第七話『いざ大獄へ』
「ここが……」
「ああ。俺も何回か下見に来たことはあるけど、挑むつもりでここに来るのは初めてだな」
俺たちの目の前に、先の見えない大きな階段が鎮座している。地下に続いているのだけがかろうじてわかるようなそれこそが、俺たちの目的地である『タルタロスの大獄』へ続く唯一の入り口だった。
リリスも話には聞いていたようだが、実際に向かうのはこれが初めてなのだろう。幅二十メートルはあろうかという巨大な階段を見つめ、リリスは驚いたように立ち尽くしていた。
「……こんなものが自然に生まれたっていうんだから、驚くしかないわよね」
「そうだな。……ま、その謎が解かれることは永遠にないような気もするけど」
古めかしい石造りの階段を見つめながら、俺は軽くため息をついて見せる。この場所が何故できたかなんて、この世界の学者が全てその問題に取り組んだって答えが出ないようなことだ。
『タルタロスの大獄』をはじめとして、この世界には『ダンジョン』と総称される謎の遺跡があちこちに点在している。町おこしや冒険者の教育に使えるくらいには安全が確保できているものから、国が管理しなければならないほどに危険なところまでその難易度は様々だが、『なぜ、どのようにできたかに関しては謎だらけである』というところはすべてに共通していえることだった。
そして、何回も言うが『タルタロスの大獄』はその中でも一番ヤバいレベルのダンジョンに当たる。地下広くに重層的な感じで広がっているということだけは分かっているが、その終点がどこにあるかを確かめられた者はいない。もしそれが出来たのなら、そいつは一生を英雄として過ごすことができるだろう。
「……まあ、誰も彼も英雄に成れずに死ぬのがお約束なんだけどな……」
真っ暗で何も見えない階段の先を思い、俺はもう一度ため息。このダンジョンに踏み込むということがどういうことなのか、実際に目の前に立つことで再確認できたような気がした。
「あら、別に英雄に成る必要なんてないわよ。私はあくまで私の友達を助けられたらそれで十分だわ」
「そうだな。その考え方でいてくれるとありがたいよ」
俺の呟きを聞きつけたリリスが、すまし顔のままそう言ってのける。あくまで平常運転といった感じだが、その変わらなさが俺にはありがたかった。
このダンジョンで、欲を掻くことはそのまま死へと直結する。自分がやるべきことは何か、そしてそのために何ができるのか。それを見失うことは、命綱のありかを見失うことに等しい。無事に生きてこの場所を出るためにも、その戒めは常に持っていなくてはいけないものだった。
「さて、ここでちんたらしてても始まらねえ。準備は良いよな、リリス?」
「当然よ。……やっと、ここにたどり着けたんだから」
隣に立つ仲間の顔を見やると、その眼はいつもより鋭くなっている。決意に満ちた目でリリスは会談への一歩目を踏み出すと、それと同時に軽く指を鳴らした。
「こんな暗さじゃ不便極まりないもの。ほら、貴方の近くにも付けてあげる」
リリスが生み出したのは、握りこぶしくらいの光の球体だ。俺とリリスの周りに一つずつふよふよと浮きながらついてくるそれは、俺たちの行くべき道を照らしてくれるありがたい存在だった。
「氷に風と来て、今度は光の魔術かよ……リリス、お前もしかして万能だな?」
「エルフだもの、基本的な属性の魔術は大体全部習得してるわよ。マルクみたいな修復術は、そもそも存在すら知らなかったけど」
ゆっくりと階段を降りながら俺が質問すると、リリスは当然だと言わんばかりに肩を竦める。俺の想像していた以上に、エルフという種族は魔術に明るいらしい。
ちなみにだが、王都に拠点を構える冒険者の中でもすべての基本属性を扱える魔術師はかなり稀だ。そのこともあって、パーティには大体四人くらいの魔術師を抱えておくのが定石って言われてるくらいだからな。それぞれに得意分野があって、必要とされているところに出撃していくような感じだ。分業制だから当然負担は少ないのだが、そうするからこその連係ミスなんかも当然あり得てしまう話だった。
それを一人で全部賄えるっていうんだから、リリスという存在がどれだけ心強い戦力かは言わずもがなだろう。しっかりと目の前が照らされている安心感とも相まって、ダンジョンに足を踏み入れる前の得体のしれない恐怖感は徐々に消えつつあった。
「……そういえば、魔物の気配はどうだ? ダンジョンの中ってこともあるし、あんまり正確には感じ取れないかもしれないけど――」
「そうね、空気中の魔力が濃いせいで微弱な魔力は紛れたりしてしまうかもしれないわ。……まあ、その辺りはこの階段が終わってからはっきりする事ね」
コツコツと足音を響かせながら、平然とした様子でリリスは俺の先を歩いている。体感的にはかなり下っているのだが、まだまだまっすぐな床は見えてこなさそうだった。
そういえば、商会が所有しているであろう馬車はどうやってこの迷宮に運び込んだろうな……。護衛たちの魔術を使えば浮かせて運び入れることもできるのかもしれないが、それにしたって大変なのは帰り際の方だ。ここで獲れる素材をたくさん持って帰るつもりなら、否応なくその重量は増加するだろうからな。
「そのあたりを思うと、リリスたちが居た商会が相当頭悪く見えてきちまうんだけどさ……」
「あながち間違ってもないわよ、運だけで世の中を渡っているようなボンボンの創った商会だもの。……まあ、運がある人にとってはそれが天職かもしれないけど」
素朴な疑問からふとこぼれた俺の感想を肯定するリリスの口調はひどく辛辣で、護衛としての生活がいかにろくでもなかったかがよく分かるものだった。それでも『運がいい』と言わせているあたり、まあ信じられないような幸運がどこかにあったのかもしれないな。ここに踏み込んだのを最後にその命運が途切れていないことを祈るばかりだ。
そんなことを考えていると、階段がようやく終わりを告げる。ずいぶんと地下深くに潜ってきたような気がするが、どうやらここからがこのダンジョンの本番の様だった。
「……何つーか、方向音痴には厳しい作りをしてそうだな……」
「なんといっても『大獄』だもの、侵入してきたものを逃すつもりはないってことでしょ。まあ、それなら『迷宮』の方がしっくりくるのは事実だけれどね」
最初に足を踏み入れたその部屋を見回して、俺は思わずため息を吐く。ただでさえ特徴がないその石室からは、五方向に向かって通路が延ばされていた。その先に行けば特徴が生まれてくるのかもしれないが、そうでないならリリスの言う通りここは迷宮と言っていいだろう。方向感覚に自信がない俺としては、その作りを見ただけでげんなりするには十分だ。
「分かっちゃいたけど、ダンジョンの作り自体も厄介なんだな。こんなことならもっと詳細に話を聞いとけばよかった」
「ダンジョンに挑むのなら情報は欠かせないものね。私も奴隷って身分だったし、ここまで詳細に調べられなかったのははっきり言って失態だったわ」
ひたすらにヤバいという噂を聞いてはいたが、どうヤバいかまでは踏み込めていなかったことがまさかこんなところで響くとはな……。ここに生息する魔物たちがヤバいだけだったならまだしも、その作りまでもが冒険者をハメようとしているとなると話は大きく変わってきてしまうというものだ。。
ともすれば友人と会わずして詰みかねないような状況にも思えたが、隣に立つリリスの表情は穏やかそのものだ。ミスであることを受け入れこそしてはいるが、それを後悔しているような感じは一切見えなかった。
「……リリス、何か手段を思いついてるのか?」
「……まあ、一応はね。いろいろなリスクがあるせいで、迷宮で延々と迷うよりはマシってくらいの選択肢だけど」
こくりと頷くリリスの体の周りから、何か濃密な魔力が漂っているような感覚を覚える。普段は魔術にそこまで敏感じゃない俺でも、リリスが魔術を使って何かしようとしているのははっきりと分かった。
「生憎だけど、俺からは『とりあえず歩いてみる』以外の選択肢が出せねえ。このダンジョンに来た以上、リスクなんて笑って受け入れてやるくらいでちょうどいいのかもしれないな」
「分かったわ。……それじゃあ、念のため壁際まで下がっててちょうだい」
俺が背中を押してやると、リリスは真剣な口調で俺に向かって忠告する。その言葉通り俺が壁に体を張り付けたのを見届けて、リリスは体をほぐすかのように軽く飛び跳ね始めた。
傍から見ればなんてことはない準備運動だが、それに従ってとんでもない濃さの魔力が生まれてきているのが分かる。普段はそこにある事すらもはっきりとしない魔力たちが、質量を持って俺にじりじりとプレッシャーをかけているようだった。
「……光よ」
その出来事に俺が思わず言葉を失っていると、リリスは小さく呟くと同時に大きめに跳躍する。地面に向けられて構えられたその指先には、直視すれば目がくらんでしまうくらいの強烈な光が集まっていた。そこいらの魔術師が見たらひっくり返りそうなその光景の中で、リリスは一瞬静止して――
「今ここに轍を刻め‼」
その詠唱が完了した瞬間、リリスは両腕をクロスするような軌道で振り下ろす。それに従って、指先に凝縮されていた光が石造りの床に大きな十字の痕跡を残していた。ダンジョンの床や壁はかなり強固にできているのが常なのだが、リリスの魔術はどうやらそれを突破して見せたようだ。小細工なしの、力押しで。
「……リリス、今のは……?」
リリスがとんでもない事をしたというのは見ての通りなのだが、その意図は未だに見えてこない。恐る恐る中心へと戻りながらリリスへとそう問いかけると、リリスは得意げな表情を浮かべた。
「これだけの魔力を使ってマーキングすれば、別の部屋からでも魔力の気配を使って大体の位置を割り出すことができるわ。新しい部屋に来るたびにこうしておけば一度行った部屋だって一目見て分かるし、一石二鳥でしょう?」
「……」
予想以上に自信満々なその作戦に、俺は思わず言葉を失う。もう一度言うが、ダンジョンの壁や床というのはすごく頑丈なのだ。魔物と冒険者がどれだけ派手にやりあっても崩壊することはないその建築技術は、現代の技術では再現不可能と言ってもいいだろう。
リリスは今それに傷をつけ、マーキングだと言い切って見せた。その口ぶりからするに、多分新しい部屋を訪れるたびにその行動を繰り返すつもりだろう。つまり、リリスはあの規模の魔術を結構な頻度で連打することができるわけで――
「……マルク? どうしたの、そんなところで立ち止まって」
「……何たる、力押し……」
不思議そうなリリスの問いかけに、俺はかろうじてそう返す。リリス自体はその作戦を微塵も疑っていないところが、俺の推測をさらに裏付けてくれているようだった。
――このリリスという少女、理知的な立ち振る舞いとは真逆に結構脳筋なんじゃないだろうか。
意外な疑惑が浮上しつつも、二人の探索は続いていきます! 果たして二人は迷わずに進んでいくことができるのか、そして本当にリリスは脳筋なのか! 楽しみにしていただけると幸いです!
――では、また次回お会いしましょう!