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一枚、二枚、三枚、四枚の掛ける三段。合計十二枚もの写真が小さくて低い机の上に並べられていた。どの写真にも毛足の長い犬が大きく写されていて、全十二枚中の三枚にはその犬の飼い主である黒谷凪――里見達矢のクラスメートで友達の姿もあった。ペットを飼うにあたっての必要経費は勿論、凪の親である大人達が出していたが実際の世話の多くは凪がしていた為、黒谷凪をその犬の「飼い主」と言ってしまっても間違いではないだろう。
「えー。すごい。かわいい」
達矢は素直な感想を口にした。
「だろー?」と凪は得意満面の笑みを浮かべる。
「イトコの姉ちゃんがもう使わないからってインスタントカメラ? とかっていうのくれて。撮ってみたんだ」
小学校中学年生の凪や達矢はまだ自分のスマートフォンを持ってはいなかった。デジタルカメラやフィルムカメラは言わずもがな。カメラ機能が付いている携帯ゲーム機も持っていない凪が自分の手で大好きなペットの写真を撮ったのはこれが初めての事だった。
「すごーい。いいなあ。学校でも一緒だ。かわいいなあ。いいなあ」と達矢は全力で羨ましがっていた。
「うっへっへっへっへっ」と凪はその日一日、分り易く上機嫌だった。
その日の夜の事、
「駄目に決まっている」
鈴木虎呼郎は達矢少年からの提案を頭ごなしに却下した。
「えー。なんで。なんで。いいじゃん。撮ろうよ、写真。撮ろう? ね?」
少年はめげずに食い下がる。
「少年。おじさんが『犬』だっていう事は皆には内緒だと約束してくれただろう? 覚えているかい? それとも忘れてしまったのかい?」
「忘れてないよ! 覚えてるよ!」
少年は何故かムキになってしまったような態度で答えてくれた。
「うんうん」と虎呼郎は少しばかり大仰に頷いてやった。それを見てか、達矢も落ち着きを取り戻す。
「いいかい? おじさんが少年の『犬』じゃないとなると、おじさんはただの『隣の部屋に住んでるおじさん』なんだよ。そんなただの『隣の部屋に住んでるおじさん』と一緒の写真を少年が撮るのはおかしいんじゃないかな?」
「う~ん……」と考えている途中の少年に虎呼郎は、
「おじさんと少年が写真なんか撮るものじゃないんだよ」
と追い打ちを掛けるように断言する。
客観的に見れば虎呼郎の考え過ぎな気もするが。少年との関係に関して、虎呼郎には「後ろ暗い」という思いがあるせいだろう。誓って「後ろめたい」思いはなかったが、だからこそ過剰に過敏に予防しようとしてしまうのかもしれない。
「後ろ暗い」と「後ろめたい」――この二つの言葉は非常に似通った意味を持っていたが、虎呼郎の個人的な解釈として「後ろ暗い」とは他人に知られれば不都合となるであろう「事実・事柄」を指しており、一方の「後ろめたい」は自身の良心が咎めるような「やましさ」の事を言っていた。……鈴木虎呼郎は気持ちのぐらつく瞬間こそあっても根本的には里見達矢に対して誠意を持って対応してきた。少なくとも、そのつもりではいたのだった。
写真は証拠品になる。客観的な物証となる。危険な存在だった。虎呼郎に「そんなつもりは微塵も無い」としても「一般的な観点からは」と言われてしまえば、虎呼郎と達矢の「不適切な関係」を示す決定的な証拠となりかねない。
写真や映像を残す事は危険なのだ。それは何も虎呼郎にとってだけじゃあない。虎呼郎が「加害者」となればつまりその対となる「被害者」にされてしまう達矢にとってもだ。覆す事の出来ない物証を元にその「被害」が言葉や気持ちでは否定する事の出来ない「事実」となってしまう。
「少年。すまないが写真は止めておこう?」
「えー……」と達矢は渋っていたが。そこまで撮りたいのならばまあ今回だけは大目に見てあげるかなどと一度でもOKしてしまったら以降、軽い気持ちでバシャバシャと写真を撮られまくってしまうかもしれない。こういった事は最初が肝心なのだ。そう……虎呼郎も、最初の最初に「犬」だとか何だとか言っていなければ……である。
「……うん。分かったよ……」
完全に納得はしていない様子ながらも頷いてはくれた少年だったが、果たして本当に大丈夫なのだろうか。いくら健気に見えるからといって、その愛らしい素振りだけを担保に信用しきってしまってもよいものなのか。
虎呼郎は、
「それで。少年。今日はスマホ? デジカメ? は持ってきてるのかな?」
重く鈍く胸を痛めながらも確認をする。語尾に疑問符は付けていたが虎呼郎の言葉は質問というよりも追い込みだった。要約すると虎呼郎は少年に「持ってきている撮影機器を出しなさい」と軽く命令をしているのだ。
ここは一旦、カメラなりを預かってしまってから少年が帰る時に返してあげるのが安全だろう。虎呼郎はそう考えていた。しかし、
「持ってないよ?」
と少年は答えた。
「ん?」と虎呼郎は目を見張る。……隠しているのか? 提出を拒否しているのかとも一瞬は思ったが、里見達矢には隠す事も拒否する事もここまで上手には出来そうにないと虎呼郎は判断した。……「全ての子供は天使であって嘘なんか付かない」などとは思っていないが「里見達矢」は「嘘なんか付かない」と虎呼郎は思ってしまっていた。流石に「天使」だとまでは思ってなくもなくもないかもしれなくもないが。
「それでどうやって写真なんて撮ろうとしたんだ?」
素朴な疑問を少年にぶつける。少年は普通の顔をして言った。
「カメラもスマホも僕は持ってないから。おじさんのスマホで撮ってほしいなって」
「え……?」
……となると撮った写真の管理は自分で出来るのか。それだったら。まあ。いや。うーん……と悩んでしまった虎呼郎の姿を見てだろう達矢が懲りずにまた一度、
「写真、ダメかなあ?」
と見上げてきた。虎呼郎は、
「……おじさんのスマホで撮ったらおじさんしか見られないんじゃないのか?」
即答が出来なかった。……この時点でもうこの勝負は決していたのかもしれない。
「あのね。いまはね、スマホで撮った写真をコンビニでプリントアウトとか出来るんだよ。お金が掛かるから全部はできないんだけど……」
虎呼郎は自宅にプリンターを置いているので印刷をするのにコンビニを利用する必要はなかったが、なるほど「お金が掛かるから」は良い言い訳だった。
「……一枚だけなら」
虎呼郎がぼそりと呟いた。少年は勿論、聞き逃さない。
「えッ? ホントに? 良いのッ!?」と面持ちを一変させる。むぐぐ……。
虎呼郎だって少年と写真が撮りたくないわけではなかったのだ。撮った写真を見たくない、所持したくないわけでもない。ただその写真の存在は非常にリスキーであるというだけだった。大きな危険を孕んでいる。……でも。何度かシャッターを切ってみたものの内から無難な構図の写真を一枚だけ選んで印刷するというのなら。随分とリスクは薄まるのではないか。その写真なら万が一、他の誰かに見られたとしても大丈夫――ではないにしても。それほど大きな問題にはならないで済むかもしれない。
「……本当に一枚だけだぞ?」
天秤に掛けていた「リスク」がその重みを少々損なった結果、もう片一方の「写真を撮りたい、所持したい、少年の笑顔を見たい」にガタンと傾いてしまった。
「――ぅわーいッ!」
「待ちなさい。少年。確認するぞ? 何枚か撮ってみて、その中からこれだっていう一枚を選んで。その一枚だけを印刷する――で良いならだ」
厳しげな口調で言っていた虎呼郎だったが、恥ずかしながらその口元の緩みは隠し切れていなかった。




