさせるスキルなのだろうか?
「くくくっ、そんな顔をするなセシリアよ。お主が勝った……只それだけの事じゃ」
はぁ? これだけの力の差があって負けを認める?
魔法使いであるアルデバランが負けを認めるその原因は一つしか思い浮かばない。
「アルデバラン貴方……」
「お主が考えている通りじゃ、魔力が無いだけじゃよ。……そもそも儂は分体じゃ。本体はあの死者の迷宮で倒されておるしの。王子に憑いてた儂は本体よりも弱小じゃ。加えて触媒にした王子との相性も悪い上に、王子自体が貧弱で性能が劣りすぎているしの」
聖剣で切られた場所が灰になっていきながらも饒舌に喋り続けるアルデバラン。そういえば本体の方もお喋り好きだったな……元は同じだし当然か。
「やっぱり……アルデバランの分体だったのね貴方」
「然り……そして、お主に礼を言う……感謝するぞ勇者セシリア」
「! はぁ? 何を礼なんか言ってるのよ?」
徐々に消えゆくアルデバランはセシリアに対し礼を言った。
聞き間違いじゃないよな?
「アルデバランの黒の序列将のその全ては自我を封じられたアルデバランの分体じゃ。儂もその中の一体じゃった。儂はたまたま本体が倒された時に自我を取り戻したのじゃが……他の分体は自我を取り戻すことなく玉砕したがの」
アルデバランの言葉を黙って聞く俺達。
死者の迷宮で戦ったアルデバランとは何かが違っていた気がしたのだが、別の意識を持った分体だったんだな。
「最後に儂自身の意思で戦えた事をありがたく思う。本体が倒されていたので、いずれ消える運命だったのだ。馬鹿王子に取り付いて永らえてはいたがのぅ……そろそろ時間かの……では、さらばだ。冥王様に歯向かう愚かで勇敢な者達よ……」
セシリアは灰となり消えゆくアルデバランを見送るように見つめていた。
「終わったのか?」
そう呟いたセシルに、セシリアは近付いてそっと彼の手を取る。
「いいえ、まだよ」
セシルの手をつないだまま、セシリアは国王ゾンビの元へ向った。他の皆は何も言わずにその様子を見守っている。
瓦礫に半身埋まった国王ゾンビは二人を見上げる。それを悲しそうな目で見つめるセシル。セシリアも同じような目をしているのだろう。
「父上……今、楽にしますね」
セシリアがポツリと呟く。
セシルは何か言いたげに口を開いたが、直ぐに口を閉じた。
セシルはゲルト公爵の養子だ。国王を父とは呼べないのだろう。
「兄上……」
セシリアが繋いだセシルの手を自分の持つ聖剣にそっと添える。
何がしたいのかを理解したセシルはセシリアに頷き、彼女と共に握った聖剣を国王ゾンビに静かに突き刺した。
「……メリ……ア……セシ……リア……」
! 驚いた。
国王ゾンビがセシルとセシリアに手を伸ばし、そう言葉を口にしたのだ。
俺だけじゃない、セシリアとセシル、そして見守っていたここに居る者全員が驚愕していた。
記憶があるのか?
俺のような特殊な場合は例外として、ゾンビ化しても自我があるものだろうか? そう言えば国王は死んでからではなく病状で弱っていたとは言え生きた状態でゾンビ化したような事をアルデバランは言っていた。それが関係しているのか? 分からないけど。
とは言え公爵達の事が分からなかったり、伯爵令嬢のマリアンヌを殺してしまったりしていたから、今一時的に記憶が蘇っただけなのかもしれない。
唐突に俺の視界が変わった。
セシリアの視点ではなく、映画のスクリーンの様に第三者視点でその様子を見ている感じだ。
セシリアの持つ聖剣が一際白く輝いている。
その聖剣を見て俺は、もしかしたらこの特殊な視界は聖剣ルーンライズが見せてる幻覚かもしれないまぁと漠然にそう思った。根拠はないがチート剣だしな。
セシリアは小さな幼い頃のセシリアの姿に、そして見た目が女性の様なセシルは彼等の母であるメリアの姿に重なって見えた。
一番の驚きはゾンビ化した国王が生身の人間に見えた事だ。あれが国王の生前の姿なのだろう。
アルデバランの様に灰にならず、キラキラと輝る塵となって徐々に消えていく国王は嬉しそうな、それでいて愛おしそうな表情を浮かべていた。
国王にしてみれば失ってしまった筈の妻メリアと娘セシリアと再び再会できたのかもしれない。
もしくはそれは幸せだった頃の光景だったのだろうか?
……そこに子供のセシルの姿がないのは、ゲルト公爵の養子になっていて、幸せに生きている事を知っているからなのかな。
かつてはあったかもしれないその光景の未来は……知っての通りだ。
何かが違えば幸せな未来があったのかもしれない親娘の姿に、少しやるせなさを感じながらそれをただ眺める。
体感的には結構な時間が経過したような気がするが、恐らくこれは一瞬の出来事だったのではないだろうか。
瓦礫に半身埋もれた国王が消えて、瓦礫が崩れる音を合図に本来の光景に戻った。
「今のは幻だったのか……?」
え?
振り向くとゲルト公爵がそう呟く。
皆目を丸くしながら口をポカンと開ける情けない姿を見るに、ここに居る全員が今の光景を見た様だ。
……ん? 振り向く?
あ、意識が身体に戻っている。
「セシリア今のは? 生前の父上の様に見えたのだが……セシリア?」
セシルがそう言って俺に話しかける。
ああ、セシルにしたら、元の国王……父が元の姿に戻って、光の塵になって消えていくのしか見えなかったのか。自身が母親の姿と重なっていたとは気付いてないのだろう。
俺の様子が……姿が変わったのを見て、首を捻るセシル。
「セシリィになった……いや、戻ったのか?」
「当たり、俺だ。すまないなセシリアじゃなくて」
「そっか……」
残念そうなセシルが悲しそうに微笑む。セシリアが演技してるとは思わないんだな。
まぁ実際に別人格だし。




