39・黒の冥将
その部屋に入ってきた者の手には無数の糸で吊るされたような西瓜程の球体が五つぶら下がっていた。
その下に赤い液体が滴り落ちその者の足元に赤い溜まりができている。
その西瓜の様な玉を無造作に部屋に投げ入れた。
球状の物がギルバートとマリアンヌの下まで転がって来て、それを見た二人が顔を引きつかせる。
「うおわぁああああっ!」
「ひぃいいいいい!」
二人共耳が痛くなる程の叫び声を上げる。
その五つの玉が、ついさっき部屋から逃げ出したレオンハルトのパーティメンバーの生首だと分かったからだ。
その生首を持ってきた者は聖剣を持って立つ俺……つまりセシリアを繁々と見つめる。
「ほう、まさかセシリアに戻ったのか? 新たな人格はどうなったのじゃろうな? そもそもこんな事があり得るのか? うむ、実に興味深い」
見たことがあると思ったらこいつは確か黒の冥将アルデバランだ。種族はリッチで如何にも魔法を使いそうな出で立ちをしている。
何故分かったのかは知らないが、冥王城で見かけた俺とは別人格だと見抜いたようだ。看破とかの魔法かスキルなんだろうか? それとも冥王から俺の事を聞いていて、今の状況から判断したのか? 聞きたくても身体の自由がきかないので無理だった。
「見たことがある顔ね。今日は冥王と一緒ではないのかしら?」
「ふむ、そう言えば前回は冥王様が勇者であるお主に興味があった故に一緒だったな。今回はアインバッハから聖女を受け取り、冥王城まで転移魔法で運ぶのが仕事ゆえ、儂だけじゃな」
「そのアインバッハって奴、もう始末したわよ」
「みたいじゃの。まぁ、あ奴の事はどうでもいい。そこの聖女さえ確保できればの」
アルデバランは部屋の角で横になるクレアを見つめそう言った。こいつはクレアを転移魔法で冥王の下まで運ぶ為にここに現れたらしい。
「ふむ、しかしなんじゃこいつ等は、邪魔じゃな」
そう言って杖を翳すと雷の様な光が迸り、その杖から発せられた雷撃が床で呻き声を上げている護衛騎士達に次々と襲い掛かっていった。
「ま、待て、待たれよアルデバラン殿! 俺はアルグレイド王国の王太子ギルバートだ、よもや忘れてはおらぬだろうな?!」
護衛騎士が順番に黒焦げにされていく中、ギルバートが大声を上げてアルデバランに自分には撃つなと訴えかける。
「お、おお、ギルバート殿か。何故このような場所に? 王子自ら聖女を引き渡しに来んでも良かろうに。危険じゃぞ?」
「ああ。予想外の事になってな、姉上……いや蘇った勇者に命を狙われていたのだ、助けてくれ!」
アルデバランは骨になった手を骸骨の顎の部分に当て考え込む。
助ける道理などないと思うのだが……。
「ギルバート殿と儂の仲じゃ、良かろう力を貸そう」
「恩に着るぞ!」
そう言うや否や、部屋を出ようと這いずりながら出入り口に向かう王子。その後を遅れまいと必至に追いかける偽聖女。
「待ちなさい!」
当然セシリアは逃すつもりはないようだ。
後を追うがギルバート達との間に半透明な壁が現れる。
「ちっ!」
それを聖剣で切り付けるとパリンと割れた音が響き渡り、壁が砕け散った。
「流石は聖剣。咄嗟で魔力の練り込みが足らんかったとはいえ、障壁を一振りで砕いてしまいおったか……しかし」
砕けた半透明の壁の先には別の壁が何重にも現れている。迂回しようにも部屋の壁まで障壁が伸びていた。
「多重障壁? 厄介なものを使うわね」
「ふむ、一枚一枚は薄いが足止めにはこの方が良いからの」
一つ一つ聖剣で破壊して行けばギルバートを追えないこともないが……そうすると部屋に残されたクレアをアルデバランに攫われてしまう事になる。
「姉上は魔物になってまで俺に成り代わり、王になりたいのか?!」
ようやくフラフラになりながら立ち上がったギルバートが、セシリアに頓珍漢な台詞を吐く。
何を言っているのだろう、こいつは?
俺の知る限りでは、セシリアは最初からギルバートに王位を継がせるつもりだった筈だ。勇者となり民からの人気があっても王になるつもりなど欠片も無かった。
そもそも敵と戦い危険が付きまとう勇者が、王になる事はないだろう。全てが終わって平和な時代が来れば別だが、そんな夢のような事にはまずなりはしない。
大前提として今はもうセシリアは人ではないしな、人族の王になどなれるはずがない。
「冥王に恩を売って俺が王位に就くまで力を貸すように仕向けたのに、何故姉上はいつも俺の邪魔をするのだ!」
……どうやらこの馬鹿王子は自分が冥王に恩を売っていると思い込んでいるようだ……いいように利用されているのが分からないのだろうか。
しかしその発言はどうなんだ? 自分は冥王と繋がってますよ、と明言しているようなものだぞ。
そんな阿呆な台詞を吐いてギルバードは部屋から飛び出して行った。
残念過ぎるギルバートの頭に、奴が本当に王になったらアルグレイド王国は大変な事になるなと俺でも思う。
「ふはは、ああなるまで調教するのは大変……でもなかったか。もともと頭が少々弱く、自尊心だけは大きな王子だったからな」
「やはり……貴方達が原因?」
「然り、だからそうギルバートを責めてやるな勇者セシリア。あれも最初は苦悩しておったのだ。そんな王子に儂らが少し手を貸してやったに過ぎん」
「その手の貸し方が駄目だったんじゃないのかしら」
「いやなに、薬で少々人格が歪んだ程度じゃ、じゃが王子は大層儂の作った薬を気に入っているようじゃぞ。気分が高揚して身体が軽いそうじゃ。元々弱った王に与える為の薬じゃったのだがな……そう、薬じゃクククッ」
薬? ギルバートが聖女を引き渡す報酬として貰った薬と同じ物なのか?
確か王がそれを飲んで身体を起こせるようになるまで回復したってギルバートは言っていたが……怪しい。
最後にあんな意味深な笑い方をされたら、怪しんでくれと言っているようなものだ。
ともあれギルバートは冥王軍の甘い言葉に乗ったのは、間違いないようだ。
その結果、王位継承権を持つ者を亡き者にするという暴挙に及ぶことになった。 クズ・オブ・ザ・クズの称号を送りたい程のダメ人間になったのは冥王軍の関与があった訳だ。
「……」
溜息をついて王子と偽聖女が出て行った出入り口を見つめた後、少し俯き気味に歩きながらクレアの居る部屋の角に向う。どうやら王子を追うのを諦めたようだ。
どの道アルデバランが部屋の出入り口付近に陣取っているので、王子を追うなら奴を倒さねばならない。
アルデバランは今の所、セシリアに襲い掛かる様子はない。セシリアの様子を黙って見つめている。
奴は冥王配下の三名しかいない冥将の一人だ、強者の余裕というやつなのかもしれないな。
セシリアは収納鞄から魔石の付いた小さな置物を取り出す。
「メリア母様……お借りしますね」
!!
メリア母様、今確かにセシリアはそう言った。
この収納鞄と中身の物がメリアの持ち物だと知っていたみたいだ。やはり俺がゾンビとして今まで行動してきた事を知っているのか?
俺はセシリアの事を殆ど知らないのに不公平だと思う。
置物に付いていたボタンに触れると少し高い音がしてクレアの周りに半透明な膜が張られた。
……俺がメリアの形見として貰った収納鞄の中にあった物は、一通り鑑定眼鏡で確認してある。確かこの小物は結界を張る為の物だ。設置型の防御結界を数時間程度張れたと記憶している。
メリアが殺された時、この結界を張る小物は壊れていたんだよな。冒険者時代に俺が魔道具技師に修理に出して直しておいたものだ。
「ほうメリアか、懐かしいな」
え? アルデバランも知っているのか?
「ふはは、これでも儂は情報通なのじゃぞ。アリスが以前、血を提供する村から解放した女じゃろ。よりにもよって王に見初められるとは、王家に潜り込む策だとしたら褒め称えるのじゃが、残念ながらそうではなかったようだしのぅ。しかし……その女が生んだ子が勇者とは、いや全く面白いものよな」
「何処が面白いのよ……」
アルデバランはメリアの事を知っているようだ。
以前冥王プロキオンが部下に情報を集めをさせていると言っていた。もしかするとその諜報を行なっているのはアルデバランなのかもしれないな。
「面白いじゃろ。王妃はおろか母と名乗る事も許されなかった女ぞ。ああギルバートには冥王国の出身で元は平民の人間だと教えたら、もっと面白い事になりおったな。あ奴は下賤な血が混ざるお主、セシリアを姉を認める訳にはいかないと大いに嘆いておったわ、ふはははっ」
セシリアはギリっと歯ぎしりをする。
本当の事を教えたアルデバランに怒りを感じているのか、選民意識が強すぎて凶行に走ったギルバートに怒っているのか。
「さて、お喋りはここまでにしよう、儂も忙しい身でな。儂の配下は魔の森を大きく迂回した山間部の先にあるハルナラ砦を攻めさせておる。策は打ってあるが将の儂がここで油を売っているわけにはいかんのでな」
「ならさっさと戻りなさいよ」
「……そうじゃな、聖女を冥王様に送り届けたら直ぐに戻るとしよう」
「そのまま何もせずに戻りなさいって言っているのがわからないのかしら、骸骨には脳ミソがないから理解できないのかしら?」
「ゾンビの腐った脳に言われとうないわ」
何とも不毛な言い争いをしていた二人だが、やっと決着をつけるようで沈黙の中、武器を構える。
……どうでもいいが、俺はこのままなの?




