1「ガルムと安住の地」
【天界十二神】
それは、この世界に存在する数多くの神々の中でも上位12番に入る最強の神たちの総称。
ここは、そんな彼らが命を賭してまで守る神の国”天界”。
星型が引き伸ばされたように広がった、山や海などの自然あふれる大陸が特徴であり。
一度その光景を見た者は、もう二度と悪事ができなくなるというほど。
そんな天界の中でも、ひときわ異質な場所。
大陸の中心部にある大きな森を進んだ先に、一定の部分だけ丸く開けた不思議な草原がある。
そこには、日々仕事に追われる”天界の神達”が住まう3階建ての寮が存在していた。
見た目は、かなり昔に建てられた様な木造建築物であり。
外見といい中身といい、良く言って”趣のある”という感じの装いをしている。
そんな、天災が起きた瞬間に即時崩壊しそうなぼろぼろの寮の中。
いつもは静かで落ち着くはずの場所が、今日はなんだか騒がしい。
「――いい加減にしてください! ガルム様。今回のあなたの横暴で、いったいどれだけの天使が犠牲になったことか。あなたは、それをわかっていますか……?」
「知らない。そんなもの興味がない」
「知らないじゃありませんよ! 天界十二神の1神であるあなた様に、このようなことをされては収集がつきません!」
寮の最奥に併設された仕事場と、玄関を繋ぐ一直線の長廊下。
そこで、天界十二神の1神「次元の神ガルム」が問題を起こしていたからだ。
白く長い半透明な髪を、左右に揺らしながら進行する彼女を中心に。
側近たちが取り囲み、どうにかして彼女を止めようとする。
なぜ、このような事態になってしまったのか。
それは数日前に遡る――
――ある日――
それは突然のことだった。
神達に与えられた、月にたった2日しかない束の間の休日。
次元の神ガルムは日々仕事で溜まった疲れを癒やすために、寮2階ある約6畳の自室でゆったりと休んでいた。
「あぁ……今月も疲れたなぁ。昔はよく外で遊んでた気もするけど、正直今はそんな気は微塵も起こらないし。知り合いの神と会おうとしても、休日がかぶらないように調整されてるから会えるはずないし。……寝るか」
小さめの卓上カレンダーを、寝ながら上目で覗いた彼女。
そこに書かれているのは、翌日から1ヶ月ほどびっしり埋められている大量の予定。
そして、彼女は大きなため息をついてから就寝につく。
現在、天界では幾100万を超える神と天使が存在しているが。
その内、主力的な経済戦力になる者は少ない。
そのため、イベント・経済・産業・その他諸々の国営。
天界では、それらが全て十二神とその周りを中心として回っている。
よって、彼らの数人でも一時的に抜けようものなら、またたくまに天界の機能は低下し、大問題に発展してしまうのだ。
ゆえに彼らの休日は数少なく、全員が分散されているというわけである。
だが、このような過酷な労働環境の中で、反感の声を上げぬ者はたとえ神だとしてもいない。
過去、時には数多くの神々や天使たちが団結し、一揆のような物を起こしたことがあった。
また別の時には、仕事をボイコットした神々が、腕相撲大会を開いたこともあった。
そんな多種多様に発生してきた反乱だが、それらは天界数10億年の歴史で、1度たりとも成功したことが無い。
そう、これまで数多として行わてきた反逆の全てが、失敗に終わっているのだ。
それらの背景には、現在様々な憶測が建てられている。
”お腹が減って家に帰った説”だったり、”途中で飽きた説”だったり。
どれもこれもが馬鹿らしいものではあるが、実際ありえてしまうのが天界の神々。
しかしその中でも近年、特に有力視されているという説が1つある。
それは、”裏で十二神が関わっており、彼女らの手で粛清された”と言うものだ。
それが真実であることを示す裏付けからか。
天界に住む者は皆、必ず口を揃えてこう言う。
「十二神には、決して歯向かってはいけない。気がついた頃には、もうこの世には居ないから」と。
そう述べる彼らも、決して弱い存在では無い。
本気を出せば人類滅亡などたやすく行える程の、とんでもない力を持つ者たち。
しかし、”天界十二神”は格が違う。
所属する1神1神が、それぞれに関する最強の称号を持つ者であり。
その他の有象無象が、一斉に襲いかかったとしても。
弱みや寝込みを襲ったとしても。
どれだけ卑劣な手を使っても、決して勝つことの出来ない相手。
それが、”天界十二神”なのだ。
「ん〜……寝れない」
薄っぺらい敷布団に寝転がる彼女。
連日の積み重なった責任と疲れから、いくら寝ようとしても眠ることが出来ない。
その事態を解決しようと”スキップして歩む羊”を数えていたが、3匹に満たない内に飽きてしまった。
今は、天井に浮き出ている染みをただ一心に見つめている。
しかし、そうしている間に彼女は気がついてしまった。
自らが行っている、愚行に対しての対価。
眺める先にある未来に、希望など無いことを。
「寝ているだけで、いつの間にか終わっている休日。それなのに、何故か終わりが見えたことがない膨大な量の仕事。とはいえ”寝たら疲れが取れる”なんてことは全く無く、なんなら永久に蓄積され続けているような気さえもする。そのため、何よりも大切な友達と遊ぶ事さえできないし、やりたいと思った事だって何も出来ない」
パサパサに乾燥しきった髪を、一心不乱にかき回す彼女。
腕に入る力は、往復の回数分強くなっていく。
「……私、このままでいいのかな」
この先何億年と過ごして行く将来に、目に見えない不安が募る。
その時、彼女の中で何かが変わり出した。
そう、今まで”押し殺さざるを得なかったが故に忘れていた感情”、それを取り戻し始めたのだ。
刹那、彼女の周囲に”赤黒く淀めいた稲妻”のようなものが走り出す。
”本当にこのままでいいのか?”
自分自身に問いたその疑問が、頭の中で何度も何度も反響する。
その度に膨れ上がる、溢れんばかりの強大な力。
それは、時の経過によって更に鮮明に光り輝き、次々と周囲を破壊の渦へ巻き込んでいく。
「よくない……よくないよっ! 私だってみんなと遊びたい。美味しいご飯もたらふく食べたいし、恋愛だってしてみたい!」
瞬く間に膨張し、部屋全体を飲み込む閃光。
最終的には、”閃光に触れた物を塵芥さえ残さぬ程に爆散させる”といった力にまで発展して。
壁に飾られた過去の思い出や、使い古されたぬいぐるみ。
それらを全て、ごみと同じ様に葬りさっていく。
そして、今現在の居場所も、積み上げてきた地位すらも全て。
「いらない……。こんなとこ、私の居場所なんかじゃない!」
天に立ち登る稲妻は、まるで天界への宣戦布告。
彼女は、その天界十二神特有の覇気を、殺気と希望に織り交ぜ。
声高々に宣言した。
【こんなとこ、もう出ていってやる!】
△◉_◉△
「――ガルム様、一度でもいいから話を聞いてくださいよ!」
「だまれ! お前に私を止める権限などはないはずだ!」
いくら言い合えど、未だ止むことを知らない喧騒。
そんな中、しびれを切らした1人の側近が不覚にも禁句を言って。
「ガルム様、これだからあなたは最高神様に見放されるんですよ! この十二神の恥晒しが、少しは周りの迷惑くらい考えてくださいよ!」
絶対に許されることはない、神への冒涜。
しかし、なぜかこの言葉を受けても、ガルムは制裁を下そうとはしない。
ただ歯を噛みしめて、その怒りを抑えるのみ。
すると、そんな彼女を見て、"今が絶好の機会"と踏んだのか。
その側近に続いて、他の側近たちも各々の意見を述べ始める。
「この者は少し言い過ぎたかもしれません。……ですがガルム様、その様な真似はおやめ下さい! あなた様はこの天界のトップである”次元神様”なんですよ!」
「そうです! その様なあなた様が仕事をボイコット、ましてや天界へ反逆をしようだなんて。そんなことが敵世界。いや、中でも凶悪と名高い冥界なんかに知れわたれば、天界はもう……」
「……はぁ。お前ら、さっきからどんな戯言を言ってるんだ。別に私なんかが居なくても、そんな者たちに”あの神共”が負けるわけないだろう。そんなことで私を止められると思うな、目障りだ」
寮の入り口まであと少しという所、ガルムは急激に足を早める。
ここから出ることができれば、纏わりついてくる側近を振り払う事ができると考えたからだ。
だが、それは側近も理解していることで。
「――では、ガルム様が残していかれる”氷菓子”はいかがなさいましょうか? ガルム様が頂かないのであれば、今後処分するしか道が無いのですが……」
「う、うぬぅ。た、確かにあのお菓子は私の好物だ……。だが! もう、そんなことで止められる状況ではない! 私は行くのだ。この腐った天界とは違う、あの過酷な労働をせずとも暮らすことのできる『人間界』へ!」
寮入り口の門を力いっぱいに開くガルム。
その時、外から流れるは乱れ舞う熱気。
群青の空が迎える未来、その光が絶えるまで、彼女が歩みを止めることはない。
「……」
その時、先程あれだけ騒いでいた側近たちが、皆揃って落ち着きを見せる。
天界の中枢を担う神がいなくなろうというのに、なぜこのような行動をとる事ができるのか。
そう、彼らは長年の付き合いから、ガルムに関しての”とある事”を知っているのだ。
彼女の大親友であり天界十二神が1神、「大地の神」カーディネリアが、この様な事態をそうやすやすと見過ごすはずが無いということを。
それからというものの、ガルム達はマグマの上の細橋を渡ったり。
触れば魂をも切断されるといった、恐怖の剣山を登ったり。
あれやこれやとしている内に、気がつけば4日もの日が過ぎようとしていた――
「おいお主たち。カーディネリア様はまだか! これではもう、天界と人間界を分ける次元池にたどりついてしまうぞ!」
草原を適当に刈り取っただけの、整備すらされていない土の道。
当てにしていた神からの連絡がなく、不審に思った側近の長が他の側近に話を聞く。
すると、その者は隠し事をしている様に言葉をつまらせて。
「それが……」
「それがどうしたというのだ!」
側近の長は話をガルムに聞かれぬよう、息を多く含ませた小声で催促する。
「あの……実は、カーディネリア様から『次元池についたら開けろ』と言われている手紙を預かっておりまして。それをいつ開けようかと……」
「ばっ、ばかもんっ! そんな大切な物を持っているのであれば、何故それを先に言わんのだ!」
上司に叱責されたことで肩を落とし、俯きながら謝り倒す側近。
それに対して長は、重箱の隅をつつくようにどんどんと難癖をつけていく。
その時、側近たちの多少賑わった様子が気になったガルムは、何かを悟ったような目をして後ろを見る。
ただ1人、それに気がついた者が書いた日記によると、”我々の方を見た次元神様は、冥界の魔獣を彷彿とさせる目をしていた”という。
そんな、ビビリ散らかしている側近のことなど知る由もなく、彼女は悟ったことの真偽をたしかめるように話しかける。
「お前たち、そんなに騒いでどうした。それとも……なにか物珍しいものでもあったか?」
天界への怒りが募り、いつにも増して高圧的なガルム。
今、彼女の前で”変な回答”、もといあの”手紙”の事などを知られてしまったら、有無を言わせず確実に殺られる。
それを本能的に理解した側近たちは、手紙を開けるその時まで隠し通すことに決め。
「いえ、何でもありません!」
長く付き合ってきたからか。
それともただ、神としての勘からか。
即時として帰ってきた返答に、ガルムは”やっぱりな”といった念を抱く。
だがしかし、いくら苛ついている彼女とはいえそんな事でいちいち咎めたりなどはしない。
いや、”そんな事”などとうにどうでも良くなっていたのだ。
ガルムを引き付けるものが、ガルムの目指す果てが、もうすぐそこというところに迫っていたのだから。
「――あぁお前たち、これで終いだな。よし、着いたぞ次元池!」
そこは、澄みきった池を囲むように存在する草原。
爽やかな風と共に、温かい日差しがポカポカと眠気を誘ってくる。
だがしかし、ここはただ自然豊かな大地というだけではなく。
特別、神々から忌み嫌われる場所でもある。
天使や神、天界に生きとし生けるその生物たちは、今も昔もどこか変わらず種族的プライドが高い者が多かった。
そのため、自分より劣等種である人間との関わりを持ってしまうこの場所が、「堕天の地」と言ったような形で天界の教育概念上に刷り込まれているのだ。
だが、これから人間界という”神々にとっての未開の地”へ参ろうとするガルムが、今更そんな事に臆することはなく。
すぐにでも飛び込みそうな勢いで準備運動をして、前フリなど無くふと話を始めた。
「今までは特になんとも思っていなかったけれど、いざこれで天界とおさらばとなると結構寂しいものだな。……だが、次に訪れるは安住の地。そこに何も心配なんていらない! ではまたな、家族、親友、そして……最後までついて来てくれた側近共」
ガルムがそう別れを口にしたその時。
すでに出発しそうな体勢の彼女を止めようと、側近たちは焦りの表情を見せる。
そう、次元池に飛び込めば最後、1度だけでも顔を合わせることができれば奇跡。
というかほぼ無理。
天界からは追放され、”特別極悪指名手配犯”のような扱いとなり、もう引き戻ることはできない。
神々が恐れる”堕天”というものは、それほどまでに罪。
そう、天界の法で決まっているからだ。
「くそっ、我々は一体どうすれば!」
いくら神として堕ちようと、彼女の実力は天界十二神の上位。
たかが側近が力ずくでなど、勝利の女神が微笑もうと止められるはずがない。
そこで、側近たちは”最後の望み”に賭けることにした。
そう、大地の神カーディネリアからの手紙である。
「待って下さいガルム様! ……これは、大地の神カーディネリア様からのお手紙です。ガルム様が次元池に着いたら開けろと言われていたもので、失礼ながら開封させていただきます!」
いままで、ガルムに対して側近たちが思っていた感情。
彼らは、それをカーディネリアの手紙と共に伝えようとする。
「ネリアからの手紙……だと?」
今回の騒動中、最後まで現れなかった親友のカーディネリア。
”天界に未練は無い”と言うガルムでも、そこに少しだけ気になるものはあった。
このままもやもやした気持ちで旅立っても、あまり良い門出にはならないだろう。
そう感じたガルムは、”準備して飛び込むまでの時間だけ”と制限をつけて、側近たちが読み上げる親友の言葉に耳を傾けることにした。
「はい。聞いて下さいガルム様! これが……大親友カーディネリア様のお気持ちでございます!」
蘇るは、これまでさんざんとこき使われて来た思い出。
何もしていないのに罵倒されたり、疲れたからと椅子にされたり。
そのどれもが最悪なものだが、彼らにとってはどれも大切な思い出。
伝える、伝える、さぁその時。
側近たちは皆大粒の涙を流しながら、もう二度と会うことは叶わぬ主人に向け言葉を送る。
【ガルちゃんへ、お久しぶりですカーディネリアです。生憎今日は仕事が忙しく、そちらには行けなくてとても残念です。……というのは置いておいて、天界での暮らしはどうでしたか? いろいろ大変だった事もありましたね。でも、今まで笑い合ってきたあの時間は嘘じゃない。そうでしょ? これからどんな困難が待ち受けていたとしても、私はずっと忘れないです。……短くはありますが最後に、人間界楽しんで来てね! 行ってらっしゃい!】
その時、ガルムの心にしんみりとした靄がかかる。
あぁそうか、別れというものはこんな気持ちに成るんだったな。
昔、かの大戦で”これ”を経験してから幾年がたっただろうか。
もう二度と経験することは無いと思っていたこの気持ち。
寂しいーー
だが、なんだか今はそれよりも特別、安心感のほうが高まっている。
私の誇れる親友ネリア。
彼女も今、この気持ちを感じており共感している。
”そう、私たちは繋がっているのだ”。
ならば彼女には届かないとしても、最後に一言残してから行くのが礼儀。
「――ネリア、応援ありがとう。いってきます!」
そうしてガルムは神生初のとびっきりの笑顔を見せ、この天界から旅立った。
しかしその時、望んでいた事は遂行し、一件落着に収束するかと思われた側近たちは、なぜかその瞳から涙が消えている。
それもそのはず、彼らはガルムを引き止めようとしていたのだ。
だが、何故かガルムを引き止めることなく、なんなら逆に送り出してしまった。
彼らがその事に気がつくまで、そう時間はかからない――
「あ、え、え? えええええええええええええええええ!?!?!?!?!?」
今頃ではあるが、目や舌が飛び出すほどにめちゃくちゃに驚き、広大な空を見上げ叫び続けた側近たち。
その後、彼らは世界間を行き来する行商人が発見するまで、およそ3日もの間その場に立ち尽くしていたという。
▼▽▼▽▼
虹色の光につつまれて、人間界へと降りていくガルム。
しかしそこには何か弊害があるようで、うまく前に進めない。
「んあ? なんだこれ……結界か? じゃまだなぁ。誰だよこんなところに張ったやつ」
ガルムは右手を進行方向にかざして、掌に魔力を込める。
そこへ現れた1つの黒点を中心に、空間を喰らう”渦のような物”が発生した。
これこそ、彼女が天界十二神の1神「次元の神」たる所以。
世間では”世界の空間を自由自在に操る能力”と認知され、恐れられている固有魔法である。
そうして次元の暗闇に包まれた後。
神とは違う、非力な人間が住んでいる大きな街に着いた。
転ばないように、注意深く下を確認して降り立つ彼女。
着地時、鼠色に加工された固い地面の上をコツコツと踵が鳴らした。
「――よし、やっと着いた。ここが……人間界!」
見上げてみると、辺りには”全面が風景を反射している高層の建造物”や、道を”猛スピード通り過ぎる鉄箱”など。
視覚に映る端から端までのそのどれもが、天界にはない目新しいものばかり。
しかも、数多くの人々が笑い合って過ごしているのが見受けられ、その中には家族連れもたくさんいる。
そんな今まで見たことがない夢の光景に包まれて、ガルムは大きく目を輝かせ。
「ここでなら私も――ってやば、はやく口塞がないと!」
天界では、神々にとって人間界の空気は毒とされていた。
そのため、その事を思い出した彼女は咄嗟に口を押さえ、一時的にも負担を軽減しようとするが。
「……って、あれ? なんともない?」
だが、実際のところ人間界の空気に、対神用の毒などは入っていなかった。
何故か昔から、大した根拠もなく伝わっていた話の真実。
それを身をもって証明した彼女は、やはり天界は”クソ”だと再認識する。
「……とはいえ、人間界に来てみたはいいけど何をしようか。別に趣味って物があるわけじゃないし、天界の誰かを呼ぶわけにもいかないし」
来ること自体が目的で、その後の事を一切考えていなかった彼女。
人通りの多い景観を眺めながら、とぼとぼと歩き出す。
すると、3分ほど経った時だろうか。
突如、食指を突き動かす様な香りがガルムの鼻を襲ったのだ。
「ん〜なんて美味そうな香り! 最近は残業続きでまともなご飯食べてなかったし……いいよね?」
そんな事を考えている内に、肉が焼ける香ばしい匂いでお腹が大きく鳴る。
周囲の目を気にして、恥ずかしそうな顔で腹部を抱えるガルム。
そうして店の前へのこのことやってきた彼女に対し、店主であろうガタイの良い大男が声をかけてきた。
「らっしゃい嬢ちゃん! なんか買ってくかい?」
「じゃあ……このぼんじり? とやらを1個」
頼んだのは、ぱっと見で気になった小柄な肉。
初めて食べるであろう未知の味に、胸の鼓動と期待が高まる。
「あいよ〜、ぼんじり1本まいど! じゃあ嬢ちゃん100円ね」
「100……えん?」
天界で長く暮らしてきたが、全く聞き馴染みのない言葉。
困惑したガルムは首を傾げ、それがなんだか検討をつけてみる。
まず、今すぐ要求できるくらいの物だから、実態が存在する事は確定として。
……なんだ、人間界での魔法の類いか?
いや違うな。
こっちに魔法があるのかすらわからないし。
というか、まず頭文字に数字が入っているから数えられるものだ。
でもはんぺん……じゃないだろうし、多分こんにゃくでもないだろう。
じゃあ、100円ってなんなんだ?
「――お嬢ちゃん大丈夫かい?」
下を向いて悩んでいるガルムを心配して、再度男が話しかけてきた。
その手の中にはきらりと光る硬貨らしきものがあり、彼女の目を奪うには十分だ。
「ん? なぁ、それってなんだ? コインか?」
「いやコイン……って、お嬢ちゃんもしかして日本硬貨しらねぇのか!? たしかに日本にはいなさそうな見た目はしてるけど、そうなら早く言ってくれ!」
日本硬貨という初めて聞いた言葉に、あの男の慌て具合。
その時、彼女は全てを理解した。
品物を頼んだが最後、払わねばいけぬ代償。
天界ではデリバリーを行使し続けていたがゆえに忘れていた、お金という存在を。
「あぁ、100円ってこの世界の金銭か! それなら少し待ってくれ、今すぐ用意するから……。ほら! これで買えるか?」
「お、お嬢ちゃん。それ、もしかして金塊か!?」
ガルムが取り出したのは、直径10センチメートルにもなる大きな金塊。
去り際に天界から借りてきたものだが、人間界にいる以上誰からも咎められることはない。
一般的にどこの世界でも通じる、実質使い放題のお金なのだ。
「お嬢ちゃん……」
男が間を持たせて呼ぶと、ガルムは渾身のドヤ顔を繰り出しながら金塊を精算所に置いた。
体を小さく動かしながら、”早く食わせろ”と、”驚きのあまり褒め称えろ”とどこか期待をして。
「あのな。それ、うちじゃ使えねんだわ。……ごめんな?」
「ええええええええええええええ!?!?!?!?!?!?!?」
その時、ガルムの頭に計り知れないほどの雷が落ちた。
この世界の金銭でしか物を買えない、と言う基本システムを知らなかったのだ。
先刻のドヤ顔が、マトリョーシカ形式になって脳裏に映る。
奥から段々と流れて来るそれは、とめどない地獄が表されているようで悶絶する他無い。
「あ〜、こんな金なんだが。……お嬢ちゃん持ってねぇか?」
見本として、数字と花が描かれた硬貨を差し出す男。
白いタオルに巻かれた頭をポリポリと掻いて、どうにも心配そうにする。
「そんなの、もってなんて……。いや、持ってる。持ってるぞ!」
少しギクシャクしながらも、背後から100円硬貨を取り出したガルム。
だがおかしい。
そこには何もないはずなのに、一体どこから取り出したと言うのだろうか。
それが気になって仕方がない男は、目線を切り替えながら彼女の方を見て。
「なぁ嬢ちゃん。今なにか、後ろで光った気がするんだけど……気のせいか?」
「は、はぁ〜? そんな訳無いだろ。見間違いかなにかですよ、かっこいいお兄さ〜ん!」
「……そうか。まぁ、なんでもいいが持っててよかったな! よし、ちょっと待ってろよ嬢ちゃん。今すぐ最高のやつ焼いてやるからな!」
そう言って、店の奥に姿を消した男。
本当に危なかった。
さっき、この世界のお金を見せてくれなかったら軽く終わっていた。
でも……”お金、創り出しちゃったよ”。
”創造した”とはいえどガルムにそんな力は無く、ただ天界と人間界のお金をトレードしただけ。
いわば、日本円との両替をしただけである。
でもほら、私って神様だし?
多分こっちの法律とかでも大丈夫には……ならないのかな。
え、これって捕まったりしないよね?
ダイジョブだよね?
ま、まぁいいや。
もしいざとなったら……魔法使って逃げるから!
「ほい嬢ちゃん、おまちどう!」
男が、串付きになった肉を持って戻ってきた。
塩と炭と肉の油と、この世に存在する極上が入り混じるそれを前に、彼女は一目すら見ずともよだれが垂れ。
「おぉ、おお〜! これがぼんじりか! ……たしかに、なんかよくわからいけど凄まじい美味感を放ってる気がする!」
天に還りし煙に包まれた、できたての焼き鳥。
それをまじまじと見つめるガルムは、いてもたってもいられない。
「まぁ、なにはともあれ……。いっただっきま〜す!」
串を横にして、肉という肉を一気に頬張る彼女。
当初は最大限まで味わおうとの意向であり、その分ゆっくり食べる気でいたがどうしてかそれもうまく行かない。
口の中で暴れる肉を歯で押さえて、もきゅもきゅと噛んでから滲み出た肉汁と一緒に飲み込む。
そんな、1日に3度しかない至福の時を過ごした後。
彼女は下を向いて、なにやらじんめりとした不穏な雰囲気を醸し出して。
「――ど、どうだい嬢ちゃん。お味の方は……」
腕によりをかけた、自慢の商品を出した男。
反応が含まれるであろう次のガルム言動に、ゴクリと唾をのむ。
「こ、これは……。これは美味い! 香りだけでなく味も良い! それにこの、ぷりぷりとした食感に包まれたジューシーさ。天界でこんな美味しいものことない! あぁ、なんて素晴らしいものなんだ、ぼんじり!」
常闇に染まりそうな暗い顔から、一輪の太陽が輝いた。
想像を超える美味しい物を食べて、大変ご満悦な彼女。
背後からは淡い後光が差し込んでおり、無意識なきらきらとした笑顔が眩しく光る。
「そりゃよかった!」
その回答に安堵した男は、優しく柔和に笑い返す。
△◆●◉○
「ところで、このぼんじりっていうのは何の肉を使ってるんだ?」
「ん? それは鶏の尻肉だよ。ははっ、ほんと嬢ちゃんは何もしらねぇなあ!」
「――ほう。鶏といえば……コカトリスか! まさか毒まみれのあいつが、実はこんなに美味かったなんて……」
あぁ、やっぱり人間界は凄いぞネリア!
天界で見たことがないこと、私には考えもつかないこと。
そんな未知の旅路が樹海のように広がっていて。
新しい風が、何もしなくてもどんどんと吹いて来る!
いくら神といえど、人間界に降り立つことに多少なりの不安を感じていた彼女。
ただ街を見ただけなのに、それでご飯を食べただけなのに。
いざ舞い降りた後、たったその一瞬で人生観が変わった。
彼女は、自らが望んだ未来を手に入れたのだ。
「ちょっと、コカトリスって……。あぁ、次のお客さんだ! またなお嬢ちゃん!」
「うん!」
人間界について、まだまだ知らない事がたくさんあると知ったガルム。
男に大きく手を振ってから、元気よく駆け出して行く。
「よし、次はどこに行こうか」
右を向いたらおしゃれな洋服店。
左を向いたら綺羅びやかな宝石店。
周りのどこを見ても、心惹かれる物ばかりで目移りが止まらない。
「あ、あそこにいこう!」
そうして、今日という有限の時を満喫しようとするガルム。
しかし、これより先に待ち受ける困難に気づくのは決して遅くなかった。
「……ん? そういえば、私って今日どこで寝れば良いんだ?」
天界から抜け出すということは、自らの家を捨てるということ。
そうなれば当然、今日寝る布団も毛布もないわけで。
暖かい部屋や快適な空間などは、どれだけ願っても手に入らない。
「もしかして今日。の、のの……のじゅく? 野宿!? そ、それだけは、それだけは嫌だ! 天界最強の次元の神、というか年齢的にも身体的にも大人の私が、見ず知らずの人間界で野宿だと!? くそっ、こんなところに住めば都もあるか! ……そうとなれば、”新しい住処”を探すしかない――」
先程とはまったく異なった理由で、街全体を巡る事になったガルム。
2月終盤、陽が落ちていく寒空の中。
神として日々鍛え上げられた体力を最大限に活かし、げらげらと笑いながら駆け回る。
その姿は神々しくありながら、どこか幼くかわいらしい。
通りかかる人の目線も気にせず、自由気ままに今を楽しむ彼女だった。
2023 8/12 改稿済
こんにちはこんばんは、どうも神無月です。
今回は新連載「次元最強のガルム様」を書かせていただくことになりました。
この作品は私が以前からずっとやりたかった物なので、作成できてとても嬉しく思います。
これから、ガルム達に色々な出来事が降り注ぎ、楽しくも嬉しくも面白い展開が待ち受けています。
とっても不器用で愛しくて、それでもなんだか微笑ましくて。
そんな彼女らを、どうか応援のほどよろしくお願いいたします。
もしこのお話が面白いと思っていただけたり、続きが気になると思って頂けた方。
今後の活動の励みにもなりますので、ブックマーク登録&評価をして頂けたら嬉しい限りです。