第八十六話『これからの歩み方』
「……とりあえず、これで一歩前進って考えていいのかしら?」
フォークをゆっくりとケーキに差し込みながら、リリスはのんびりとした口調でそう問いかける。ずいぶんと小さく切り分けられたケーキの欠片を口元に運ぶと、リリスの表情がふっと緩んだ。
「ああ、まだまだ油断はできねえけどな。あそこまで踏み込めば、流石に研究院の連中も無視できないとは思うけどさ」
リリスに倣ってケーキを口に運びつつ、俺はその問いに答える。ケーキは小さな欠片になってもはっきりと甘くて、ずっと気になっていたというのも納得できる出来の良さだった。
「行き詰っていくしかないはずの研究に、いきなり有用かもしれないタレコミが来てるんだものね……そこに明らかにおかしな物質までついてくれば、研究者の本能がその事案を放っておくことはできないでしょ」
商人が儲け話を無視できないのと一緒でね、とツバキは冷静に続ける。街角のカフェで紅茶をすするその姿は、なんだかとっても絵になる光景だった。
レインにプナークのものと思しき素材の一式を預けた俺たちは、リリスがこぼしていたカフェの中で打ち上げ真っ最中というわけだ。あそこまでついてきてくれた冒険者たちが、『打ち上げってなら邪魔するわけにはいかねえな』と揃って拠点に戻ってくれていたのがありがたかった。
「街中なら襲撃される可能性もないし、何かあったら彼らを頼ればいいし。……ようやく、完全に肩の力を抜けるね」
「そうだな。……こういう時間が、もう少しと言わず続いてくれればいいんだが」
あまりだらだらとしているべきじゃないのは分かっているのだが、それにしたってちょっと今日はいろんなことがありすぎた。二日……いや、三日は冒険なんて出ずにだらだらと過ごしていたいし、そうするべきだというのが素直なところだった。
「お前たちの体のメンテナンスもしなくちゃいけないからな……しっかり休めないと魔術神経はどんどんと脆くなっていくし」
「ま、それでも躊躇なんてしていられない状況だったしね。頑張った分だけ、私は貴方にいろんなスイーツ店をめぐることを要求するわ」
ケーキをハイペースで口に運びながら、リリスはちゃっかりとそう要求する。お目当てのスイーツを食べながら次のスイーツの話とは、まったく欲張りというかなんというか。……だけど、それくらい素直でいてくれていいと思った。
「ああ、お前の気が済むまで一緒に回ろう。俺もしばらく、『プナークの揺り籠』のことは考えないことにしとくよ」
俺たちがいくら考えたところで、研究院の分析よりも精度が高くなるわけじゃないしな。それならいっそ三人でとことんだらけた方が有意義だし、二人のためにもなるだろう。
「それがいいね。もし君が一人でいろんなことを処理しようとしていたら躊躇なくボクは君を叱っていただろうからさ」
「だよな。大丈夫、一人で負担を背負うことはもうしねえよ」
ツバキの指摘に頭を掻きつつ、俺はしっかりとそう宣言する。二人のためを思ったその行動が結果的に二人を傷つけているのだということに、俺はやっと気が付くことが出来たからな。
俺一人で手が届く範囲なんてたかが知れてるし、それなら三人で手を繋いで動いた方がいろんなものを取りこぼさずに拾いきれるのは当然のことだ。……なにより、二人は俺が助けを求めるのを歓迎してくれるだろうし。
「俺たちは三人で一つの運命共同体だもんな。どれだけ厳しい道のりにあっても、俺たちがたどり着くゴールは皆一緒だ」
「そうよ。一人だけ先走るとか、それがツバキでも私は許さないから」
食事の手を止めることなく、しかし真剣な口調でリリスは俺たちに言い放つ。その言葉を聞いた瞬間、フラッシュバックしてきたのは俺が意識を取り戻す寸前に聞こえた声だった。
あんな涙声、初めて聞いたもんな……。もうあんな風に泣かせたくないし、もし他の誰かがそうさせたなら俺はそいつらを全力で潰しにかかるだろう。リリスとツバキを傷つける奴らは、それが誰であろうと俺の敵だ。
「ふふ、リリスがそういうってことはよっぽど本気だね。安心してくれ、ボクの歩く道は常にキミとマルクの傍にあるとも」
「だな。この先の道は多分険しすぎて、俺一人じゃすぐに歩けなくなっちゃいそうだしさ」
背中を押してくれる人たちがいたとしても、俺たちの進む道はまだまだ険しくなるばかりだろう。『双頭の獅子』を超えるというのはそういうことで、一度きりの勝利だけで証明できるようなものではないのだ。
「俺たちは、ここからも勝ち続けていかなくちゃいけない。クラウスとは違うやり方で、俺たちのできる精一杯で、俺たちの価値を見せ続けていかなきゃな」
「そこに敗北は不要、だものね。分かってるわよ、油断なんてするつもりはないから」
口直しの水が入ったコップをテーブルに置きつつ、リリスは鋭い眼光を宿す。コトンという軽い音とは裏腹に、その言葉は確かな気迫を纏っているような気がした。
「リリスが本気でやるんだとしたら、それこそクラウスぐらいでないと並び立てる者はいないだろうしね。両手がふさがった状態であんな感じだし、多分彼でさえも止められないとは思うけど」
「だからと言って油断は禁物、ってな。話を聞く限りだと、どっちの勝利にも転びうるような決着だったっぽいし」
一度勝った相手なら次も勝てる、なんてのは希望的観測でしかないしな。金と強さに対する執着なら、クラウスはきっと度の冒険者よりも強いのだ。一度やられたくらいで、その心根が砕けてくれるとは思えなかった。
「……あ、だからと言って息抜きをしちゃいけないって話じゃないのは分かっててくれよ? 油断と息抜きってのはまた別問題だし、お前たちが幸せにならなきゃクラウスは越えられないんだからな」
ぶんぶんと手を横に振りながら、俺はとっさにそう弁明する。気合を入れ直すのは良いが、ちょっと表現を間違えたかもしれない。常に戦いのことを考えてなくちゃいけないなんて、そんな生活を強いるつもりは毛頭なかった。
二人には今までの分だけ普通の生活を過ごしてほしいし、そこに幸せを見出してくれたらいいなあと思う。その姿が、きっと誰かを突き動かしてくれるだろうからな。
そんな俺の姿を、二人はどこかあっけにとられたような表情で見つめている。……こらえきれないといったような感じで二人が同時に噴き出したのは、しばらくしてからの事だった。
「大丈夫、分かってるわよ。貴方はそんなに厳しく私たちを縛れる人じゃないわ」
「ボクからするとびっくりするくらいキミは優しすぎるからね。君のメッセージはちゃんと正しく伝わっているとも」
リリスは口元に手を当てながら、ツバキは優しい微笑を浮かべながら。ちゃんと俺の意図をくみ取ってくれていた二人が、俺にそう声をかけてくれる。……つくづく、俺は良い仲間に恵まれたらしい。
「……ありがとうな。そういうことだから、適度に息抜きしながら締めるところは締めてやってこう」
「うん、それがいいね。……ところで、二人にずっと相談しようとしてたことがあるんだけどさ」
声を潜めて、俺たち二人だけに聞こえるようにツバキは問いかける。その真剣な面持ちに、思わず俺も背筋を伸ばした。
「……いいぞ。せっかくだし、ちゃんと息抜きできるようにそういうのは共有しとこう」
「うん、ありがとうね。と言っても、そんなに急いで答えを出さなきゃいけないものでもないんだけど――」
もったい付けるようにツバキはそこで言葉を切り、俺たちとそれぞれ目を合わせる。その黒い瞳は、どこか楽しげにゆらゆらと揺れているような気がして――
「……ボク達にもさ、パーティ名が欲しくないかい? 『双頭の獅子』を越えて王都の頂点に立とうとするものとしては、これは避けては通れない道だと思うんだけど」
――両手を合わせながら投げかけられたその問いに、いつの間にかこわばっていた肩がすとんと元の位置に戻った。
次回、気の利いた名前は果たして出てくるのか! 随分久しぶりなほのぼの会、楽しんでいただければ幸いです! 元日も投稿いたしますのでどうぞよろしくお願いいたします!
――では、また次回お会いしましょう!




