第六十二話『カッコいいところを』
「マルク、そこを動かないで。相手の狙いが貴方であろうとも、指一本触れさせはしないわ」
俺の方をちらりと振り向いて、リリスは念押しするかのようにそう告げてくる。その力強い言葉を疑う理由は、俺の中に一つもなかった。
「ああ、ここは任せるぞ。……リリスなら、大丈夫だ」
小さくも頼りがいのある背中を見つめて、俺はそう投げかける。そんな事リリス自身がとっくに分かってるだろうが、それでも言わずにはいられない。……不意打ちや数の暴力に負けるほど、俺の仲間たちは貧弱じゃないのだ。
「随分と舐めてかかってくれるじゃないか。痛い目見てからじゃ遅いんだよ?」
そんなやり取りを悠長に見つめながら、男はリリスを嘲るかのようにケタケタと笑ってそう言い放つ。それに対して反論したのは、リリスの一歩後ろに控えるツバキだった。
「その言葉、そっくりそのまま君たちにお返しするよ。数の暴力ごときでボクたちに抗えると思うのなら、それこそおつむが弱いってやつだ。……暗殺を生業にするには、少しばかり社会勉強が足りなさすぎるね」
おどけたように肩を竦めながら、ツバキはリリスが受けた嘲笑を男へと返却する。そこまでやれば流石に煽られていると理解できたのか、男の肩がわずかに震えた。
「……もういいや。僕が暗殺者として欠格というのなら、その仕事ぶりで認識を改めさせるしかない。もとより、暗殺者に必要以上の会話なんて必要ないしさ」
今までのやり取りを全部否定するかのような言葉を放って、男は軽くつま先で地面を叩く。……その瞬間、四方八方から床を蹴り飛ばす音が響いた。
「ここまで綺麗にタイミングが揃うとか、どんだけ教育されてんだよ……‼」
「これじゃまるであの男の私兵だね。どうやら、ボクが思っていたよりも傘下の人間は荒事に慣れているらしいや」
一糸乱れぬその行動に俺が悪態をつくと、俺の背後を守るように立ったツバキがため息をつきながらそう付け加える。冗談めかした物言いではあったが、そこには隠し切れない呆れの感情が見え隠れしていた。
クラウスの私兵とは、中々に秀逸なたとえをしてくれたものだ。傘下のパーティという表現をするには、彼らはさっきからクラウスの思想に従順すぎるからな。
身を低くしながらこちらに突っ込んでくる者、とびかかるような山なりの軌道を描いてくる者、魔術を使っている者からいない者まで、その襲撃方法は様々だ。だが、十五人を超える襲撃者たちは完璧にタイミングを揃えてこちらへと向かってきている。一度にすべての動向を捉えようとするのは、人間の視野では到底不可能な事だった。
「いくら君たちが強くても、その両手は二本しかない。……生き残りたかったら、何を切り捨てるべきかちゃんと判断することだね」
仲間の行動開始に合わせるかのように、男の姿がまたしても虚空に溶けるようにして消えていく。リリスは光魔術の応用と看破していたが、だからと言って俺がその姿を追えるようになるわけではない。刺客たちの一糸乱れぬ襲撃も奇妙なものではあったが、それの指揮を執った男にはどこか人間離れした気味の悪さがあった。
だが、俺の前後を守っている二人に焦りの色は全く見えない。ただ淡々と、迫りくる敵への備えを続けている。多勢に無勢と言われてもおかしくないようなこの状況でも、二人はいたっていつも通りだった。
「……この数を相手するの、実は意外と久しぶりだったりするわよね」
「そうだね。これだけの勢力とやり合うってなると――確か、二年ぶりくらいにはなるんじゃないかな?」
お互いに背中を預けあいながら、リリスとツバキは俺を挟んで言葉を交わす。そこに力みは全くなく、目を瞑って聞けばそれは昼下がりの茶飲み話と勘違いしてしまいそうになるほどだ。
「へえ、あの事件からもうそんなに経ってるのね。ツバキ、ちゃんとやり方は覚えてる?」
「大丈夫だ、むしろあの時よりも精度は向上しているよ。ボクが停滞を良しとする魔術師じゃないことは、君が一番知っているだろう?」
「そうね。それじゃ、有象無象の処理は任せるわ」
「うん、任された。一番の大物を狩るのは、リリスの力を頼らせておくれよ?」
「分かってるわ。あの男に負けるところなんて、どうしたって想像できないわよ」
ツバキの言葉にふっと笑みを返して、リリスは氷の剣を地面に突き立てる。その瞬間、リリスの周囲の地面が一瞬にして凍り付いた。
ここまでのやり取りに、一切の淀みはない。高所から低所へと水が流れていくときのように、ただ一度も詰まることなく作戦は決定されていた。当たり前のように行われた迅速な思考のやりとりに、俺は思わず舌を巻く。
「……これが、積み重ねた時間の賜物って奴か」
少しでも対応が遅れれば刺客たちの攻撃が間に合ってしまうような状況の中で、凄まじいスピードで二人は議論を終わらせた。……その中で練り上げられた策は、きっとこの場における最適解なのだろう。二人の出した結論が何であれ、それを疑う気になんてなれなかった。
「そういうことだよ、マルク。……それじゃあ、ボクのカッコいいところを見ててもらおうかな」
俺の呟きを聞きつけたのか、ツバキが堂々とした口調で俺の疑問に答える。ふと首を後ろに向けると、そこには影の塊を両手に携えたツバキの姿があった。
男の指示から少しの時間が経って、大部屋の端にそれぞれいたはずの襲撃者たちはリリスたちと衝突しようとしている。一人一人の攻撃に対して馬鹿正直に対応すれば、いずれ数に押し切られてしまうだろう。単純な数的優位に加えて姿を消した男の対応もしなくてはならない以上、状況は明らかに相手の方が優勢だ。
だが、それはあくまで一般的な視点に立ってこの戦局を見た時の話。二人の実力を知っている俺から言わせてみれば、この状況は圧倒的に俺たちが有利だ。いつも通りのリリスとツバキがいて負けるなんてこと、この二週間起こり得なかったことなんだから。……それはきっと、この戦いでも変わらない。
俺の中にわずかに芽吹いていた不安感もすでに消え、俺は穏やかな気持ちで二人の間に立っている。あまりに無防備なままそこに居られること自体が、絶対に俺まで攻撃が届かないと確信していることの証明のようなものだった。
「クソ、余裕そうな表情をしやがって……‼」
あと三歩で間合いに入るといったところの襲撃者が、突っ立った俺の姿を見て腹立たしそうにそう呟く。彼の司令官と思わしき男と違って、感情が分かりやすいのはまだ救いだった。全員があんなみたいなのじゃ何かしらの洗脳を疑わなくちゃいけないからな。
だが、このまま何の防御もしなければ俺の命が絶たれるのもまた事実だ。その右手に握られた剣は、まだ病み上がりな俺の命を絶つには十分すぎる。
「……その判断を後悔しながら、苦しんで死にやがれ‼」
男は大きく振りかぶり、動かない的同然の俺に向かって最後の一歩を踏み込む。その刀身が俺の命を奪う直前、俺の背後でツバキはおもむろに屈みこむと――
「……影に縛られる感覚、君たちは味わったことがあるかな?」
「が、ぐお⁉」
右方向からかっ飛んで来た影の波に襲撃者の全身が飲み込まれ、そのまま勢力を拡大した影によって俺の眼前が真っ黒に染め上げられる。影の浸食とでも言うべきその現象は、数秒もしない後に俺たち以外の大部屋にあるすべてを飲みこんでいた。
リリスが『私よりも上』と評している通り、ツバキの実力も相当なものです。クラウス達との戦いでは支援に徹した彼女ですが、今回は大暴れしてくれると思いますので是非ご期待ください!
――では、また次回お会いしましょう!




