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24「はみがきじょうずかな」

 

 本日の少年は妙に上機嫌だった。


 いつものように、


「おじさーん」


 と虎呼郎の部屋に上がり込んできて以降ずっと笑っていた。


 ただその笑い方がいつもの「あはは」や「えへへ」とは違っていた。


「にぃーっ」


 と唇を横に引いて白い歯を見せびらかしているかのような笑い方だった。


 今、虎呼郎と少年は低いテーブルを挟んで向かい合っていた。


 ローテーブルの上には虎呼郎の遅い夕食が置かれていた。


 つい先日、お笑い芸人が自身のYouTubeで紹介していた冷凍食品のラーメンだ。


「300円でお店の味」だと職場でも軽く話題になっていた。


 虎呼郎はそのお笑い芸人が大好きでもラーメンが大好きでもなかったが話の種にと購入してみたのだった。


「ええと。少年は夜ご飯は」


「もう食べ終わってるよ。ウチで」


「ですよねと。じゃあ。目の前で悪いけど」


「うん。食べて。食べて」


 レンチン済みのラーメンから立ち昇る湯気の向こうで少年は「にぃーっ」と微笑んでいた。


「いただきます」と呟いて「ごちそうさま」と箸を置く。その間、十分。


「美味しかった?」と少年に問われて「ああ」と頷く。


「スープは確かに。店の味って感じだったな。麺はまあまあ。カップ麺よりは断然、旨いけど。店の麺と言うよりはスーパーのチルドコーナーの生ラーメンっぽいかな」


 語ってしまった。先に「お店の味!」とハードルを上げられていなければ、もっと「美味しい」と感じていたかもしれない。でも「お店の味!」と言われていなければ多分、購入していなかった。


「商品の宣伝とは難しいもんだな」


 しみじみと虎呼郎は呟いた。少年は「にぃーっ」と笑っていた。


「ごちそうさま? ごちそうさまって言ったからもう食べ終わったんだよね?」


 少年は「そわそわ」なのか「うきうき」なのかしていた。


「ん? ああ。食べ終わったけど。どうかしたのか」


「僕がおじさんの歯をみがいてあげるっ!」


 少年は勢い良く立ち上がった。虎呼郎は座ったまま少年の顔を見上げる。


「……は?」


「うん。歯っ!」


 奇跡的に噛み合ってしまった。……歯だけに。


「な、なんで……?」


「ご飯を食べたら歯をみがかないと」


「いや。それは分かるが。何で少年がおじさんの歯を磨くんだ」


 虎呼郎は抗議してみたが、少年は改めて「にぃーっ」と笑った。


「今日ね。学校でね。歯科健診? があってね。僕、ほめられたんだよ。歯みがきが上手だって。ほら。見て。僕の歯はキレイなんだって。にぃーっ。見て。にぃーっ」


 ……なるほど。唇を横に引いて白い歯を見せびらかしているかのようだと思ったが本当に見せびらかしていたのか。


「少年。おじさんも歯は磨けるから。自分で」


「おじさんっ」


 少年はいつも以上に高いテンションで言った。


「おじさんは僕の」


「……犬です」


 虎呼郎は渋々と応える。


「おじさんの歯は僕がみがかなきゃ!」


「……はい」




 ――というわけで。やってきました洗面所。


 大きめの鏡や洗面台を横手に置いて虎呼郎と達矢が向かい合う。


 虎呼郎は軽く屈んで達矢に背丈を合わせていた。


「はい。あーん」


 少年に言われて虎呼郎は口を開けた。ついでに目も閉じる。


 至近距離も至近距離、虎呼郎の顔のまさしく目の前に少年の顔がきていた。


 シミやニキビは勿論、毛穴の一つも無さそうなツルピカのお肌に目がくらみそうになる。強面俳優の異名ではないが少年の顔面もある意味で凶器だった。


「…………」


 目を閉じて口を開けていると歯医者に診られているような気持ちになってくる。


 虎呼郎が患者なら少年は医者役だ。


「歯医者」設定は珍しいと思うがこれもひとつの「お医者さんごっこ」か。


 ちらりとだけそんな事を考えてしまった。すぐに打ち消したが虎呼郎の胸の鼓動は強いまま、なかなか元には戻らない。


 目を閉じる前の事、虎呼郎が普段から使っている歯ブラシを少年がその小さな手に握っているという事実が余りにも非現実的で。虎呼郎の頭はくらくらとしてしまっていた。ここのところ仕事が忙しくて寝不足が続いていたせいもあったかもしれない。


「いくよー」


 言いながら少年が虎呼郎の口に歯ブラシを突っ込んだ。


「んーと。もう少し? 入る? んー。これで奥まで入ったかな」


 硬い。歯ブラシの先端が虎呼郎の口内のいろんな箇所に当たる。押し付けられる。


 乱暴なわけじゃないが好き勝手にはされている感じがした。


 おもちゃにされている感じだ。虎呼郎は……ぞくぞくとしてしまっていた。


 実際の話、向かい合った相手の歯を正面から磨くのは難しい。


 自分の歯を磨くのとは勝手が違っていた。手の動きが逆になる。手首の返しが逆になる。それだけではない。自分で自分の歯を磨く時、手の感覚だけではなくて口内の感覚も同時に使っていたのだと分かる。


「むー……」と少年は唸った。


 難しいついでに言えば、


「あー、あー、白いのが口から垂れてきちゃってる。そっち向いて。ぺってして」


 洗面台を横に置いているからよだれやらの処理も面倒になっていた。


「もー。もー。もー」と少年が可愛らしい牛と化す。


 虎呼郎はそっと片目を開けた。


「少年。これは無理があるんじゃないか。もう諦めよう」


「ちがうから。ちがうから。もっとちゃんとできるから」


 少年は頬を膨らませた。


「大丈夫。少年が自分の歯を磨く事が上手なのは分かるよ。それは分かるけど、でも向かい合った相手の歯を上手に磨くにはまたちょっと別の技術が要るんだろう」


 虎呼郎は言ってやった。


「今日はもう止めておこう」


 今日だけじゃなくて明日も明後日もずっと止めておいてほしかったがとりあえず、今、この場の歯磨きを穏便に中止させる為の方便を虎呼郎は口にした。


「むー……」と少しだけ考えた後、少年は、


「そうだ。いつもみたいにやれば良いんだ」


 何かを閃いてしまったようだった。虎呼郎は苦笑する。


「いつもみたいに……?」




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