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16.5

 

「おじさんは『犬』だから。おじさんの『菌』が付いたものを口に入れては駄目だ。病気になるぞ」


 手洗いから戻ってきた少年に、一皮剥けた後のブランニュー虎呼郎は少しばかりの説教をしてやっていた。


「えー」と少年が不服そうな声を上げる。


「でも。だって。凪ちゃんは自分の犬とチューしたりしてるよ?」


「凪ちゃん……は誰だか分からないが。幾ら可愛くても動物とのキスは、菌だの病気だのがあって、宜しくなかった気がするぞ。犬や猫にとっては無害でも人間にとっては害となる菌とかが移ったりするとか。またその逆もな。人間から動物に移してしまう事もあるだろう。大事なペットの為にもキスなんかはしない方が良いと思うな」


「……そうなの?」


「更に言えば。おじさんは少年の『犬』でありながら『おじさん』でもあるからね。……『おじさん』の『菌』は少年には『毒』なんだよ。迂闊な接触は控えようね」


 虎呼郎はこの降って湧いたような機会を逃すまいと少年を牽制してしまった。


 ……これで良いのだ。これが少年の為にもなるのだ……。


「そうなの?」と囁かれた疑問に、


「そうなの」


 と即答する。力技だった。


 少年は「そっかあ……」と残念そうに呟いた後、


「……あ」


 と気が付いた。思い出した。


「ん? どうした」


「ゴメンナサイ。僕、前におじさんに僕の唾を飲ませちゃったけど。あの後、おじさん、病気になっちゃった?」


 申し訳無さげな上目遣いで少年は虎呼郎の事を見ていた。


「う……」


 と虎呼郎も言われて思い出す。(……あれは確か「08」話だった。)


「いや。あれは、まあ……おじさんは、強いから。そう。強いからね。おじさんから少年に『菌』を移すのは絶対に駄目だけど、逆に少年からおじさんにだったらまだ、ギリギリで耐えられるんだ」


「そっかあ。良かった。……でもギリギリだったんだね。ゴメンね……?」


 少年は申し訳無さげな表情をキープし続けていた。「良かった」と見せた微笑みも実に弱々しかった。


 虎呼郎の胸だか胃だかが痛み出す。


「いやッ。ギリギリというか、その、まあ、余裕だったな。余裕で耐えられるから。大丈夫だ。少年は何も心配しなくて良い」


 ……我ながら何をしているんだか。虎呼郎は「嘘」を「嘘」で打ち消してやった。


「ホント?」


 と少年は表情を明るく変える。それでもまだ明度は80パーセントといったところだった。


「…………」と虎呼郎は何も言わず、言えずに微苦笑を浮かべた。


 反省だった。虎呼郎は素直な少年の純粋な気持ちをイタズラに弄ぶような事をしてしまった。


「……あのね。聞いて」


 それは唐突な告白だった。


「おじさんにね、僕の唾を飲んでもらうとね、おじさんが僕の事を好きになるんだ」


「……ん?」と虎呼郎は眉間に深いシワを寄せる。……何だって?


「だからね」


 少年は言うが早いか――テーブルを挟んで向かい合って座っていた虎呼郎と自身の間に置かれていた美味しそうなカレー弁当に向かって、


「――ペッ」


 と大粒の唾を吐き掛けた。


「おわッ!?」と驚いた虎呼郎を余所に、


「ペッペッペッペッ――」


 連射する。加トちゃんもビックリ。斉藤さんもビックリの「ペッ」祭りだった。大盤振る舞いの大放出だった。


「だーッ。止めなさい。止めなさい」


 虎呼郎は声と仕草で制止する。一皮剥けたシン・虎呼郎とて少年の口を物理的に塞ぐといった暴挙には及ばない。


「えー。でも僕の唾をおじさんが飲む分には大丈夫なんだよね?」


「大丈夫だけど。大丈夫だけど、止めなさい」


「なんでなんでなんで。僕の唾が大丈夫なら、もっともっと、おじさんには僕の事を好きになってもらいたいから。――ペッ」


「わーッ、もう。好きだからッ。おじさんはもう十分に少年の事が好きだから。これ以上、好きになったら困っちゃうくらいに好きだからッ」


 まるで甘い恋愛ドラマのワンシーンみたいな台詞を虎呼郎は叫んでしまっていた。


「――もう止めなさい」


 再びの制止に少年は、


「……えへへ」


 と、はにかみながら言う事は聞いてくれた。最早、手遅れな感は強かったが。


 結局、少年は何度、虎呼郎のカレー弁当に「ペッ」をしたのだろうか。「何度」というか「何㏄」と言うべき話かもしれない。




 少年の帰宅後。手付かずのまま、すっかりと冷め戻ってしまっていたカレー弁当を見下ろしながら虎呼郎は、


「ふぅ……」


 と息を吐いた。


 少年の唾液入りカレーだ。嬉々として食べるのは大変な変態であろう。


 だが別に食べられなくはない「カレー」だ。摂ると健康を害するというわけでもなければ、味がおかしくなってしまっているわけでもない。立派な「食べ物」だ。それを捨てるというもの昨今のSDGs精神に反する。MOTTAINAIではないか。


「…………」


 ただこのカレー弁当は冷め切ってしまっていた。


 このままでは本来の美味しさは望めないであろう。カレー弁当にも申し訳ない。


 これをまた電子レンジで「――チンッ」するのか? 


 ……そんな事にはならないであろうが。虎呼郎のイメージでは、この少年の唾入りカレー弁当を電子レンジで「――チンッ」してしまうと、温められる際に少年の唾が蒸発して電子レンジ内に「少年菌」――自分の事ならば卑下的に「菌」などと言えたが無垢な少年に対してこの言い様は宜しくないな。どうするか。「少年成分」とでも呼ぼうか――「少年成分」が充満してしまい、この先、このレンジで「――チンッ」したもの全てに「少年成分」が入り込んでしまいそうで……怖かった。


 個人的には冷め切ってしまったカレーほど美味しくないものはないと思うが、この世の中には冷やしカレーなるものもあるというし。


 どうしたものか。


 色々と。本当にそう。色々と、


「……悩ましい」


 虎呼郎は呟いた。夜は更ける。




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