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第八十九話『届けられたもの』

「……すまないね。これくらいしか出せるものもないけど、よければ」


 ゆっくりとテーブルにカップを置いて、備え付けられていたお茶を注ぐ。それをレインの方に向かって静かに差し出すと、レインはにこりと柔らかい笑みを浮かべた。


「いえ、突然出向いたのは私の方ですので。お茶の方、ありがたくいただきますね」


 丁寧な手つきでカップを受け取り、湯気が立ち上るそれをゆっくりと口に含む。……しばらくして、レインの表情が満足げに緩んだ。


「……うん、良いお味ですね。いい宿にはいい設備があると言いますが、その噂は本当だったようです。もちろん、それを引き出したツバキさんのお手前もお見事でした」


「喜んでくれたならよかった。それならボクも遠い昔の経験を引っ張り出した甲斐があるってものだよ」


 レインの賞賛を受けて、ツバキは誇らしげに胸を張る。『もてなしの準備はボクに任せてくれ』と言われた時はどうなる事かと思ったが、まさかこんなことまで経験があるとは思わなかったな……。


「……商談とか客人のもてなしにも護衛が付くことがあるってのは前にも話したことがあるでしょう? 相手の心証をよくするために、お茶出しとかの所作を一通り叩きこまれたことがあったのよ」


 その驚きがよほど表情に出ていたのか、リリスが俺の耳元に口を寄せてそんな風に説明する。そう言われれば、確かにあの手際の良さも納得できる話だった。……まあ、そのきっかけを思うとリリスたちをあれやこれやとこき使っていた過去の主の心証はさらに悪くなるばかりなのだが。


「しっかし、本当に何でもやれなきゃいけなかったんだな……リリスもこんなふうにできるのか?」


 こういうのって勝手に丁寧な管理とか細かな作業が必要となるイメージがあるのだが、ツバキは本当に何でもない事のようにやってのけてるしな。俺が思うより、慣れてしまえばお茶を注ぐのは難しい事じゃないのかもしれない――


「……あ」


――俺の脳裏によぎったそんな考えは、俺が右を向いた瞬間に瓦解する。さっきまでこちらに体を寄せていたリリスが、気まずそうに思いっきりそっぽを向いていた。


「……器用なことはツバキの担当って、魔術とか戦闘以外にも適用される話だったのな」


「そうね……。できるなら、この話はこれ以上追求しないでおいてくれると私としても助かるわ」


 俺の呟きに、リリスは普段より数段低いトーンでそう答える。ここまでリリスが恥ずかしがってるのも久々……というか、遺跡を抜けた後のやり取りを見られていた時以来のような気がした。


 その表情は見えないが、うなじが真っ赤になっているのもあって誤魔化しきれていないのが悲しいところだ。珍しいその姿に免じて、これ以上この話題を掘り返すのはやめておいた。


「……レイン、ギルドの方は大丈夫なのか? 今の時間ってそこそこ冒険者が足を運ぶ時間だと思うんだけど」


 お茶を飲み終わったレインに視線をやりつつ、俺は世間話がてらそう問いかける。まさかなんもなしに仕事をほっぽり出すような人じゃないだろうけど、その事情をいきなり掘り返すのもコミュニケーションとしては間違ってるような気がするしな。


「ええ、私が不在のうちにやらなければならないことはリストアップして後輩に引き継ぎましたので。後進の育成もしなければですし、たまにはこういうのも悪くはありませんね」


 心地よさそうに伸びをしつつ、レインはそんな風に答える。そこから察するに、やはり思い付きで俺たちのところを訪れたのではなさそうだった。


「そうまでした時間を使ってボクたちの下に訪れたということは、よっぽど大事な連絡事項があるんだろうね。……念のため確認しておくけど、尾行とかはされていないかい?」


「ええ、最大限注意は払いましたとも。この宿の受付に入るまではちゃんと変装もしてたんですよ?」


 ツバキの質問に大きく頷くと、レインはそばに置いた鞄をガサゴソと漁る。しばらくした後にその手に握られていたのは、髪の毛がすっぽり隠れるような大きな帽子と白色のスカーフだった。


 二つとも装備すると目元しか見えなくなってしまいそうなその装備は、ぱっと見だけでその正体を判別させることを許さない。怪しまれても『ファッションだ』と言い張れてしまいそうなのも含めて、これ以上なく十分な変装道具と言ってなんら問題はないだろう。


「確かに、ここまですればレインだってバレることはなさそうね。……変装、面倒だったかしら?」


 その力の入れっぷりに感嘆しつつ、リリスは申し訳なさそうな口調で質問を重ねる。変装という手の込んだことをしてもらったのには、俺たち側のやむにやまれぬ事情があった。


 俺たちの滞在している宿を知っているのは、この街だと俺たちのほかにレインしかいない。というのも、休暇の間完全にギルドとの関係を遮断してしまうと休暇中に入ってくる情報の量が著しく減少してしまうという問題があったからだった。王都の情報に敏感でかつ間違いなく信頼できる存在を考えた時に、レインに真っ先に白羽の矢が立ったというわけだ。


 だが、俺たちを探ろうとしている勢力が少なからずこの街にいるのも事実。だからこそ、レインが尾行されてそこから宿を突き止められてしまう可能性が否定できなかった。そんな中、俺たちが取った妥協案こそが変装の要請だったのだが――


「いえ、これもなんだか特別な気がして楽しかったですよ? 私のような立ち位置の人間は顔を覚えてもらって信用してもらうのが大事なお仕事ですから、こうやって顔を隠すのは新鮮でしたし」


 手にした帽子をかぶりながら、レインは楽しそうな笑みを浮かべている。その姿を見れば、俺たちに向けられた言葉がお世辞とか社交辞令の類じゃないことは明らかだった。


「そっか。……それなら、俺たちも色々と考えた甲斐があったよ」


「どうやって休暇中のアンテナを張り巡らせるか、いろいろ検討したものね。それをレインも楽しみながら受け止めてくれたなら何よりだ」


 レインから好意的なリアクションが返ってきたことに、俺たちはほっと胸をなでおろす。なんせ無茶ぶりしたのは俺たちだから、抗議の一つや二つされたっておかしくない立場だしな。レインの懐の深さには、一生頭が上がらないんじゃないだろうか。


「それに、ちゃんとお仕事は果たさないといけませんしね。……あなたたちへのメッセージだということを差し引いても、今から皆様にお伝えする情報は重要度が高いものですので」


 それを漏らさないのは職員たる私の責任です――と。


 安堵する俺たちを見つめながら、レインはそう付け加える。その声色に混じった真剣味が、話が本題へと移り変わっていることを暗示していた。


「……やっぱりそうよね。わざわざ昼間に訪ねてきたくらいだし、よほど急を要する事情のように思えるんだけど」


「ええ、その認識で間違いありません。なんせあちら側はあらかじめ時間を指定してきていますので」


 そそくさと鞄から一枚の紙きれを取り出しながら、レインは言葉を続ける。個室で一枚の書類を取り出されるとあの反省室での一幕が頭をよぎるが、今回差し出されるのはあの時の比にならないくらい重要度が高いものなのだろう。言葉にされなくても、レインのどこか硬い動きからそれを察することが出来てしまって――


「……研究院の面々が、あなたたちとの面会を求めています。……曰く、『お前たちがプナークと称した魔物の素材について話しておかなければならぬことがある』と」


 テーブルの上に差し出された一枚の書類を、俺たちは顔を寄せ合って一斉にのぞき込む。……その右上に押された印は、今までに見たことがないくらいに細やかな文様をしていた。

ということで、次回から第三章が開幕となります! タイトルはまだ未定ですが、マルクたちを待ち受ける新しい展開にご期待いただければ幸いです! もしよろしければブックマーク登録や高評価、第二章までの感想などもいただけれるととても喜びます!

――では、また次回お会いしましょう!

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