第七十話『出たとこ勝負』
「……さて、どうしたもんかしらね」
プナークの一挙手一投足に対する注意は怠らないようにしつつ、リリスはここからの戦闘プランを組み立て始める。相手の手の内が読み切れない以上、クラウス戦よりも慎重な立ち回りを要求されるのがもどかしい部分ではあったが、そんな状況も経験がないわけではなかった。
「……両手がふさがってない分、こっちの方が自由度は高いからね」
魔術を行使するうえで両手がふさがっているというのがどれほど面倒なことか、リリスは先刻の戦いで痛感していた。それもそのはず、何かを抱えながら戦うなんてのは護衛としての立場では絶対にありえない事だったのだから。いろんな戦闘を経験してきたが、どうやらこの世界にはまだまだ想定しきれない戦闘のシチュエーションが存在しているらしい。
「……ま、それにも対応しきって見せるだけなんだけど」
ふっと口元に微笑を浮かべて、リリスは氷の剣を低めに構える。……そろそろ、睨みあっているだけのこの状況にも飽きが来ていた。
時間を稼ぐだけならこうやって睨みあい続けるのもやぶさかではないが、今回リリスたちに預けられた仕事はプナークの討伐、ないし無力化だ。……ならば、いつかは均衡を破らなければいけないだろう。
「……長々と見つめていたい顔でもないし、ね‼」
その言葉と同時、リリスはプナークの上半身めがけて一息に踏み込む。影の補助を得た体はあまりにも軽く、今ならどんな相手にも速度で負けることはないという確信があった。
だが、一撃でもまともに食らえば致命傷になりかねない状況なのもまた事実。ツバキの身動きが取れなくなってしまうリスクを回避するためには仕方のない事だとは言え、リリスとて万全の武装が出来ているという訳ではなかった。
そんなリリスの動きに反応して、プナークは四本の腕を構えて交戦の姿勢を取る。やけに細長い二つの目が、愚かにも真っ向勝負を挑んでくる少女の姿を捉えた。
「……うわ、間近で見るとよりグロテスクね」
その目付きもさることながら、どう考えても人型がしていいものではない歯並びがより生理的嫌悪感を加速させる。大きく開けられた口から細長い牙と真っ赤な舌が覗いているのを目の当たりにして、リリスの背筋に嫌なものが走った。
「こんなものを見るくらいなら、無機質なダンジョンの壁を延々と見つめながら歩く方がよっぽどマシだわ。……だから」
生命の本能に訴えかけてくるような気味の悪さを一度無視して、リリスは体を軽くひねる。空中でも威力を出すために鍛え上げられた身体能力は、魔術を行使しない状況でも並の冒険者を軽くしのぐものだ。
そこにツバキの支援によるブーストが乗るのだから、その火力は推して知るべしといったところだ。……まあ、だからと言ってこの一撃で勝利を掴めるだなんて思ってはいないが――
「……あいさつ代わりに、喰らっときなさい‼」
体中に蓄積されたエネルギーを解き放って、リリスはあらん限りの速度で剣を振り抜く。元の身体能力の高さにリリス自身の強化魔術、そして影の衣による補助が乗ったその斬撃は、直撃すれば無事でいられる素材の方が少ないと断言できるほどのものだ。
回避されるリスクこそ存在するが、当のプナークはその姿勢を取っていない。ただ、その剣戟に対して四本の腕を差し出して受け止める体勢に入るだけだ。そこにあるのは知能の欠如か、それとも本能的な余裕に基づく行動なのか。――まあ、リリスからしたらどうでもいい事だが。リリスにできるのは、その判断が致命的だったと相手に気づかせてやることだけなのだから。
「せ……えええッ‼」
裂帛の気合とともに黒の剣閃が迸り、四本の腕によって組み上げられた防御と衝突する。まるで硬い岩でも斬っているかのような手ごたえにリリスは一瞬目を見開いたが、その焦りも一瞬の事だった。
「これでいっぱいいっぱいになってくれるなら、安いものね!」
その声とともに、リリスの背後に氷の弾丸が装填される。多彩な属性の魔術を得意とするリリスではあったが、やはり一番信頼できるのはこれだ。……これでいつだって、リリスは護衛として生き抜いてきたのだから。
剣に込める力を落とさないように意識しつつ、リリスは装填が完了した弾丸を順次プナークへと差し向ける。剣閃とは対照的な白い軌跡を描いて、無数の弾丸がプナークの体を襲った。
「ガ……ロオオッ⁉」
「へえ、結構効くみたいね。見た目の割には脆いんじゃない」
プナークの呻き声を聞きながら、リリスは二ッと頬を吊り上げる。ほぼ皆無と言ってもよかったプナークの情報が追加され、リリスの描くシナリオはまた一つ現実味を増した。
これは推測の域を出ないが、プナークにとっての戦闘とは常に一方的なものでしかないのだ。アランの言葉を信じるならば、プナークはまだ目覚めたばかり。そうしてすぐに冒険者たちをこの部屋で殺害していたならば、こうして反撃を受けるなど初めての経験であるはずだ。……おそらく、プナークの戦闘に回避の二文字は存在しない。ついでに言えば、防戦の二文字すらプナークの本能には刻み込まれていないのだろう。
「……さっきだって、あなたはすべての攻撃を受け止めてたもの、ね!」
六人組のパーティに対するプナークの行動を思い返しながら、リリスはさらに攻撃の手を激化させていく。氷の足場を形作ったことでさらに鋭くなった踏み込みは、今もなお放たれている氷の弾丸と相まってプナークの防御を押し込みつつあった。
「ガ、ゴ……‼」
「今まで戦ってきた冒険者たちの攻撃なんて、貴方からしたらただ軽く小突かれた程度のものだったんでしょうけど。……私の魔術を前にして、そんな余裕は持たせないわよ?」
なぜか驚いているように聞こえるプナークの方向に対して、リリスはあえて返答する。蹂躙者の称号は既にプナークから剥奪され、この空間の支配権はリリスたちへと移譲された。……もう、プナークに絶対などはありえない。
「……さあ、後悔しながら切り刻まれなさい‼」
自分の絶対的な優位を悟り、リリスはもう一段踏み込みを加速させる。プナークの腕の半分ほどの太さしかない刀身がその防護を押し込み、魔物の体が大きくのけぞるような姿勢になった。
「……そこに、こう!」
体勢が崩れたわずかな隙を見逃さず、リリスはひときわ大きな氷の弾丸を作り上げる。最早砲弾と呼んだほうが相応しいその弾丸を、リリスは魔物の頭部へと差し向けて――
「――どんな奇妙な生物でも、やっぱり頭部は急所なのね!」
その直撃とともに魔物の上半身が大きくぐらついたことに快哉の声を上げ、リリスは氷の足場を蹴り飛ばして大きく跳躍する。その狙いはさっきと同じ、四本ある腕の内の一本だ。
一度は魔術によってその目論見を阻止されたが、今の状況では魔力を集中させることすら難しいだろう。防御と魔術を両立できないプナークが、この状況で魔力を練れるとも思えなかった。
砕け散った氷の欠片を突っ切るようにして、リリスはプナークの肩口に到達する。丸太ほどの太さはあろうかという腕を眼下に見下ろし、リリスは小さく息を吸い込むと――
「……まずはひとつ、貰っていくわよ‼」
重力も味方につけた一撃を、プナークの肩口へと全力で叩きつける。影によって強化された刀身はあっさりとプナークの外皮を切り裂き、今までの物と一線を画すような咆哮が大部屋中に響き渡った。
「それくらいで騒がないでよね。……もっと、手痛くするんだから!」
鼓膜を直接殴るような大音量に辟易しつつ、リリスは氷の刃を空中に展開する。小さく、しかし鋭く加工されたそれが、刀身が生み出した傷口の中に容赦なく侵入した。
その刃が刻んだ小さな切り傷を道しるべとしながら、リリスの剣閃はさらに深くへと侵入していく。丸太ほどの幅があるせいで切断に時間がかかることだけが面倒だったが、しかしそれもじきに解決する問題だ。
リリスの作り上げた武装がプナークの肩口を蹂躙する度、その痛みをこらえるかのような呻きがグロテスクな口元から漏れる。その悶えようは、まるで痛みを初めて知った子どもの様だった。
「ずいぶんと痛そうじゃない。だけど安心して、それももうすぐ終わるから」
耳を塞いで苦悶の呻きを遮断したくなる衝動を抑え込みつつ、リリスは剣を握りしめる手にさらなる力を込める。……その瞬間、ついに氷の刃が魔物の腕を縦断した。
「ガ、アアアアアーーーッ‼」
「ふう、これでやっと耳を塞げるわね……。汚くて聞けたもんじゃないわ」
片手で耳を塞ぎつつ、リリスは地面に向かって落下していく。風魔術によってゆっくりと着地したその背後で、切り飛ばされた魔物の腕が轟音を伴って地面へと墜落した。
切断面からは勢いよく血が飛び出し、赤黒い血が地面にこぼれだしている。そのまま失血死するんじゃないかと思えるくらいの規模ではあるが、そんな生ぬるい期待はしない方がいいだろう。プナークが完全にその命を失うまで、寸分たりとも気を抜くべきではない。
「まだ見えてない手札とかがあったら敵わないもの。……さあ、まだまだ行くわよ!」
着地して一息ついたのも束の間、リリスはさらなる追撃のためにもう一度疾駆する。次はどの腕を取ってやろうか、あるいは心臓を穿ってやろうか。脳内に描いたシナリオを編集しながら、リリスは一瞬にしてプナークとの距離を詰めて――
「……リリス、防御を‼」
「……何よ、その反応⁉」
背後からツバキの叫びが響いたのと、肌を刺した異様な感覚にリリスが驚愕したのはほぼ同時のことだ。誰の目から見ても信じられないような出来事が、二人に襲い掛かっていた。
「……く、氷よ‼」
だが、それに焦るのも一瞬のことだ。とっさに魔力の反応がある方を向いたリリスによって氷の障壁が作り上げられ、伸ばされた影がその防護をさらに確実なものへと補強する。それが完了した直後、プナークから放たれた一撃が障壁と交錯した。
影魔術の強化も受けた分厚い氷の壁を突破することはできず、勢いを殺されたその攻撃は地面へと墜落していく。ひとまず奇襲は防ぐことに成功したわけだが、リリスの表情に一切の明るさはなかった。
「……見かけによらず脆くて器用とか、あなたはどれだけイメージを裏切れば気が済むのかしらね?」
地面に墜落した『それ』を見て、リリスは思わず嘆息する。――リリスの作り上げたものとよく似た形状の弾丸は、ちょうどプナークから吹き出した血のように生々しい赤色をしていた。
リリスもリリスでかなりの強者なのは間違いないのですが、いかんせん彼女の目の前に立ちはだかる壁というのは嫌でも大きくなるもので。まだまだ激化していく戦闘、楽しんでいただければ幸いです!
―では、また次回お会いしましょう!




