第六十六話『救援要請』
「……とりあえず、止血だけは済ませておいたわ。これでとりあえず命の危険はないはずよ。まあ、冒険者としては再起不能レベルかもしれないけどね」
くるりとこちらを振り向いて、治療魔術の使用を終えたリリスが俺たちにそう説明する。しかし自分ではその治療に納得しきれていないのか、少し悔しそうに歯噛みしているのが印象的だった。
「いや、命を落とさずにいられるだけで僥倖だ。……逃げた先にあんたたちがいたことが、俺の不幸中の幸いらしい」
しかし、そのリリスの影から顔を出した男の表情はとても穏やかなものだ。ついさっき必死の形相で俺たちのもとに転がるように駆けてきたその姿とは似ても似つかなかった。
だが、だからと言ってすべてがいつも通りという訳ではない。決死の逃走の代償なのか、その右腕は肘から先が綺麗に消失している。そのダメージは、腹を貫かれた俺なんかとは比較にならないだろう。
「……とりあえず、色々と話を聞かせてもらおうかな。メンタル的にも安定してそうだし、今なら有益な話が聞けそうだ」
そんな男の姿に動じることなく、ツバキは淡々と話を進めていく。被害者の男からすると冷徹なようにも思えるような言葉ではあったが、男はためらわずに頷きを返した。
「ああ、最初からそのつもりだ。命の恩人に俺と同じような眼にはあってほしくないからな」
「それは助かるよ。……それじゃあ、誰に右手を切り飛ばされたかから聞かせてもらおうかな?」
素直な男の態度に目を細めながら、ツバキは一つ目の質問を投げかける。その内容に、俺の背中を微かな寒気が走った。
ここでどんな答えが返って来るかによって、俺たちはここからどうするべきかを決めなくてはいけなくなるからな。俺たちを狙ったクラウスの回し者が暴れているのか、それとも強大な魔物がこのダンジョンを牛耳っているのか。どちらにせよ、ここからの脱出が一筋縄ではいかなくなることは間違いないのだが――
「……あれは、きっとプナークだ。揺り籠の中で眠っていた怪物が、目を覚ましちまったんだよ」
「……なんだって?」
男の発した名前に、ツバキもリリスも、そして俺も眉を顰める。プナーク……このダンジョンの名前に入っているのは間違いないが、確かあれは実在が確認されていない類の魔物だったはずだ。
「……あなた、まだ治療の反動で思考が混濁してるんじゃないでしょうね」
「そんなことはない、信じてくれ! アレに俺の仲間は皆殺されたんだ‼」
言葉にするごとに恐怖がよみがえってきたのか、俺たちに訴えかけるようなその言葉はだんだんと震えを増していく。これが全て演技なら大した役者だが、俺にはそんな風には思えなかった。
「今でもいくつかのパーティがアイツを抑え込みにかかってるが、それも時間の問題だ。そう遠くないうちに、あそこにいた全員がぶった切られてもおかしくねえ……‼」
「ぶった切る……ということは、あなたの右手もそれでやられたのね」
一瞬で両断されたことが分かるくらいに綺麗な切断面を見つめながら、リリスは男に確認を取る。それに対して男は小さく頷き、一際体を大きく震わせた。
「不思議な話なんだ。アレは武器なんて持ってないはずなのに、十メートルはあるって距離から俺の右腕を切り飛ばしてきやがった。俺は何とか生き残れたが、その射程距離の仕組みがすぐに解明できるはずもないだろ? ……それで、俺の仲間たちは何が何だかわからねえままにぶった切られちまった」
「しかし、君は何とかここまで逃げてこられた、と……その推定プナークがいるのは、この先にあるはずの大部屋なんだよね?」
「ああ、そうだ。あそこを中心に調査をしてた連中は、全員プナークの目からは逃れられないだろうよ」
即答する男に、ツバキの表情が渋いものに変わる。ぶつぶつと何かを呟くその横顔は、けっして余裕のある者だとは思えなかった。
……俺たちが今から向かおうとしていた大部屋にいる魔物は、ここに来れるくらいに実力がある冒険者を楽々再起不能にできるほどの力を兼ね備えている。……だが、ツバキが問題視しているのはきっとそこではないのだろう。あの大部屋は、俺たちが脱出を考えるうえでの最短ルートに位置しているのだ。『プナークの揺り籠』の中心地、と言ってもいい。そこを通れないとなれば、俺たちの脱出計画にも多大な影響が出ることは間違いなかった。
「……君、このダンジョンの地図は持っているかい? その部屋を迂回して戻れるルートがあるなら、是非教えてほしいところなんだけど」
「……いいや、んなもんはねえな。今からダンジョンの出口に向かおうと思うなら、このダンジョンの中心地でもあるあの部屋を通る以外に選択肢は用意されてねえ」
ツバキの質問に、男はバッグから地図を探り出しながらそう説明する。詳細に書き記されたその地図には、大部屋を迂回するルートは書き記されていなかった。
「……これは、マズいんじゃねえか……?」
「うん、相当ただならぬ事態だよ。……言葉を選ばず表現するなら、途轍もなくめんどくさい状況だ」
ゆるゆると首を振って、ツバキは現状をそう評する。険しい表情を浮かべて地図を見つめるツバキの目には、きっと俺には見えないものが見えているのだろう。
その集中を乱さないように気を付けつつ、俺はツバキが受け取った地図を改めて確認する。他の通路や大部屋とのサイズ差を見る限り、その部屋はこの地下二階の中でも一番大きな部屋のようだ。ここを抜ければもう出口も近いこともあって、そこに立つ存在はまるで門番のように思えた。
……門番というと、どうしても思い出してしまうのが『タルタロスの大獄』で接敵した人型の魔物だ。アレはリリスたちの全力を以て討伐されたわけだが、果たしてそれと同じものが通用すると考えていいものなのか。第三層の存在が確認されているあっちと違って、こっちは最終層にあらわれた化け物なわけだからな。
「お前たちが今から脱出しようと思うなら、あの化け物と戦うことになるのは回避不可能だ。……だけど、心の準備があるとないとじゃ大違いだろ?」
「……ああ、その通りだね。そういう意味では、あの場所から逃げ出してきてくれた君の存在は僕達にとってとても有益だ」
「遭遇戦だろうと準備をしていようと、押し通る以外の選択肢がないのは同じだけどね。……だけど、素直に助けを求められるのは評価できるわ」
男の言葉に、二人はゆっくりと頷く。肯定的な反応が返ってきたことは幸いだったのか、男の表情がにわかに明るくなった。
「だろ? ……だから、一つだけ頼みごとをさせてくれ。それを果たしてくれれば、俺にできる最大限を尽くして礼はさせてもらうからさ」
左手と右腕の先を合わせるようにしながら、男は俺たちに対して深々と頭を下げる。それを受けて、ツバキは唐突に俺の方に視線を向けた。
「……だってさ、マルク。君はどうしたい?」
「……頼みの中身次第だな。前向きな願いだったら、俺はできる限りかなえてやりたいよ」
突然の事だったが、その答えはやけにすんなりと俺の口からこぼれてくる。出来ることなら誰の願いも諦めさせたくないというのが、男を前にした俺の素直な本音だった。
「マルクらしい答えだわ。……それじゃあ、その頼みとやらを聞いてみようかしら」
軽く鼻を鳴らしながら、リリスは男に水を向ける。それに対して、男は今よりさらに頭を深々と下げると――
「……お前さんたちの脱出作戦に、俺も同行させてくれ。せめてあいつらのことを弔うためにも、俺だけは生きて帰らなくちゃいけねえんだ」
――震える声で、しかしはっきりと生存への意志を示した。
次回、この話を聞いた三人の決断はいかに! 新たな波乱の予感漂うダンジョン開き編、これからも楽しんでいただければ幸いです!
――では、また次回お会いしましょう!




