第八話『大獄に潜む策略』
「……結構進んで来たな。リリス、もう一回気配を探れるか?」
「ええ、任せてちょうだい。……大丈夫、今のところ魔物も近くにはいないわ」
軽く目を瞑って数秒、リリスは魔力の気配だけで周囲の情報を把握して見せる。『タルタロスの大獄』に足を踏み入れてしばらく、この力はその本領をいかんなく発揮していた。
俺の想像通り、リリスは一つの部屋を訪れるたびに光の傷跡をその床に残している。だんだん効率のいい使い方にも慣れて来たのか、今となっては軽く腕を一振りするだけでマーキングが完了する始末だった。
「なんていうか、思ったより平穏なんだな……マジでヤバいっていう噂があるくらいだから、到着してからすぐ魔物たちが襲撃してくると思ってたんだけど」
「それがあるとしたらこの下の階からなんでしょうね。どれだけ探ろうとしても、気持ち悪いくらいにこの床の下の気配を探ることはできていないし」
「……おいおい、それは急に穏やかじゃなくなったぞ?」
軽く部屋を探索しながら、リリスはさらっと背筋も凍るような事実を披露する。できればそういうことは早めに言ってほしかったが、まあ降りる前に気づけたから良しとしよう。
リリスの魔力感知は相当優秀で、そこにある魔力が何に由来するかまでもを正確に把握できるようだ。有効範囲だけでなくその精度も飛び抜けているリリスが感知できないという時点で、そこにはろくでもないイベントが待ち受けていることが確定したようなものだ。
「……まあ、ヤバいも何もその地下に降りる階段が見つからない以上は確かめることもできないわけだけどな……」
「二人で一緒に行動しようってなるとどうしてもね。寄せ集めだったとはいえ人数だけはたくさんいたから、あの商会なら力押しでこの階層を突破することは簡単だったと思うわ」
この部屋にも特段変わったものがない事を確認して、俺は小さくため息を吐く。初っ端からいきなり魔物パラダイスという訳じゃないのは俺たちからしても幸いな事だったが、魔物もいなければ何の手掛かりも、あるいは金になるものもないというのは正直かなり来るものがあった。
リリスのマーキングがあるからいいけど、何の対策もなしに闇雲に歩き回ってたらいつの間にか大変なことになってそうだな……少ないとはいえどこの階層を徘徊している魔物もいるらしいし、当てもなく歩き回ってる間にそいつに見つかろうものなら大変なことだ。俺が今生ぬるいと思えているのは、ひとえにリリスが並外れているからに他ならない。
「……さて、ここの部屋ももういる意味はないわね。次はどこに向かう?」
この部屋でやることもすべて終わり、リリスが俺に次の指示を仰いでくる。と言っても俺に何かが分かるわけでもないし、誰が決めても変わらないところはあるんだけどな。それでも、聞かれたなら仲間としてしっかり答えなきゃいけないだろう。
「――そうだな。ここまで相当左によって動いてきたし、ここいらで一回右に動いてみるか?」
ちょっと考え込んだ後、俺は今まで向かってきた方向とは逆のところにある通路を指さす。ここまで流れるように進んで来たし、たまには気分転換も大事だろうからな。どうせゴールへのヒントがあるわけでもなし、それで当たりの部屋を引けたなら儲けものだ。
「分かった。そっちも魔物の気配はしないし、多分安全に探索できると思うわ」
「それだけで安心感が違うな……ほんとお前には頭が上がらねえよ」
リリスの安全保障に全幅の信頼を寄せつつ、俺たちは一列になって指示した通路へと歩を進めていく。部屋と部屋を繋ぐ簡素な通路は結構な幅がとられているが、光源がないせいで外から見る分には結構な威圧感があった。
「……だけど、それもリリスの魔術で全部解決と」
「こういう活躍の仕方もあるから光魔術は馬鹿にできないのよね。かなり重要度は高い魔術だと思うわ」
照らされてもなお出口の先は見えない不思議な通路に足を踏み入れながら、俺たちはのんきにやり取りを続ける。仮に今危機にさらされても簡単に全滅することはないという不思議な確信が、俺の中には確かに存在していた。
リリスの戦闘力が圧倒的なのは言わずもがな、戦わずに切り抜ける手段もリリスのおかげで確保できている。正直なところ俺がただの同伴者になってしまっているのだが、そこはリリスを治したという功績だけでチャラにしてほしいものだ。
「……ま、ここいらでもう一個くらい功績を残しておきたいところだったけど――」
「そんなうまい話はない、ってことね。通路が伸びていた方向的に、多分ここは……」
さっきまで見ていた石室と何ら変わらない作りの部屋にたどり着き、俺は肩をがくりと落とす。直感に自信がある方じゃないにせよ、そろそろ何か手掛かりの一つでもあっていいだろうに……。
そんな風に思う俺の横で、リリスはもう一度魔力感知をやり直している。暗闇の中じゃ方向感覚も狂うし、自分たちがどれだけのルートをめぐって来たのかという確認のためにも移動の旅にそのワンクッションは欠かせないものになっていたのだが――
「……あら?」
「リリス、どうかしたのか?」
いつもだったらすぐに確認が終わるはずのその作業で、リリスは納得がいかないと言いたげに首をかしげる。そのまましばらく考え込んでいるようだったが、仮説がまとまらなかったのかその視線は俺の方へと向けられてきた。
「……私たち、さっきいた部屋から右に向かうようにして歩いて行ったわよね?」
「ああ、そうだな。いくら方向音痴だとは言え、そこは間違いねえ」
「……そうよね。……そうだから、よけいややこしいのだけど」
リリスの確認に、俺は大きく頷く。それが何かのヒントになってくれれば良かったのだが、俺の答えは返ってリリスに疑問を残してしまっているようだった。
「リリス、なんか変な事でもあったか? 俺は魔力の気配なんか読み取れねえから、ここが普通の部屋に見えるんだけど」
「いや、部屋自体は普通よ。今まで何度も何度も見て来た、代り映えしない部屋そのもの。……だけど、問題なのはその位置なの」
「位置……?」
「ええ。念のため全部の部屋にマーキングしておいたのがこんな形で役に立つなんて、私からしても少し予想外だったわ」
俺には何が何だかという感じだが、リリスには何か異様な状況が見えているらしい。問題なのは、リリスの表情的にそれがお世辞にもいい事ということではなさそうな事だった。
「……大体予想もついたし、そろそろ現状を説明させてもらうわ。今あたしたちはさっきいた部屋の右にある通路から抜けて、この部屋にたどり着いた。そこまでは良いでしょう?」
「ああ、そうだな。分かんないのはその後だ」
リリスが何に気づいているのか、そして俺は何に気づけていないのか。その疑問に答えるべく、リリスはゆっくりと石室の壁を指さした。
「私たちは右に向かったはずだから、刻んでおいたマーキングは左の方に感じられるのが正しい筈なのよ。……だけど、今その気配はあの壁の向こうから感じられてる。平面地図で言うなら、あたしたちの真下にね」
「下に……? それ、おかしくないか?」
「ええ、おかしいわよ。だからこそ、少し考えていたの。あたし達があの通路を移動する間、一体何が起きていたのか」
なるほど、それで黙っていたというわけだ。今までつけてきた道しるべが急に明後日の方向から反応を示してくるともなれば、そりゃあ警戒するなっていう方が無理な話だった。
「あたしの知る限り、考えられる可能性は三つ。空間がねじれているのか、あたしたちが付けた魔力反応自体がこのダンジョンに逆利用されているのか。……あるいは、廊下を移動中にいつの間にか転移させられたかのどれかだと思うわ」
「……そのどれでも、物騒な事には変わりねえな」
リリスの提示した可能性に、俺は背筋が寒くなる。そんなギミックが仕掛けられているのだとしたら、ここまでのいろんな疑問にも説明がついてしまうのだ。
仮に空間がねじれていたり俺たちが強制的に転移させられていたんだとしても、全く変わり映えのしない石室のせいでそれに気が付くのは難しいだろう。事実、リリスが魔力感知をしなければその違和感に俺たちが気づくことはなかったわけだし。最悪の場合、何をされているのか気が付けないまま延々と迷宮をさまよい続けることになる可能性すらあった。マッピングという地道な作業をすら、おそらくこの場所は否定しにかかっている。
「……多分、魔力反応は信用していいと思う。あんな形で地図を取ろうとするやつ、中々想定するのは難しいだろうしな。だからさリリス、もう一回俺たちが出て来た通路に向かってみないか?」
ただしかし、それに気が付けたことが俺たちにとっての幸運だ。隠したい事実の先には、大体次へと繋がるものがあるというのがお決まりってやつだからな。転移にせよねじれにせよ、仕掛けがある通路には何かがあるとみて間違いはないだろう。
「……それは、冒険者の勘ってやつ?」
「ま、そうとも言えるな。どうせここで立ち止まっても状況が進まねえし、乗るだけ乗ってみねえか?」
「……ええ、そうかもしれないわね。貴方の決断がこの変化を生んでいるんだし、もう一度賭けてみるのも悪くないわ」
片目を瞑りながらの提案に、リリスはふっと笑って同意してくれる。これがどんな結果を招くのかは分からないが、間違いなく何かが動き出しているのは確かだ。……できるなら、いい方向に繋がっていてくれ。
リリスが即席で光の痕跡を残したのを確認して、俺は五分前に入って来た通路を見やる。出口が見えないその暗さは、今となっては違う意味に思えて来ていた。
「……先が見えなければ、転移してることなんて分かりようがないもんな……」
「光魔術で照らしてても分からなかったし、出口の向こうが代わりでもしない限りは自覚できないでしょうね。ほんと、どこまでも意地の悪い迷宮だわ」
誰が作ったのかもわからないのに、作り手の悪意だけは的確にこちらに伝わってくる。そんな意匠に顔をしかめながら、俺たちは暗がりを踏みしめていった。
俺の提案ということもあって、今回ばかりは俺が先頭だ。後ろも決して安全ってわけじゃなかったし、どっちにしたって俺が足手まといになるリスクがあるのは変わらないからな。
そのまましばらく歩くと、通路の終わりが堂々と俺たちを出迎える。果たしてその先に待つのは見たことある景色なのか、それとも――
期待半分警戒半分で次の部屋へと踏み込んだ俺は、その先に広がっていた景色に思わず立ち止まる。それがあまりにも急だったものだから、リリスが俺の背中にこつんとぶつかってしまった。
「ちょっと、いきなり止まらないでよ。……それとも、何か見つけたの?」
「……ああ。喜べリリス、俺の予想は正しかった。……それと、ごめん」
「喜べばいいのか何なのかよくわからないわね。貴方の予想が正しいなら、胸を張って自分の功績を主張するくらいやってもいいでしょうに――」
煮え切らない俺の返答に、リリスは戸惑ったような声を上げる。しかし、戸惑ってしまうのも仕方ないのだ。ここまで何の成果もなかったところに、なだれ込むように変化ばかりが起きているんだから。
それはリリスも同じ感想だったようで、俺の横に立ったその姿勢のまま立ち尽くしている。首だけを俺の方に向けたその表情は、どことなくこわばっているようにも見えた。
「……貴方の言う通り、大当たりだったわね。……良くも悪くも、だけど」
「だろ? 冒険者の勘ってのは、こういう時によく当たるんだよ」
――俺たちのたどり着いた部屋の中心には、地下へと続く大きな階段がある。ずっと探し求めて来たそれに到達できたのは、出来る限り先を急ぎたい俺たちにとっては朗報以外の何物でもなかった。
だが、その少し手前を見ればどうだ。まるでその階段を守るかのように、五メートルはあろうかという二足歩行の化け物が大きな足音を立てながら右往左往している。今は背中を向けた状態ではあったが、この距離じゃ不意打ちも通用しないだろう。
「……さあ、どうすっかな……」
その巨躯にビビりそうになる心をどうにか支えながら、俺は小さく呟く。――目的地へとたどり着くには、おっかない門番をどうにかする必要がありそうだった。
次回、眼前の強敵に対して二人はどう太刀打ちしていくのか! おそらく初めてとなるリリスの真っ向勝負、楽しみにしていただけると幸いです!
――では、また次回お会いしましょう!