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第六十八話『惨状の立役者』

 もとより、冒険者と魔物は一方的な関係ではない。俺たちは魔物を狩ってその素材を売ることで生活の足しにしているわけだが、魔物に返り討ちに合って壊滅するパーティだって少なくない。お互いに痛み分けをしあっている、というふうに理解するのがちょうどいいだろうか。


――だが、目の前に広がっている光景はそんな生ぬるいものではなかった。ここで起きたのは戦いではなく蹂躙だと、そう説明された方がよっぽど納得できるくらいだ。


「……ともすれば、あの大獄より被害者が出てるかもしれないね……」


「そうね……血の匂いには、ある程度慣れてるはずなんだけど」


 先に部屋に踏み込んでいた二人が、鼻を覆うようにしながら俺たちの方に視線を向ける。荒事に慣れているであろう二人すらもたじろぐような濃い血の匂いは、すぐに俺の中にも入りこんで来た。


「ぐっ……これは、ヤバいな……」


 あまりにも生々しいその香りに、喉の奥からどろりとした何かがせりあがって来る。それをそのまま吐き出したくなる衝動を抑えながら、俺は大きく息を吐いた。


『タルタロスの大獄』の二層も血の匂いは濃かったが、アレは慢性的に漂っている、いわばあの空間にこびりついたようなものだ。だが、今俺の嗅覚を殴りつけている香りは違う。……悪い意味で、その香りには新鮮さがありすぎた。


 その感覚を裏付けるかのように、大部屋のあちこちには冒険者のものらしき死体が転がっている。魔物を狩るのに慣れてきているはずの冒険者たちがあっけなく崩れ落ちているのは、想像よりもはるかにショッキングなものだった。


「……俺が逃げてる間にも、新しい被害者が出ていたらしいな……クソっ」


 鼻を腕で覆いながら、俺の隣に立つアランは何かを振り払うかのように首を左右に振る。その視線は、この大部屋の中でも一際目立つ怪物の方へと向けられていた。


 下半身はまるで四足歩行の獣のようだが、そこに付随しているのはどう考えても人型の上半身だ。両肩と思しき場所からはそれぞれ腕が二本伸ばされており、そのシルエットの奇妙さをさらに引き立てていた。


「……アラン、あれが?」


「ああ、俺たちを一瞬で壊滅させた怪物だ。……気を付けろ、いつこっちに気が付くか分かんねえぞ」


 俺の問いかけに、アランは額に汗を浮かべながらも頷く。その声は気丈なものだったが、体はその恐怖心を映し出すかのように小刻みに震えていた。


「……不意を突くなら、間違いなく今がチャンスだと思うけど。あの怪物は、どうやら他の獲物にお熱みたいだしね」


 その横で、リリスが静かな声色で俺たちに提案する。濃い血の香りに動揺していたのも束の間のこと、その視線はあの怪物を倒すべき敵だとして見つめていた。


 そんな視線を向けられていることなどつゆ知らず、怪物は五メートルはあろうかという巨躯を軽やかに躍動させている。その視線の先には、六人組と思わしきパーティの影があった。


 決死の逃走を繰り広げながらパーティは魔術による抵抗を試みているが、それらはすべて四本の腕による防御によって本体へと届くことはない。途轍もなく危うい均衡は、わずかなきっかけで崩れてしまうだろう。そうなったとき、この大部屋にある死体の数が六個増えるのは言うまでもない話だ。


「……目の前で人に死なれるのは、寝覚めが悪いってレベルじゃねえしな」


「そうだね。魔物による犠牲者なんて、少なければ少ないほどいいに決まってる」


 俺の呟きに、ツバキが大きな頷きを一つ返す。それを見たアランも、決心を固めたように残った左の拳を握りしめた。


「……そうだな。いくら怖くても、それが立ち向かうことをやめる理由にはならねえ」


 震える拳を見つめながら、アランは自分に言い聞かせるようにそう口にする。そこにいたのは、間違いなく勇敢な一人の冒険者、アラン・ルルツだった。


 きっとこの部屋の中には、一瞬にして殺されたアランの仲間たちもいるのだろう。アランにとってこれは弔い合戦であり、生存した責任を果たすための関門だ。その決着を誰かの手に奪われてしまうのは、我慢ならないものかもしれないが――


「……それならアラン、お前は俺と一緒に来てくれないか? 新しくここに足を踏み入れちまった奴をすぐさま誘導して、二人の戦闘の邪魔にならないようにしたいんだ」


 そんな考えをいったん黙殺して、俺はアランにそんな提案を投げかける。やはりそれは予想外の提案だったのか、アランの瞳が驚きに見開かれた。


「……それは、一体どういうことだ?」


「あの怪物との戦闘は、ツバキとリリスの二人に任せようと思ってる。この場において、二人以上の戦力なんているはずもないからな。だから、二人が戦いだけに集中できる状況を作ってやりたいんだ」


 二人の連携は、あくまで二人だけで完成しているものだ。それ以外の人間を巻き込む拡張性は高くないし、中途半端に二人に追随しようとされるとそれがきっかけでほころびが生まれかねない。ならば、俺たちがするべきなのは二人にとって最大限の環境を作ること。……つまり、これからも地上への帰還のためにここを通るであろうパーティたちを誘導することだ。


「妥当な分析ね。私たち二人が負けたなら、あの怪物を倒せるのはこのダンジョン内にいないと見てもいいわ」


「そうだね。……君たちの分まで、全力を尽くすよ」

 

「おい、何勝手に話を進めてる! 俺はまだ何とも――」


「……ごめんなアラン、俺は戦闘向きじゃなくってさ。守ってくれる誰かがいなきゃあ、流れ弾で死んだっておかしくないぐらいなんだ」


 アランの肩を掴んで、俺はゆるゆると首を横に振る。納得いかないアランの気持ちは十分に理解できるが、それでも俺はアランを止めなければならなかった。


「仇を討ちたい気持ちは痛いほど分かるよ、なんせ目の前にいるんだしさ。……だけど、お前が本当にやるべきことはそれじゃないだろ?」


「……けどよ、だからってアイツに何もできねえのは……‼」


「……お前が守ってくれなきゃ、俺は多分無事じゃいられねえ。誰かの死体が増えるの、もうお前も見たくないだろ?」


 なおも納得がいっていない様子のアランに対して、俺は自分の命を人質に取る。……卑怯な方法ではあったが、これもまたまごうことなき事実だった。


「……お前、見かけによらず卑怯なんだな?」


「卑怯でも構わねえよ。……誰も死なないことが、この場じゃ一番だ」


 困ったように頬を引きつらせるアランに、俺は改めて笑いかける。最初から最後まで、俺にとっての勝利条件は変わらなかった。


「……任せていいんだな?」


「当然。あの二人は、間違いなく王都でも一番のコンビだからな」


 魔物に向かって少しずつ踏み込んでいく二人の背中を見つめながら、俺はアランの疑問に迷うことなく答える。あの二人以上に信頼できるコンビを、俺は今まで見たことがなかった。


「そうか。……なら、俺の思いも二人に託すとするよ」


 その言葉が響いたのか、アランはついに魔物から視線を外す。……その眼もとに光るものが浮かんでいたのは、見なかったことにしておいた。


「ほら、ぼさっとしてねえで救援の準備をするぞ。アイツらの戦いに誰も介入させないんだろ?」


「そうだな。……俺の命、ひとまずお前に預けるよ」


 安全に移動できそうな通路の入口を探しつつ、聞こえてくる足音に神経を集中させる。……俺たちには俺たちの、リリスたちにはリリスたちの。このダンジョン最凶の魔物を前にして、それぞれの戦いが幕を開けようとしていた。

次回、ついに魔物との交戦になります! 果たしてリリスたちはマルクの信頼にこたえられるのか、そしてマルクたちは自分たちの役割を果たせるのか! 是非ご期待ください!

――では、また次回お会いしましょう!

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