第九十二話『ウェルハルト・カーグレイン』
威風堂々という言葉が、この男――ウェルハルトにはあまりに似合いすぎている。顔に刻まれた深い皺の数々が老年であることをかろうじて示してくれているが、それすらも彼の威厳を後押しすることになっているのだから不思議だった。
「急な要請……最低限、私たちを突然呼びつけたって自覚はあるのね」
その姿に俺が思わず言葉を失っていると、その隣でリリスが口を開く。リリスが初対面の人に厳しめに接するのはありがちな事だが、皮肉を交えるその態度はいつにも増して棘があるように思えた。
「これを当たり前とか言われたら、私たちもさすがに研究院の品位を疑わなければいけなかったのだけれど。……そんなことにならなくてひとまず安心したわ」
ウェルハルトの威圧感に一切臆することなく、リリスはまくしたてるようにそう言い切って見せる。その姿を、爛々と輝く黄色い瞳がじいっと見つめていた。
「……何? 無言でジロジロと観察されるのは、あまり気分のいいものではないのだけれど」
その視線にも負けることなく、リリスはさらに言葉を返す。……それからしばらく間が開いて、ようやくウェルハルトは口を開いた。
「……貴様、さては純血のエルフか?」
ずいっと一歩踏み込みながら、ウェルハルトは低い声でそう問いかける。その姿に俺が思わず身構える中、リリスは一切動じることなく頷いた。
「ええ、里とのつながりはとっくに途切れているけどね。……で、それがどうかしたの?」
その声色は鋭く、警戒心がむき出しになっていることが俺には分かる。……だが、警戒を向けられている当人であるウェルハルトはそんなことを微塵も気にしていない――いや、この表現は正確じゃないな。
「まさかこんなところで純血のエルフと顔を合わせることが出来るとは……‼ 面倒な解析ではあったが、好奇心に従ってみた甲斐があるというものだ!」
――ただ、あふれ出る好奇心のせいでその警戒に気が付いていないだけだ。
「王都はあらゆるものがあるが、それでも種族の多様性というのは皆無に等しいからな! 嗚呼、当方のフラストレーションにもついに終わりが来た……‼」
「ちょっと、何よいきなり……!」
高らかにまくしたてながら、ウェルハルトはリリスに向かって一直線に歩み寄って来る。さっきまでの気だるげな様子はどこへやら、その動きは老人だと思えないほどに俊敏だった。
確かにこの街で他にエルフがいるって話は聞いたことがないし、ウェルハルトにとってリリスという存在は貴重極まりないものなのだろう。それと出会った時にテンションが上がることを悪い事だと言い切ることは、正直難しいことではあるのだが――
「悪いな。俺の仲間が嫌がってるから、その好奇心は却下だ」
――その好奇心が仲間を傷つけかねないのなら、それは問答無用で『悪い事』だ。
「……む?」
すっと体を横に滑らせて、俺はウェルハルトの前に立ちはだかる。ウェルハルトの眉間にわずかなしわが寄って、黄色い瞳が俺の姿を怪訝そうに捉えた。
「エルフが王都にいるのが珍しいのも分かるし、色々と気になることがあるのも理解はできる。……だけど、エルフである前にリリスは俺の仲間だからさ。申し訳ないけどここは一旦退いてくれ」
目線を外さないように意識しながら、俺はゆっくりと言葉を紡ぐ。さっきまで俺を縛り付けていた圧迫感は、今の一連の姿を見たことですっかり薄れていた。
この行動がたとえウェルハルトの気分を害したのだとしても、これだけはしっかりと言っておかなければならない。……リリスをエルフとしてしか見ていないような態度は、正直言って不愉快だからな。
両手を広げて立つ俺の姿を、ウェルハルトはじいっと見つめている。場合によっては、このまま交渉決裂になってしまうことも覚悟の上ではあったが――
「……済まない、貴様の言う通りだ。当方の自制心は、やはり一般に比べて脆弱であるようだな」
ふと我に返ったかのように、ウェルハルトはゆっくりと引き下がる。俺の主張を聞き入れてくれるだけの良識があると分かって、俺は思わず安堵の息をついた。
知らず知らずのうちにこわばっていた全身の力を抜きつつ、俺はさらに深呼吸を一つ。そうして元の立ち位置に戻ろうとしていたその背中が、細い指につつかれた。
ふと振り返れば、そこにはどこか縮こまった姿勢のリリスがいる。俺がふっと首をかしげると、リリスはこちらにグッと体を伸ばしてきた。
「……ありがとうね」
その声はか細いものだったが、そこには隠し切れない安堵がある。それに俺が笑顔を返すと、緊張していたリリスの表情がようやくほころんだ。
「まったく、マルクに感謝だね。あのままリリスに狼藉を働いていたらボクは持ちうる限りの全力で君に制裁を加えていたところだったよ」
ここまでのやり取りを通して傍観に徹していたツバキが、俺の方を見つめて満足そうにうなずく。その声色は柔らかいものだったが、その右手にはわずかに影が立ち上っていた。
話し合いのためにも必死に抑えてたんだろうけど、本当ははらわたが煮えくり返ってたんだろうな。リリスのことを任せてくれたことを嬉しいと思った一方で、俺が抑え込めなかった時の惨状を思うと微かに体が震えた。
「いやはや、影魔術か。……これは、当方の正気すら危うかったかもしれないな」
「へえ、影魔術にも精通してるんだ。なおさらあの一歩を踏み込まなくて良かったね?」
影魔術が知られていることに微かに驚きの色を見せつつも、ツバキはウェルハルトに向けて獰猛な笑みを浮かべる。皮肉な話だが、リリスに詰め寄ったことによって男が纏っていた威圧感はすっかり薄れていた。ちょっと力んでいた俺たちも、このやり取りを経てすっかり本調子を取り戻してるしな。
まあ、ここにいる以上コイツだって院長である前に研究者だろうからな……。突然エルフを前になんかしたら、院長の立場なんて忘れてしまうのかもしれない。俺が思っていた以上にウェルハルトは人間らしいというか、欲望に忠実だった。
「……さて、これ以上話がそれる前に本題に行こうぜ。お前だってまたいつ好奇心が暴走してくるか分からねえだろ?」
そんなことを思いながら、俺は努めて軽い調子でそう提案する。締めに軽く肩目を瞑って見せると、ウェルハルトは重々しく頷いた。
「貴様の主張には正当性があるな。好奇心を無視するというのは辛い話だが、当方はこの研究院の長。その役割を、今一度思い出すとしよう」
そう言って目を伏せるとともに、ウェルハルトの瞳に宿っていた光が落ち着いたものへと戻る。その仕草はひどく嫌々なものではあったが、切り替えの早さは一級品だった。
「……さて、貴様らにこの研究院の門戸を開いた理由は他でもない。当方たちも研究テーマとして掲げていたダンジョン――『プナークの揺り籠』について、貴様らが新しい情報を提供してきたからだ」
「ええ、そうでしょうね。……でも、一冒険者の主張をよくあなたが検討してくれたわね?」
棘を多分に含んだ視線を突き刺しつつ、リリスはウェルハルトに問いかける。言い方はかなり厳しいものではあったが、その論点は確かに疑問が残るところだった。
研究院はプライドが高いってのはレインから聞いてるしな。その前提知識があるからこそ、今回の招待には驚かされたのだ。研究にかかる手間とか諸々を考えれば、一週間っていう期間すらも短すぎるくらいだろうしな。
その質問を受けて、ウェルハルトは少し驚いたように目を丸くする。そして、さっきよりも深々と首を縦に振った。
「うむ、当方たちの疑問にも一理ある。実際、当方も貴様ら冒険者の主張など意に介する気はなかった。――貴様らが送り付けてきたものが何であるかを知るまでは、な」
どこか苦々しげに、ウェルハルトはそう呟く。それは悔しさからなのか、単純に冒険者という存在へのヘイトから来るものなのか。兎にも角にも、あまりいい感情ばかりでないのは間違いなさそうだ。
「つまり、ボクたちが持って帰って来たアレは研究においてとても重要なものだった、と。……やっぱり、よく分からないものは専門家に頼ってみるに限るね」
ウェルハルトの反応を見つめて、ツバキは晴れやかな表情を浮かべる。その言葉を今投げかけるのは追いうちじみている気もするが、確かにツバキの言う通りだった。
研究者がここまでの表情を浮かべる物なんて、一介の冒険者たる俺たちが持ってても間違いなく持て余してただろうしな……。そういう意味でも、研究院に任せるというアイデアは最善のものだったと言えるだろう。
「……で、どんなことがそこから分かったんだ? アレを持ち込んだのは俺たちだし、その結論を聞く権利くらいはあると思うんだけどさ」
「正当な主張だな。……いかにも、当方が貴様らを呼び出したのもその結論を聞かせるのが一つの目的なのだが」
「へえ、それは殊勝な心掛けだね。それじゃあさっそく結論から教えてもらおうかな?」
君は回り道をする癖がありそうだしね、とツバキは笑みを浮かべる。柔らかいはずのその表情には、しかし異論を許さない強制力があった。
それを真正面から受けて、ウェルハルトは咳ばらいを数回する。そして、ただでさえぼさぼさの青い髪をぐしゃぐしゃと掻きまわすと――
「……貴様らが討伐したと主張するあの魔物は、間違いなくプナークであった可能性が高い。……ずっと追い求めて来た当方らではなく貴様らのような冒険者の前に現れるなど、認めたくない話ではあるのだがな」
非常に悔しそうに、ウェルハルトはその叡智ではじき出した結論を告げる。――それを以て、仮称プナークは俺の中で確定プナークへと格上げされたのだった。
ダンジョン開きでマルクたちが得た成果は、ちゃんと形になって彼等へと還元されます。あの激戦が彼らにどんな恩恵をもたらしたのか、次回もご期待いただければ幸いです!
――では、また次回お会いしましょう!




