第九十五話『偽りの神経』
「なっ……‼」
「流石に一撃じゃ壊れないわね。ま、それくらいじゃないと張り合いがないのだけれど」
ウェルハルトが驚きの声を上げるのとは対照的に、淡々とリリスは氷の武装を再装填する。一切の容赦がない撃滅体勢は、最早リリスの黄金パターンと言ってもよかった。
どれだけ図体がデカかろうと、それに対応できなければマギアドールは一生防戦に回る事しかできない。ウェルハルトからしたら想定外の出来事かもしれないが、俺たちからしたらもう驚くまでもない事だ。……この程度の事、リリス・アーガストならば息をするかのようにやってのけられてしまうんだから。
「……リリス、補助はいるかい?」
「いや、必要ないわね。わざわざ二人の手を煩わせるまでの実力でもなさそうだし」
ツバキの問いかけに振り向いて答えを返しながら、リリスは容赦なく氷の弾丸を放ち続ける。巨体が逆に仇となっているのか、全身に弾丸の嵐を受けるマギアドールは最初の一発以降攻撃動作に入る事すらできていなかった。
「……槍よ」
小粒の弾丸の対処でいっぱいいっぱいになっているところに、リリスはひときわ大きな氷の槍を作り出す。牽制用と言ってもいい弾丸たちに対処できないその巨体が、その一撃を回避する術なんてあるはずもなくて。
「……この程度で冒険者を越えようとか、ちゃんちゃらおかしいにもほどがあるわね!」
またしても大きくのけぞったその姿を見やって、リリスは憎々しげにそう吐き捨てる。やっぱりというかなんというか、リリスのストレスはここに来てから相当溜まっていたようだった。
そんなところに体のいいサンドバッグが現れれば、そりゃあ手加減なしに攻撃もするというものだろう。やれ『希少なエルフ』だの『冒険者を超える』だの、アイツの琴線に触れる言葉さえ言わなければもう少し手心だって加わっていたかもしれないものを。
「……ありゃスクラップだろうな……」
「だろうね。というか、リリスは多分最初からそこしか見据えていないよ」
縦横無尽に駆けながらマギアドールを蹂躙するリリスの姿を見て、俺たちはしみじみとそう呟く。俺たちのエースを怒らせたことの代償は、ウェルハルトが思っていたよりもはるかに重かった。
頑丈そうに見えた体も一部がボロボロと崩れだし、だんだんとバランスが悪くなりつつある。そこまでの攻撃を喰らっても機能停止しないのは大した耐久力だが、攻撃に移れないのでは全く以て意味がない。ただ、リリスが満足するまで壊され続けるだけだ。
「……そこ、妙な動きをするんじゃないわよ‼」
それでも諦めずに右腕を振りかざそうとしたマギアドールの肩口を、容赦ない氷の弾丸が打ち抜く。もう何度目かも分からない攻撃動作の妨害によって、肩と腕の継ぎ目はもうボロボロだった。
俺でも気づくくらいの損傷を、リリスが見逃すなんてもちろんあるはずもない。いったん着地したリリスの右手には、氷で作り出された大剣が握られていた。
「だって言ってたものね。『手を尽くして抗え』――って」
力感のない構えから一歩踏み出すだけで、リリスの体が弾かれたように加速する。道中で作り上げた氷の足場を経由することでさらに速度を上げていくその華奢な体は、一瞬にしてマギアドールの頭上へとたどり着いていた。
「……あなたに罪はないけれど、あなたの生みの親にはちょっとイライラさせられていたの。……だから、悪く思わないでね?」
大剣を大上段に構え、リリスは一気に降下を開始する。その威力を防ぐ術などなく、マギアドールの右腕はあっけなく本体と分断されることになる――
「……させるかあッ‼」
――そんな未来を、ウェルハルトだけが拒絶した。
端末を操作すると同時、マギアドールの全身に青い光が走る。それはまるで血管のようで、俺は思わず体をのけぞらせた。
「……っ」
その変化にリリスも何かを感じたのか、手にした大剣の形が平べったいものへと変わっていく。防御重視のその形態は、リリスがひとまず攻撃を停止したことの明確な証拠だ。つまり、そう感じるだけの何かをリリスはそれに見出したということで――
「……疑似魔術神経、出力開始‼」
「は……あああッ⁉」
ウェルハルトの指示に、俺は思わず叫びを上げずにはいられない。……あの男が発した『疑似魔術神経』という言葉が、俺の中で意味の分からないものとしてリフレインしていた。
魔術神経とはいわゆるブラックボックス、修復術を知る俺たちからしてもまだまだ謎の多いものだ。修復を繰り返すと脆弱になっていく理由も、完全に成功させてもなお術師の力量が元に戻らないことの仕組みも俺たちは知らない。だからこそ、他の知識と関連付けて暫定の結論を下すことしかできていない。……そんなものを、再現? 修復術の存在も知らないであろう奴が?
馬鹿げていると、そうとしか言えない。そんなものが疑似的ではあれ魔術神経であるわけがないと、修復術師としての俺の本能が脳内で絶叫していた。
「……せ」
気が付けば、口からそんな言葉が漏れている。それは、マギアドールと一人向かい合うリリスに向けた願いの言葉だった。
自分の中にある衝動を理解して、俺はその言葉をもう一度繰り返す。今度はちゃんと大声で、リリスにもちゃんと届くように――
「……その偽物をぶっ潰せ、リリス‼」
「……了解したわ。それがマルクの頼みなら、一切の容赦も必要ないわね」
この広い空間に反響するほどの叫びを受けて、リリスは確かに笑みをこぼす。いつもの獰猛さはそのままに、優しさもそこに加えられているような気がした。
「……久々にマルクの大声を聞いたね。それほどまでに、アレが気に食わないかい?」
「ああ、気に入らねえな。最初はすげえとか思いもしたけど、魔術神経を名乗りやがった時点で一発アウトだ」
ツバキの問いかけに、俺は首を大きく盾に振りながら答える。たとえ未知を追い求めるのが研究者の衝動であったのだとしても、その領域は軽率に足を踏み入れていいものではなかった。
魔術神経とはあんなちゃちなものではない。アレはただ魔力を通す導線でしかない。本物の魔術神経は、もっと人間の根幹に大きな影響を及ぼすものだ。――間違っても、オンオフなんて出来るわけがある物であるはずがない。
「……うん、そうだね。君がちゃんと怒りを示せる人間でボクは嬉しいよ」
思わず険しくなってしまう俺の表情を見つめて、ツバキは朗らかな表情を浮かべる。剥き出しの感情を見せてもなお、それを受け入れてくれる仲間がいることが俺も嬉しかった。
「……大丈夫、リリスが全部叩き潰してくれるさ。もうヒロトは分かってると思うけど、あの子が一番強くなるのは他の誰かの願いを背負った時だからね」
「そうだな。……ほんと、優しい奴だよ」
氷の盾を手にして防御態勢に入っているリリスを見つめながら、俺たちはそう言葉を交わす。リリスが負けるかもしれないなんて心配は一ミリもない。……何てったって、そこに立ってるのは他ならぬリリス・アーガストなんだからな。
「……誇りを示せ、ジュニア――‼」
そんな俺たちのやり取りをよそに、ウェルハルトはマギアドールを操作し続ける。それに応えるかのようにして、ボロボロになった肩口の周りに岩石の弾丸が出現した。
大方それを打ち出すことがマギアドール秘蔵の機能なのだろう。確かに魔術をただの人形が放つことは革新的な事だが、それが人の魔術を超えることなんて有り得ない。ましてリリスの腕を超えることなんて、未来永劫あるはずもない――
「……おっそいのよ、何もかも」
――そんな俺の確信を裏付けるかのように、空中に装填したはずの岩の弾丸が何の前触れもなく凍り付く。その直後にあっけなく砕け散った弾丸を見つめて、リリスは欠伸をするかのように口元を軽く押さえて見せた。
「わざわざ魔力を流してくれてありがとう。……そのおかげで、この勝負も無駄に長引かせなくて済みそうだわ」
それに驚く暇も与えず、リリスは再び氷の形を作り替える。攻撃を防ぐための盾から、相手を叩き潰すための大槌へと。打ち砕くことに特化したその作りは、リリスが攻撃対象を明確に認識したことの証だった。
氷の足場を作り出したリリスは、軽い足取りで再びマギアドールの頭上を取る。その振り上げられた大槌は、間違いなくその頭部をロックオンしていた。
「あなたの魔力の出所は頭。魔術を使ってくれなかったせいでいままでずっとぼんやりしていたけど、下手に反撃しようとしてくれて助かったわ」
「……や、めろ」
答え合わせをするかのように言葉を紡ぐリリスの姿を、ウェルハルトは必死の形相で見つめている。遠目から見ても分かる焦燥は、あらゆる策が超越されたことへの絶望なのだろうか。
まあ、それも仕方がない。相手が悪かったのだ。なんせリリスはこの街で、いやこの国で最強の魔術師と言ってもなんら過言ではないほどの魔術師なわけで。そんな彼女を『試金石』呼ばわりなんて、不遜にも程があるという話だった。
「……貴様らの勝ちでいい、だからその手を止めてくれ――‼」
今にもマギアドールを破壊せんとするリリスに向けて、ウェルハルトは大声で懇願する。それを聞きつけて、リリスは一瞬だけウェルハルトの方を見やると――
「……丁重に、お断りさせてもらうわ」
凛と響いた拒絶、その直後に轟音。頭部が砕かれたことをきっかけとして、その巨体はただの岩石へと還っていく。最後の一撃には、何の慈悲もありはしなかった。
疑似魔術神経にマルクが何故あそこまで過剰反応したのか、その点もおいおい明らかになって来るかと思われます。今はただ、魔術神経を名乗るという行為にはマルクの地雷が隠れているんだなあということだけ覚えて置いていただければ幸いです! 第三章もまだまだこれからが本番、ドンドン盛り上げていきますのでどうぞよろしくお願いいたします!
――では、また次回お会いしましょう!




